2007年12月31日月曜日

A Day in the Life / Wes Montgomery


画像Wes Montgomery
「A Day in the Life」
(1967)

��960年代の半ばごろ、クリード・テイラーという大物プロデューサーが“イージーリスニング・ジャズ"シリーズなるものを企画し、それが大当たりいたしまして、その流れからウェス・モンゴメリーをも巻き込み、ストリングスなどのオーケストラを大きく絡めたアルバムを数枚リリースいたしました。もちろん、これらアルバムも大ヒットとなり、ウェスにとってもセールス面で最大の成功を収めることになったのです。
ビ・バップのスタイルで多くの名曲を残しているウェスにとって、このようなポップ路線への転身というのは邪道に捉えられたようで、セールスが良くなる一方で批判めいた声も高かったようです。
しかし、ウェスのこの大成功は、結果的にフュージョン以降の新たな道筋を作ったことは確かなことで、その後にマイルス・デイビスが試みようとしたことすべてが、この「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」に含まれているような気がします。


画像Wes Montgomery
「California Dreaming」
(1966)


画像Wes Montgomery
「Road Song」
(1968)

この2つのアルバムも、同系統だと言っていいでしょう。
クリード・テイラーがプロデュース
ドン・セベスキーのアレンジ、指揮
オーケストラとのクロスオーバー
ハービー・ハンコックが参加
ニュースタンダード…
といった事柄が共通のものとなっています。

遺作である「Road Song」などは、ウェスの真意は分からないけれども、ある種の頂点を極めたような音楽を体感できるはずです、おそらく…。というのも、僕はこのアルバムをじっくり聴いたことがないので…。
画像正直に申しますと─
このアルバムが一番好きだったりします。

m(_ _)m

2007年12月30日日曜日

Full House / Wes Montgomery

♪Full House / Wes Montgomery


やはり─
ほとんど、右手親指一本で弾いています。
すごいです。オリジナリティーあふれています。

画像Wes Montgomery
「Full House」

ふと思ったのですが…
ウェスの音楽は南米の香りがするような─
ボサノバやカリビアンのような響きを感じてしまいました。
♪ Here's That Rainy Day
後に派生してくるフュージョンの源流が
ウェスの音楽には確実に含まれています。

2007年12月29日土曜日

Here's That Rainy Day

昨日・今日と全国的に天気がしめりがち。

過去に雨の音楽を少し記録しておいたのだが、久々に別の雨の歌を記録しようかと色々調べていると、ウェス・モンゴメリーが演奏する♪Here's That Rainy Day という曲が気になって耳から離れなくなってしまいました。

♪Here's That Rainy Day / Wes Montgomery Quartet


♪Here's That Rainy Day というスタンダードナンバーが気になったというよりも、ウェスの演奏に釘付けでした。
ウェスの音源はよく聴いていたものの、演奏を実際に目で見るのは初めてでした。華麗なるオクターブ奏法、本当に親指の腹でずーっと演奏するんだぁ…などと終始感心していたのですが、ソロのパートまで右手親指一本でこなして、結局終わりまで親指だけで弾いてしまったウェスに唖然としてしまいました。ウェスのギターを耳にするとすぐ判別できるのは、この徹底したスタイルがあるからなのだと、いまさらながら理解できたような思いです。

ウェスは本当に親指でしか演奏しなかったのか、確認したくなってきました。

カラヤンの第九

��2月の中旬、フジテレビの「とくダネ!」で小倉智昭キャスターが、20万円もするCDを自慢げに披露していたのを覚えている。その中に納められているのは、フェルベルト・フォン・カラヤン指揮・ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏・1962年録音のベートーベンの第九である。

画像ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮
ベートーヴェン:
交響曲第9番ニ短調作品125<合唱>


なんで20万円もするのかというと─
EXTREME HARD GLASS CD 超精密光学強化ガラスを使用し、高音質化を実現
★独グラモフォンの全面協力で実現したオリジナル・マスターテープからのリマスタリング
─ということらしい。

これを買うのも、再生するにも、相当の勇気が必要だろう。
小倉さんが番組で紹介していたCDは、小倉さん個人が好んで買った物で、最後までどんな音なのか視聴させてくれませんでした。まぁ当然でしょう。
ガラスのCDとは別に視聴用のCDも付属しているらしく、これを買った人はガラスのものはとっておき、普段は視聴用のCDを聴くことになる。いつガラスのものを再生させるのか…恐らく一生再生されないものもあるのでしょうねぇ。

��2月15日から発売されたこのCD、限定300枚だという。新聞記事などでは予約段階で100枚が売れたというから、興味がある人は急いで買った方がいい。もっとも20万円とはいえ、売り切れは必至か─。
ちなみに僕は…買えません…。

2007年12月28日金曜日

ラトル&ベルリン・フィル

毎年恒例のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のジルヴェスターコンサートを前に、明日から過去のラトルが指揮した演奏がBS2で放送されるようだ。

ヤフーオークションで1000円で購入したBSチューナーが壊れてしまっているので、明日は秋葉原にでも出向こうか─。

今年のジルヴェスターコンサートも、もちろんサイモン・ラトルが指揮するわけだが、今年はすでにその演奏された音源が2008年1月14日に発売されるとリリースされている。

画像サイモン・ラトル 指揮
ベルリン・フィル 演奏
2007年ジルベスター・コンサート

ムソルグスキーとボロディンの演目が並んでいる。
これが当日に演奏される演目になるのだろう。
��Dの音源は事前に収録されたものが納められるようだが、それにしても、伝統あるジルヴェスターコンサートをも宣伝にしてしまうとは、恐るべしラトル&ベルリン・フィル…。
まぁそれだけ人々は良い音楽を求め、ラトルも楽団もそれに大いに応えているわけなのだから、宣伝などと呼ぶのは、かなり意地悪なのかもしれないが─。
大晦日のコンサートを大いに楽しみ、その感動を再び求めCDを購入、さらに感動が上乗せされる─…そういうことを期待しましょう。

2007年12月27日木曜日

「戦場のメリークリスマス」を弾いてみたそうです。

♪押尾コータロー風、戦場のメリークリスマス
演奏:少しマニアなけんさん


7月から練習し始めたというけんさん
正直、これほどまでみごとな演奏がYouTubeに載るとは想像していませんでした。あまりに見事な演奏なので、賞賛と謝罪を込めて、ここに掲載いたします。

ブラボー。


2007年12月26日水曜日

ミッシング


こちらですべて聴くことができます
ミッシング(1982) - goo 映画




僕のブログによくコメントを入れてくれる、みずねこさんのブログに掲載されていた記事を転載します。




��お願い>

「 緊急!みなさんの力をお貸し下さい! 」

〓『◆捜索願いです◆』〓

12歳の男の子が、12月6日(木)から行方不明です...

横浜市都筑区東山田 (港北ニュータウン)在住

岩田和輝(いわたかずき)君



皆様の力を貸して下さい。

お願いします...


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

良かったら、この日記をコピーして、貼り付けて日記を書き、
バトンのように回して頂けると、捜索出来る範囲も広がると思いますので、
皆さんご協力を!

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

詳しい内容は以下のHPを見てください。


こちらのHP
です。←クリック

<連絡先>都筑警察署:生活安全課:TEL045-949-0110

皆さんのご協力、宜しくお願いします。 」

このブログというネットワークを通じて
皆さまのご協力をどうぞ宜しくお願い致します!!





行方不明者の数は年間で10万人以上もいるそうです。その数は、捜査願が出されているケースに限られているため、実際はその倍の数の人が不明になっているということです。
それらの数が少しでも減ることを願い、小さなことでも自分にできることをさせていただきました。


ポリスチャンネル

2007年12月25日火曜日

クリスマスイブ

クリスマスの前日、の前日の昨日は
自宅の近くのスーパーの前で
小さな合唱団が♪きよしこの夜 などを歌っていました。

クリスマスを実感するのは音楽からなのかなー…

♪Do they know it's christmas time / Band Aid


2007年12月23日日曜日

UFO

最近何かと話題のUFO
「Unidentified Flying Object」=「未確認飛行物体」であるわけだから、存在についての見解を述べることはおかしなこと、などというごもっともな意見もあったりするのですが、米軍が“未確認"といっているのは国籍が未確認だということらしいので、存在するかどうかという議論も決して間違ってはいないと思います。しかし、政府がこれまで国籍不明の飛行物体を捕捉していないとは思えないのですけれど…。
さて、日本では未確認飛行物体は飛んでいないようですけれど、世の中にはいろんなUFOが存在しているようです。

UFO UFO UFO UFO UFO UFO UFO UFO UFO

個人的にもっとも好きなUFOは─これですかねぇ…
♪Lights Out / UFO


Lights Out

ボストンの思い出


BOSTON

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2007年12月22日土曜日

Have a Little Faith


画像Bill Frisell - guitar
Don Byron - Clarinet, Bass Clarinet
Guy Klucevsek - Accordion
Kermit Driscoll - Bass
Joey Baron - Drums

Compositions by Aaron Copland, Charles Ives, Bob Dylan, Muddy Waters, Sonny Rollins, Madonna, John Phillip Sousa, Heyman &Young and John Hiatt.
Arranged by Bill Frisell.

Song List:
Billy the Kid (Copland)
 1.The Open Prairie
 2.Street Scene In A Frontier Town
 3.Mexican Dance And Finale
 4.Prairie night (Card Game At Night), Gun Battle
 5.Celebration After Billy's Capture
 6.Billy In Prison
 7.The Open Prairie Again
8.The "Saint-Gaudens" In Boston Common (Excerpt #1)
 (Ives)
9.Just Like A Woman
 (Dylan)
10.I Can't Be Satisfied
 (Waters)
11.Live To Tell
 (Madonna)
12.The "Saint-Gaudens" In Boston Common (Excerpt #2)
 (Ives)
13.No Moe
 (Rollins)
14.Washington Post March
 (Sousa)
15.When I Fall In Love
 (Heyman)
16.Little Jenny Dow
 (Foster)
17.Have A Little Faith In Me
 (Hiatt.)
18.Billy Boy
 (traditional)



冒頭、アーロン・コープランド作曲の組曲「ビリー・ザ・キッド」から始まるこのアルバムは、全曲カバー曲からなるビル・フリゼールのリーダーアルバムだ。
かなり独特のアレンジで、オリジナルとは違った印象の楽曲が多いために、すぐに満足感を持たないかもしれない。しかし、聴けば聴くほどにアレンジの素晴らしさに気がつき、なかなか味のあるアルバムに思えて、手放せなくなる、かも─。

特に♪ビリー・ザ・キッド組曲などは、とてもバンド単位で演奏しているとは思えないくらいの迫力を感じる。オーケストラで演奏される♪ビリー~に勝るとも劣らないであろう。この曲でもっとも盛り上がる管打楽器の爆発と呼ばれる部分も、バンドであってもその迫力は失われてはいないのだ。
♪ビリー・ザ・キッド組曲が全曲、このような形で演奏されることも珍しいと思われるので、そういった意味でも一聴の価値はある。

個人的には、マドンナの♪リブ・トゥ・テル、ディランの♪ジャスト・ライク・ア・ウーマン、ハイアットの♪ハブ・ア・リトル・フェイス・イン・ミーなどが非常に気に入っている。本来ならば歌詞付きである曲がこれほどまでに情緒あふれるインストゥルメンタルになり得るものなのか、と感心するばかりである。

ビル・フリゼールの技を十二分に堪能できるアルバムなのだが、それ以上に、ビリ・フリゼールのこのアレンジのおかげで、音楽そのものの良さをしみじみと感じることができるアルバムであろう。

2007年12月21日金曜日

Appalachian Spring

アーロン・コープランドの♪アパラチアの春



バレエ作品として作曲されたこの曲は
オーケストラ組曲として編曲された。



振付師・ダンサーのマーサ・グラハムの依頼で作曲
当初題名をつけず「マーサのためのバレエ」と呼んでいたが
バレエとは関係のない詩の一節(ハート・クレイン)
「アパラチアの春」というタイトルを提案されて
それがそのまま曲の題名になってしまった。


Blake Richardson conducts
The Chautauqua Music School Festival Orchestra

アパラチア山脈へ行ったこともないし
その風ぼうや特徴といったものも全く知らない
しかし、この曲を聴いていると
まるでアパラチアの春が目の前に広がってくるようだ。

構成などはこちらで確認を─(wiki)

2007年12月20日木曜日

なんでツェッペリンはこんなに…

初めてレッド・ツェッペリンを聴いたとき、なんて古くさくてヘンテコな音楽なんだと、正直思いました。彼らが解散して数年経過していて、リアルタイムなど知りもしない若僧の感想なんてそんなものだと思うのです。
今では、彼らの音楽にすっかり幻惑されてしまっていて、なんでこれほどまでにツェッペリンを好きになったのか不思議なくらいです。そして、その思いは、現在のツェッペリン人気に対しても同じように向けられているのです。何故、いまツェッペリンなのか…

画像LED ZEPPELIN
MOTHERSHIP

最近出たこのアルバムもかなり売れているらしい。いまの若い人も彼らの音楽を好むのかなぁ、などと思ってしまうのですが、買っているのは若者ばかりとは限らないわけで、リアルタイムで彼らの音楽を聴いていた年配の方々の需要が意外と多いのかもしれません。現在、CDを最も買っているのは中高年の世代だという事実もあるそうなので─。
しかし、懐メロ的に聴かれているのであれば、これほどの熱狂はないわけで、先日行われたワン・デー復活ライブの熱狂ぶりも異常というほかありません。でも、まぁ、彼らの今を見ることができたのは世界中でたった2万人だけであり、若い沢尻エリカのあの興奮ぶりも分からないでもありません。
そのワン・デー・ライブのチケット、使用済みであるにもかかわらず、約2万円で取引されているらしい。これは、何なんだろう。本当に音楽が好きなのか、それとも伝説に酔いたいだけなのか…。

2007年12月19日水曜日

ジャーニーの新ボーカル

個人的に、ジャーニーのボーカルといえばスティーブ・ペリー意外に考えられない。しかし、彼が脱退した後も、数人のボーカリストを交代させながら、根強く活動を続けているようだ。
つい最近までボーカルを務めていたのが、ジェフ・スコット・ソートだ。彼の歌声はイングベイ・マルムスティーンの初期のアルバムでよく聴いたものだ。
ジェフが在籍したのはほんの短期間だったようだ。
ジェフ脱退後、ジャーニーのリーダーでありギタリストのニール・ショーンは、アーネル・ピネダという無名のボーカリストを見出した。ニール・ショーンがピネダを見て聴いたのは、あのYouTubeだったという。
アーネル・ピネダはThe Zooというバンドで、ジャーニーのコピーなどを演奏して活動していたようで、面白半分に自分たちの演奏をYouTubeにアップしたらしい。
ニール・ショーンが見たであろう映像というのが、♪Faithfully(時への誓い)というジャーニーの曲をカバーした映像だとか─
Journey - Faithfully (Cover by The Zoo)

確かにすごい歌唱力で、どことなく全盛期のスティーブ・ペリーを思い浮かばせる。ニール・ショーンが惚れ込んだのもうなずける。

画像Journey
Frontiers


ジャーニー演奏のオリジナル♪Faithfullyはこちらから─


2007年12月18日火曜日

エイジア 「アストラ」

僕が初めてエイジアと出会ったのが
サードアルバム「アストラ」だった。

画像Asia
Astra

��曲目の♪GO という曲が結構好きだったが、なぜか売れなかったことが非常に印象に残っている。

YouTube  ♪GO / Aisia




このアルバム収録前にギターのスティーブ・ハウが脱退…
その影響もあったのか、ファースト、セカンドアルバムと比べると売り上げは惨たんたるものだった、
ボーカルのジョン・ウェットンはこのアルバムを愛し、自信もあったようで、この惨めなセールスを目の当たりにし、大いにショックを受け、これを境に一時期エイジアは解散状態になってしまった。
いま再び聞き直してみると、やはりギターサウンドの貧弱さは否めない。しかし、ジョン・ウェットンのボーカルとメロディー自体は、やはり非常にいいと思うのだが…なんで売れなかったんだろう?

2007年12月17日月曜日

オリジナル・エイジア

今年3月、エイジアがオリジナルメンバーで来日して、早くも来年の5月に再来日をするという。

オリジナルメンバーとは─

ジェフ・ダウンズ "Geoffry Downes"(キーボード)
ジョン・ウェットン "John Wetten"(ヴォーカル・ベース)
スティーヴ・ハウ "Steve Howe"(ギター)
カール・パーマー "Carl Palmer"(ドラム)

以上4人。
そうそうたるメンバー。

エイジア結成時はこの4人であったのだが、来日公演はなかったようで、今年の来日がオリジナルメンバーでの初来日公演だったらしい。

♪Time Again -Live in Tokyo-



画像AISIA
Fantasia: Live in Tokyo


来年2008年4月にはオリジナルメンバーとして25年ぶりのスタジオ録音アルバムをリリース予定だという。
その4月の初めには全米ツアーがスタート、そして、5月には再び来日公演予定だと公式HPで発表されている。

ASIA 公式ホームページ


きのう偶然にもチケットの電話予約が数時間後に始まるということを知り、思わず予約してしまいました。新譜を出した後のツアーは熱い。まぁまだ期間がかなりあるので、順調にいけばの話ではあるが─。スティーブ・ハウなどは気分よくレコーディング中だというから、今のところ心配ないようだ。
─寝て待ちます。

2007年12月16日日曜日

シンフォニエッタ

イタリア語「Sinfonietta」の意味は、「小交響曲」というものらしい。

ヤナーチェク作曲の「シンフォニエッタ」は演奏規模は通常の交響曲と変わらないくらい大規模なものであるが、第5楽章に分けられた曲すべての演奏時間は25分程度とかなり短い。故の“シンフォニエッタ”なのだろう。

自らのフィールド・ワークで民俗音楽を収集し、吸収していったことで知られているヤナーチェク、彼の作曲した音楽には常に民俗的な響きを帯びているわけで、この「シンフォニエッタ」も決して例外ではない。
また、交響曲されているにもかかわらず、これまでの伝統的な交響曲とは形式の面で大きく違っているようで、そのために、一層この「シンフォニエッタ」が特異なメロディーに聴こえてくる。


「ファンファーレ」:アレグレット Allegretto、変ニ長調、4分の2拍子


画像ヤナーチェク:シンフォニエッタ
サイモン・ラトル 指揮
フィルハーモニア管弦楽団 演奏


2007年12月15日土曜日

ヤナチェックとヤナーチェク

チェコを代表する作曲家の一人、レオシュ・ヤナーチェク
僕は最初、この作曲家の名前を“ヤナチェック"と学んだような記憶がある。その後、どうやらヤナーチェクとするのが一般的だと知るのだが、いまだに「ナー」と伸ばす響きに違和感を覚えてしまう。
外国人をカタカナ表記すると、どうしても複数の表記が出てきてしまうもので、例えば、同じチェコの代表的な作曲家・ドボルザークにしても、ドボルジャックと表記されている場合もある。ヤナーチェクとヤナチェックも、カタカナ表記にするときに生じた微妙な差異であろうと思っていたのであるが、この場合、ほかとは少し事情が違っていた。

ヤナーチェクの音楽の特徴は、民俗音楽を基にしたメロディーとリズムにある。フィールド・ワークで民俗音楽を収集していく彼の手法は、バルトークシマノフスキなどよりも早くから始められており、まさしくその先駆けと言っていい。
誰よりも早く民俗音楽というものに目を向けることができたのは、ヤナーチェクがモラビア地方で生まれ育ったという要因が大きいだろう。
チェコというと東部に面しているボヘミア地方というイメージが強いかもしれないが、モラビア地方というのは西部に面している地方を指し、ボヘミアとは文化も違っていて、言葉遣いも微妙な差異があり、チェコにおけるモラビア地方の言葉はいわゆる方言として捉えられている。(モラヴィア-Wikipedia
モラビア生まれで方言を話すヤナーチェクは、「ナー」の発音がうまくできずに、自らのことを“ヤナチェック"と発音していたようだ。故に、ヤナーチェクとヤナチェックというふたつの表現が存在するに至ったのだ。

モラビアの音楽というのはリズムなどの反復はみられず、言葉の抑揚にしたがってなだらかなメロディーが展開しいく。ヤナーチェクはモラビア音楽の起因を、話し言葉の抑揚からだと断定して、言葉と旋律の密接な関係を追究したという。人の話す言葉や鳥の鳴き声などもメロディーに書き起こして収集し、極端な例でいうと娘の臨終間際のため息までも採譜したという。その結果が有名なオペラ「イェヌーファ」などに結実されている。彼の有名なオペラはほとんどが、作曲家自身で台本も書かれている。そのことからも、いかに彼が言葉とメロディーの関係というものを重んじていたか理解できる。
このヤナーチェクが追究したメロディーを、彼自身が「発話旋律」「旋律曲線」という言葉で表現し、そしてそれがスティーブ・ライヒのオペラなどにも大きな影響を与えている。

ここまで言葉と旋律を追究したヤナーチェクが、自らをヤナチェックと発したならば、やはり「ナー」ではなく“ナ"とするべきだと思うのだが…

2007年12月14日金曜日

ナナナ

ディープ・パープルがデビュー曲
♪ハッシュを演奏する映像を初めて見ました。

1968年のテレビ映像のようですが、非常にその時代を映し出していて、結構気に入ってしまいました。
そして、何よりもこのディープ・パープルのあか抜けようには驚かされてしまいました。かろうじてリッチー・ブラックモアの顔は認識できたのですが、ドラムがイアン・ペイスなのか…ハモンドオルガンがジョン・ロードなのか…何度見ても信用できないのですけれど、メンバーの変遷からすると、絶対彼らが弾いているはずなので、納得いかないカラフルな衣装をまとっていたとしても、素直に受け入れるしかありません。
演奏と音楽自体は、文句のつけようがないくらい、素晴らしいです。
デビューがこれですから、やはり彼らの実力は桁外れだったということがよく理解できます。
それと同時に、ディープ・パープルがこのようなポップス路線を漫然と歩むことなく、彼ら独自のサウンドを模索し続けていたのだと、改めて思い知らされました。
この曲はアメリカのミュージシャン、ジョー・サウスが作曲したもので、それをディープ・パープルがカバーして、アメリカでは大ヒットしたようです。カバーで成功したがゆえに、必死にそこから脱却しようとしたのかもしれません。
ちなみに、クーラ・シェイカーなどもカバーしている曲です

ジョー・サウスという人はよく知りませんが、この曲は本当に素晴らしいと思います。「ナナナ~」とハミングするメロディーなどは、非常に印象的で一度聴いたら忘れることはないでしょう。
あまりにも知らないミュージシャンだったので、どんな音楽を作っていたのか聴いてみたら、自然と知っていた曲がもう1曲ありました。
♪The Games People Play

邦題を「孤独の影」というこの曲は、以前CMで流れていたような気がします。♪ハッシュと同様に印象的な「ナナナ」が…。このミュージシャンは、ハミングが得意なのかと思いつつほかの曲も聴いてみたのですけれど、聴いた限りでは「ナナナ」は2曲だけでした。ほんの一部だけしか聴いていないので、もしかしたほかに素晴らしい「ナナナ」があるかも─。


2007年12月13日木曜日

Little Martha

オールマン・ブラザーズ・バンドが1972年にリリースした
��枚目のアルバム「イート・ア・ピーチ」

画像The Allman Brothers Band
Eat a Peach
(1972)

タイトルとジャケットだけで魅力的なアルバムなのですが、当然のことながら、中身も大変すばらしいです。
個人的には一番最後の♪リトル・マーサが非常に好きです。デュアン・オールマン作曲のこの曲は、まさしくデュアンの遺作といっていいものでしょう。オープンEで奏でられる、デュアンとディッキー・ベッツのフィンガリング・ギターによるデュオが非常に美しい。2分余りしかないこの曲、美しいだけにあまりにも短く感じてしまいます。

リトル・マーサとは、ツアー中に出会ったマーサという12歳の少女のことで、デュアンがメロディーで彼女ことを表現したようです。

デュアン個人名義での作曲としてクレジットされている曲は、この曲が唯一だということです。もしかしたら、この曲が最もデュアンを表現しているものだと言えるのかもしれません。もっとも、スライドギターがなければ物足りない、と思う人は多いことでしょうが─。

レオ・コッケ(Leo Kottke)というアメリカのアコースティック・ギタリストが♪リトル・マーサを最も完成されたギターソングだと賞賛して、この曲をカバーしていて、ライブなどでもよく弾いていたようです。その素晴らしい演奏を載せようと思います。何せ、デュアンの遺作だけあって、この曲を実際に弾いている本人の映像は皆無なので…。

♪Little Martha / Leo Kottke


2007年12月12日水曜日

Fanfare for the common man

アメリカの作曲家アーロン・コープランドが、演奏会を始める前のファンファーレを作るようにと依頼され、完成したのが♪庶民のファンファーレ
まさに序曲といった感じで、これからの何かを予感させる。
ローリング・ストーンズのライブアルバム「ラブ・ユー・ライブ」のオープニングでも、この曲が使用されている。

画像The Rolling Stones
Love You Live

オリジナルもよく耳にする♪庶民のファンファーレ
Audio (mp3) by U.S. Marine Corps Band


エマーソン・レイク&パウエルパーマーがカバーしているバージョンが非常にかっこいいです。


それをさらにカバーしているエイジアもかっこいいです。

2007年12月11日火曜日

メタリカの家

ヘビーメタルバンド、メタリカのギタリストであるカーク・ハメットの自宅が7月から競売にかけられているそうで、なかなか売れなくて値段がずるずると下がっているとか。

��00年前に建てられた古い様式の建物らしく、900㎡、9つのベッドルーム、7つのフル・バスルームに3つのハーフ・バスルーム、ビリヤード専用の部屋、巨大な居間、2つの駐車場、美しい芝生の庭…小さなお城?

当初の価格が約13億円、それが売れなくて今は約11億円。
どこまで値崩れしていくのか、心配でなりませんが、僕にはどうすることもできません。

そんなカークは、現在、メタリカのニューアルバム作成に参加しているとのこと。これがリリースされると9作目のアルバムになるようです。ファンの皆さん、ファンであった皆さん、ファンになろうとしている皆さん、ニューアルバムが出たら、カークを救ってあげましょう$¥。
はて?カークのお家売却はお金に困ってのことか、はたまたお城に嫌気が差してしまってのことなのか…

そんなことよりも─

毎年6月に米・テネシー州で開催されている「ボナルー・ミュージック・フェスティバル」に、メタリカと再結成される予定のレッド・ツェッペリンが共演するかもしれない─、という噂のほうが気になります。メタリカのマネージメント側はフェスティバル参加の報道自体を否定しているようですが、一日限りの再結成だと思っていたツェッペリンが継続する可能性がでてきているこの状況、急転直下という可能性もあるでしょう。

※情報元・listen Japan 音楽ニュース


2007年12月10日月曜日

ダコタ・ハウス

ニューヨーク 12月8日
きょうがジョン・レノンの命日

例年のようにジョンを追悼する人は大勢いる

ジョンの反戦活動に焦点を当てたドキュメンタリー映画「アメリカVSジョン・レノン/PEACE BED」が公開されたり、ジョンを殺害したデービッド・チャップマンの内面に焦点を当てた映画「チャプター27」が公開されたり─

セントラルパークでは追悼集会が開かれたり─

ジョンの最後の住まいであるダコタ・ハウスは、セントラルパークのすぐ脇に建っている。休日のセントラルパークを訪れたことがあるのだが、人がたくさんいるにもかかわらず、非常に静かで静寂に包まれていた。公園の端を歩くと、ダコタ・ハウスが見えてくる。

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そばまで行っても、そこは平穏であり、とてもそこで悲劇があったとは思えなかった。



数日前、オノ・ヨーコがテレビのインタビューで、今の若者に対して何か一言と問われ答えた言葉が─
「─決して、あきらめないでください」
というものだった。
思わず目頭が熱くなった。

ジョン・レノンの死を嘆き悲しんでいるだけではなく、そこからさらに新しい何かを見出していかなければならないのだろう。

Give Peace A Chance

2007年12月9日日曜日

シュトックハウゼン逝く

テレビで世界遺産のケルン大聖堂を特集した番組を見つつ、インターネットでニュースをチェックしていると、偶然というか因果・因縁というか─
ドイツ・ケルン郊外のメトラート村で生まれた現代音楽の大作曲家、カールハインツ・シュトックハウゼンが12月5日に死去したようです。モーツァルトと同じ日に旅立ったということも、不思議なつながりを感じてしまいます。

シュトックハウゼンという名前は、こちらから求めなくても耳にするものの、彼の音楽はこちらから求めなければ、なかなか聴けないものなのかもしれません。
電子音楽の祖としてたびたび称えられるシュトックハウゼンではあるけれど、よく彼の創作活動を見てみると、決してスタジオにこもり黙々と録音しているわけではありませんでした。

��カールハインツ・シュトックハウゼン(ウィキペディアより)
��シュトックハウゼン見聞録(新しい情報を得られます)
��シュトックハウゼンDVDコレクション
��diskunion吉祥寺店ストアブログ(シュトックハウゼン特集)
��シュトックハウゼンCDガイド
��Complete list of works by Stockhausen (pdf)
��Karlheinz Stockhausen official site
��Stockhausen website video and audio files

ヘリコプター4台を使用したヘリコプター弦楽四重奏など、大規模で物議を醸し出す作品が多かったようです。
最近では2005年に来日し、2003年に完成させた長大なオペラ「光」を自ら指揮して演奏していました。
死の直前まで、一日の24時間を音楽で表現する24の連作「音(KLANG)」を作曲していたようで、これまでに21とか22作品が完成し2008年に完成する見込み─という憶測なども流れていました。残念ながら未完成となりそうです。

シュトックハウゼンを電子音楽のパイオニアと呼ぶのは、少しずれているような気がしてきました。
クラシック音楽、あるいは現代音楽というものに、電気楽器を積極的に用いた作曲家、それがシュトックハウゼンであるとした方がより正確なのかもしれません。

お疲れさまでした。


♪コンタクテ(kontakte)

※音楽はシュトックハウゼンの♪コンタクテです。映像は誰が作ったのか分かりませんが、非常に素晴らしかったので載せてしまいました。正直、音楽だけ聴くとつらいかもしれないこの作品…映像とともに見せられると、聴き入って・見入ってしまいます。

★少しマニアなサイトものぞいてみてください★


2007年12月8日土曜日

2つを1つに

むかし嘉門達夫が2つの曲を1つにして笑いをとっていたような気がするが、何と何をまとめていたのか忘れてしまった。
笑いのネタとしてだけではなく、2つの曲を1つの曲にしたカバー曲というのを、たまに聴くことができる。お笑いのネタでなければそれはマジメだといえるのかどうか分からないけれど、僕の知っている“2つを1つにした音楽"はなかなか素晴らしいと思う。

ハワイ出身のイスラエル・カマカウィオ・オレが歌っている
♪虹の彼方に/この素晴らしき世界
という何とも贅沢なカバー曲は、その贅沢さに負けないくらい素晴らしい合体をみせている。

見事な融合もさることながら
この巨大な体にもっとビックリするのだが…

画像Israel Kamakawiwo'ole
「Facing Future」


もう一つ、見事な“2つを1つに"の曲を─

フォー・シーズンズの♪君の瞳に恋してる
��2の♪約束の地
この2曲を合体させたのがペットショップ・ボーイズ
♪Where the streets have no name/Can't take my eyes off you

もとの曲がどちらも素晴らしいとはいえ
見事な発想だと思う。

画像Pet Shop Boys
「The Complete Singles Collection」


2007年12月7日金曜日

ヘビーメタルの起源

2008年2月にヘビーメタルバンドのアイアン・メイデンが来日するそうだ。正直、まだ活動していたのかと、驚きを隠せない。
1980年にアルバム「鋼鉄の処女-IRON MAIDEN-」でデビューして、今年で27年目─もっと長い人たちがいるわけだから、決して長くはないのだが…

画像鋼鉄の処女

個人的な記憶として─
アイアン・メイデンが最初にベビーメタルと呼ばれた…と何かのレビューで呼んだ記憶がある。
’80年代にイギリスで沸き起こったNWOBHM(New Wave Of British Heavy Metal)という潮流により、ヘビーメタルという新たなジャンルが初めて世の中に認知されたと思うのだが、その中心にあり先陣を切っていたのが、アイアン・メイデンなのだ。アイアン・メイデンをメタルの起源と呼びたがるのも分かる気がする。

考えてみれば─
ロックやモッズなどというものは、音楽ジャンルというよりもファンションとかスタイルの総称のようにも捉えられるわけで、ヘビーメタルもまたその例外ではないであろう。
音楽的に、ロックとは何か、ヘビーメタルとは何か、など問われても明確に答えられるはずもなく、強引に答えを見いだそうとすると、どうしてもそのスタイルやファッションへと矛先を向けるしかない。そんな曖昧なものの起源など、本当は分かり得るはずはないのかもしれない。

ヘビーメタルという言葉─
その言葉が最初に登場したのは、作家ウィリアム・バロウズの造語によるものだという。そして、その言葉が音楽界に初めて登場するのはステッペン・ウルフ♪Born to be Wildの歌詞の中だという。
音楽としてのヘビーメタル─
その始まりは、1970年にデビューしたブラック・サバス…、もっと遡ってビートルズの♪ヘルタースケルター…、あるいはレッド・ツェッペリンディープ・パープルといったバンドが引き合いに出されるが、それらは今でこそ原点としてピックアップできても、当時は決してヘビーメタルなどとは呼ばれていなかったはずである。故に、これらがヘビーメタルの起源だと捉えるのは間違っているだろう。やはり、歴史上初のヘビーメタルブームである’80年代をその起源と捉えることが自然であるように思うのだが…。

現在の有力な起源説─
1967年に結成されたアメリカのバンド、ブルー・オイスター・カルト(Blue Öyster Cult)がバロウズの言葉を借りて自分たちの音楽を“ヘビーメタル"と表現したのが、最も有力な起源だとみられている。ロックの最初がビル・ヘイリー♪ロック・アラウンド・ザ・クロックとするならば、ベビーメタルの起源がブルー・オイスター・カルトとするのも決して間違ってはいないだろう。しかし、ロックを愛する人、あるいはメタルを愛する人にとって、あまり納得できるものではない。

音楽の起源なんて、そんなものなのだろう。

♪Godzilla / Blue Oyster Cult

2007年12月6日木曜日

クィーンの新曲

イギリスのバンド、クィーンがニューシングルをリリースしたようです。クィーン+ポール・ロジャースとしては初のスタジオ録音です。

♪Say It's Not True

※2007年の世界エイズデー(12月1日)に、南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が中心となって行われたエイズ撲滅キャンペーンの一環として、この曲がリリースされた。マンデラ氏は前妻と子供をエイズによる合併症で亡くしている。

この曲は無料でダウンロードできるそうなので
気に入った方はどうぞ─

QUEEN + PAUL ROGERS
"Say It's Not True"
free download



1973年にデビューしたクィーンは、1991年ボーカルのフレディー・マーキュリーがHIV感染合併症による肺炎で死去すると、そのまま活動を休止していました。しかし、2005年にクィーン+ポール・ロジャースとして活動を再開、ヨーロッパ・日本・アメリカなどで行われたツアーは大成功していました。
そして、やっと新しいユニットでのニューシングルがリリースされて、2008年にはニューアルバムがリリースされると噂されています。

新たなクィーンは、これからどうなっていくのでしょうか。

2007年12月5日水曜日

韃靼人の踊り

ボロディンの有名な曲、♪韃靼人の踊り
不思議なメロディーであり魅惑的なメロディー、なおかつ迫力があって、非常に好きな曲の一つです。

“韃靼"─なんと読むのか分からなかったし、なんでこんな難しい邦題になってしまったのか…そういう民族を題材にした音楽だから仕方ないかな、と思っていたのですけれど、ボロディンが名付けたタイトル“Половецкая пляска с хором"を直訳すれば“ポロヴェツ人の踊り"となるらしいのです。(英語訳:Polovetsian Dances)
韃靼人とはポロヴェツ人を指すのかと思いきや、韃靼人=タタール人でありポロヴェツ人=クマン人である、タタール人はモンゴル系でクマン人はチュルク(トルコ)系…、世界史でうっすらと聞いたことがある響きはあるが、何が何だかよく分からないのが正直なところ…、要するに韃靼人とはПоловецкая=Polovetsian=ポロヴェツ人ではなく、「韃靼人の踊り」は「ポロヴェツ人の踊り」とするべきだということなのです。

それにしても、誰がどういう理由から「韃靼人の踊り」と訳したのか大いに疑問であると同時に、その真意を知りたいところですけれど、誰が訳したかのなど知る由もなさそうです。
韃靼人という呼び方は中国からきているわけですけれど、ポロヴェツ人に対する中国語は存在しなかったのかもしれません。タタールとは、もともとモンゴル系とチュルク系の民族の総称として使用されていたらしく、ポロヴェツ人は韃靼人の中に含まれると考えるのは自然なことだったのでしょう。

いまさら、「韃靼人の踊り」という曲名を「ポロヴェツ人の踊り」とするのは少し違和感を覚えてしまいますが、改名すると英語表記とリンクするので分かりやすいかもしれません。難しい漢字もなくなりますし─。
ただ、何で改名するに至ったのか、これを説明するのはかなり苦労するのではないでしょうか。
個人的には、「韃靼人の踊り」とするほうが曲の内容に合っているのかなと思っています。

小難しいことより、音楽を素直に楽しみましょう。


※途中で終わってしまうのが痛いです












2007年12月4日火曜日

一万人の第九

昨日、大阪で一万人がベートーベンの交響曲第9番を歌ったようです。

サントリー 一万人の第九


これだけ人数がいると、当然、迫力はあるのですけれど
歌うのも演奏するのも、非常に大変そうでした。

2006年 合唱部分の動画


ギネスへは申請していないようですけれど、恐らく
人数は世界一だろうと思います。

ちなみに─

面白ギネス記録として─

★1730人がギターでボブ・ディランの「天国への扉」を一斉演奏、ギネス申請中(インド 2007/10/27)


★1683人がギターでディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」を一斉演奏、現在のギネス記録(米・カンザス 2007/6/3)





規模が大きければいいというものではないようです。

2007年12月3日月曜日

千人の交響曲

グスタフ・マーラーの交響曲は大げさなくらいにドラマチックだと思うのだが、その最たるものは交響曲第8番なのかもしれない。何せ“千人の交響曲"と言われているほどだから─

マーラー 交響曲第8番 変ホ長調 (1906)
Mahler:Symphony No. 8 in E flat major

1部 賛歌「来れ、創造主なる聖霊よ」
Part1 Veni Creator Spiritus
※中世マインツの大司教フラバヌス・マウルス(776?~856)作といわれるラテン語賛歌

2部 ゲーテ作「ファウスト」第2部から最後の場
Part2 Final Scene from Faust
※ゲーテの戯曲「ファウスト」の第2部終末部分に基づいた歌詞


“千人の交響曲"とはマーラー本人がつけたものではなく、宣伝用のポスターに"Symphonie der Tausend"と載せられたキャッチコピーが、そのまま標題のようになってしまったらしい。つまり通称のようなもの。
最初この通称を目にしたとき、本当に千人もの人数で演奏しているのか─、誇張した表現だろうと思ったが、アメリカでの初演では1068人で演奏している。
実際の映像を見ると、正確に千人以上いるのか分からないが、その規模から“千人"と表現しても全く問題ないと思ってしまう。



このラトル指揮のエンディング部分を聴いただけで、結構感動してしまうが、第8番の最初からずっと聴いてこのエンディングを迎えたならば、もっと感動できるだろう。
ただ、マーラーだけに長いです。その長さを耐え抜いてこその感動です。どうぞ─

画像 マーラー:交響曲第8番
 「千人の交響曲」


2007年12月2日日曜日

ジョン・ケージを聴く

ジョン・ケージを聴いていますか?

見たり、読んだりするのは簡単ですが

ケージを聴くのは意外と難しい。

しかし

♪Dream という曲

楽な気持ちで聴くことができます。



この曲は「in a Landscape」というCDで聴くことができる。

画像John Cage
「in a Landscape」

普通の音楽を堪能できます。

ケージに疲れたらケージで癒せばよいかと─。


2007年12月1日土曜日

鈴木荘の思い出 ~キノコ~

土壁というのは日本の伝統建築様式らしいのですが、今の世の中、土壁での新築というのはほとんどないだろうし、土壁の古い住宅も少なくなっているだろうから、土壁の存在自体が信じられないという人も多いのではないでしょうか。

僕も、壁からキノコが生えているのを見るまでは、土壁の存在すら頭にありませんでした。

築30年、いや35年だったか
僕が以前住んでいた歴史あるアパート鈴木荘
その風呂場に、突然
真っ白いきのこが生えていたのです。

もしかして、この家、土壁?

壁に塗られたモルタルが少しだけひび割れていて、そこからキノコが1本だけ生えていて、たまに土がぱらぱらと落ちるのを見ながら─

土壁だ!

と確信しました。

キノコが一度生えると菌糸が根付くのか、毎年のように生えてきました。冬場に枯れてなくなり─、少しだけ安心していると─、夏にまた少し違う所から生えてくる…それが毎年のように続きました。

土壁といっても、まさかモルタルで塗られている内部がすべて土で埋め尽くされているわけないだろう、と思っていたのですが、土壁というのは本当に土だけで成り立っているのだと知る日がやってくるのです。


その年のキノコは、例年に比べて高い位置から生えていて、真っ白だったものが多少くすんだ色をしていました。色味からもすぐに元気がないというのは分かったのですけれど、やはり、枯れてなくなってしまうのも早く、冬を待たずに奇麗にキノコがなくなってしまいました。もしかして、これでキノコが生えてこなくなるのかも─と淡い期待と、微妙な寂しさを感じました。
キノコがなくなって数日後の夜─
風呂に水を入れて、ガスでお湯を沸かしている間を利用して外に買い物に出かけました。20分ほどで帰宅したのですが、家の前まで来ると消したはずの風呂の明かりが付いているかのように、風呂の窓ガラスが明るく照らされていました。
あれ?何か嫌な予感が…
おそるおそるドアをそっと開けて、キョロキョロしながら玄関に入り─
すぐさま風呂をのぞいてみると─
風呂の壁に大きな穴が開いていて、隣の住人の風呂場からの明かりで、僕の風呂場が明るく照らされていたのでした。
風呂釜の中にはお湯の代わりに、大量の土が入っていました。
やっぱりこの家の壁は土壁だったんだと、そのときやっと知ることができたのです。

さて、その惨状から一夜明け─
大家さんがすぐさま駆けつけて、土を奇麗に処理して、風呂も奇麗に掃除してくれました。また、大きな穴の開いた壁一面に、分厚い木の板を張り巡らし、当面の応急処置をしてくれたのです。キノコはもう二度と見ることはありませんでした。
応急処置の板の壁、その後、数年同じ状態で、結局僕が引っ越す間際までその状態でした。もしかしたら、いまも同じかもしれません。万が一、鈴木荘がまだ生き残っていたらの話ですけど─

2007年11月30日金曜日

鈴木荘の思い出 ~騒音~

海外のニュースで、音楽がうるさいと隣人を殺害したという記事を目にしました。同じような事件は絶えないものです。なにも殺害することはないと思うのですけれど、音楽というものは人を癒やすものであると同時に、不快感を与える雑音にもなり得るということなのでしょう。

そういえば─

��0年以上も昔のことになるでしょうか
僕が鈴木荘という築30年以上にもなるアパートに住んでいたときのことです。
当時、暇さえあればギターばかり弾いていた自分は、深夜になってもずーっと演奏し続けていました。
そのアパートは、建て付けが非常に荒く、至る所に隙間があったり─、隣同士・上と下との仕切りの壁や床が非常に薄かったり─、歩く音はもちろん、寝息さえ聞こえてくる状態でした。
すなわち、1階で僕が弾くギターの音は、上にも隣にも、思いっきり聞こえている状態だったのです。それとは逆に、隣のテレビの音も、上の音楽を聴く音も、僕の方に思いっきり聞こえてくるような状態でした。騒音・雑音の感覚は完全に麻痺していて、いつ・どんなとき・どんなギターの音を鳴らしたとしても平気だろうと思ってしまっていました。

しかし─

例のごとく深夜にギターを弾いていると、上からドーン、ドーンという音が聞こえてきました。一瞬なんだとギターを弾くのをやめて耳を澄ましていたのですが、それからは何も音がしてきません。偶然の音だろうと思い、再びギターを弾き始めると、またドーン、ドーン…。どうやら、ギターの音に抗議をしているようなのです。
すぐに弾くのをやめればいいものの、なぜか僕は意地になってギターを弾き続けてしまいました。ギターの音、ドーンドーンという音、入り乱れ…
しばらくすると、上から音がしなくなりました。「勝った…」と思ってしまいました。なんと愚かな…
人間愚かになればどこまでも愚かになるものかもしれません。もはや、ギターを弾く気がなくなっていたにもかかわらず、なぜか意地になって弾くことをやめられなくなってしまい、静けさのなかずっと演奏していました。

すると─

トントンとドアからノックする音が…

正直、かなり心臓が高鳴っていました。
おそるおそる、そっとドアを開けると…

一人の女性が怒りに燃えた表情で
「何時だと思ってるんですか、人の迷惑を考えてください」
と冷たく僕に語りました。
「すみませんでした…」と答えるしかありませんでした。

しばらくの間、ギターを弾くのを控えました。

しかし─

それからも、しばしば深夜にギターを演奏しました。

いま考えると、よく生きながらえていると思います。

いまはもちろん、そんな愚かなことはしていません。


音楽が雑音にならないように気をつけましょう。

2007年11月29日木曜日

In Rainbows

レディオヘッドのニューアルバム「In Rainbows」が12月3日より日本でもダウンロード購入できるようになるらしい。
このアルバムは、購入者が自ら値段を決めて・支払い・ダウンロードするという新しい試みがされている。つまり0円でもダウンロードできるわけだ。
イギリスでは10月から販売されている。日本からでも購入できるはずだ。実際にダウンロードした日本人もいるようだし─
��>> シスコス Radiohead In Rainbowsを買ってみた(購入方法)
有料でダウンロードした人は30万人~50万人で、平均購入価格は6ドル(約660円)だという。つまり、2億円~3億円を得たことになる。
彼らの今回の試みは、レコード会社などの仲介は全くなく、完全に独立して行っているために、ダウンロードの収益はそのままバンドの収益となる。
またダウンロード販売のほかに、歌詞などアートワークを含めたCD販売もされるらしいのだが、それも各国のインディーズレーベルとバンド側が直接契約を結んで販売されるらしい。(日本で販売されるレーベルは、ホステス・エンタテインメント)
また、「DISCBOX」として、ボーナストラックやデジタル写真集・追加アートワークなどを含めたスペシャルバージョンも40ポンド(約9400円)で、彼らの公式サイトで販売されるようだ。
��>> RADIOHEAD

本当に無料でダウンロード可能かどうか試してみた。

できました。

本当に値段を自ら指定して
本当にその値段でダウンロードできる。

視聴できるようになっていないので、彼らのファンでない限り、いきなりいくらと値段をつけて購入するのは気が引ける…自分もその一人。そういう人は、とりあえず無料でダウンロードして、それを聴いた上で値段を決めてまたダウンロードしてもいいのではないだろうか。無料で聴いてしまったら、なかなかもう一度・お金を出してまでダウンロードしようとするかどうかは、大いに疑問だが─。
ダウンロードする際は、自らの情報を登録するようになっている。すなわち今後も見据えているのは明らかだ。無料ダウンロード、それは大いなるプロモーションでもある。彼らの音楽がどんどん広がることこそが、彼らにとって本望なのではないだろうか。

全く無名のバンドがすぐにレディオヘッドのようにはできないだろうが、努力次第で自分一人で世界を舞台に活躍できるかもしれないという可能性は秘めている。

アルバムの内容は─
��0曲、約43分
良し悪しは自分で聴いて判断するべきでしょう。

RADIOHEAD_IN RAINBOWS


2007年11月28日水曜日

クワイエット・ライオットのケビン・ダブロウ死去

ショッキングなニュースを目にしました。

ヘビーメタルバンド、クワイエット・ライオットのボーカリスト:ケビン・ダブロウが25日にラスベガスの自宅で、遺体で発見されたそうです。死因は不明。

クワイエット・ライオットといえば、若くして亡くなり伝説となったギターヒーロー:ランディー・ローズが在籍していたことでも有名ですが、なんと言っても1983年にリリースしたアルバム「METAL HEALTH」が大ヒットしたことで知られています。このアルバムは全米ナンバー1になっており、当時としては非常に珍しいことでした。

画像QUIET RIOT
METAL HEALTH
(1983)

ケビン・ダブロウのボーカルこそがクワイエット・ライオットだというほどに、彼の声は特徴的であり、非常にヘビーメタルらしいものでした。1986年のヘビーメタル・チャリティープロジェクト:ヒア・アンド・エイドでも、彼のボーカルが聴くことができます。
��>>♪スターズ
��2歳というあまりにも短い命─、非常に惜しい思いです。
クワイエット・ライオット最大のヒット曲♪カモン・フィール・ザ・ノイズを聴きながら、ケビン・ダブロウのご冥福をお祈りいたしましょう。

2007年11月27日火曜日

映画監督 プリンス

プリンスは自伝的映画「パープル・レイン」(1984年)のサウンドトラックを大ヒットさせ、自ら主演している同映画の興行収入も6800万ドルという大成功を収めて、名実ともに世界のトップに名を連ねました。

つまり映画が彼を大きくしたと言っていいのでしょう。

その後、彼は音楽だけでは飽き足らず、3本の映画を監督しています。

アンダー・ザ・チェリー・ムーン (1986)
サイン・オブ・ザ・タイムス (1987)
グラフィティ・ブリッジ (1990)

音楽の評価と裏腹に、映画監督してのプリンスの評価は惨憺たるものです。唯一、多少評価されている「サイン・オブ・タイムス」は、同名の音楽アルバムのコンサートツアーの様子を追ったドキュメンタリーであり、結局は音楽を演じていなければプリンスは評価されないということなのでしょう。

特に映画「アンダー・ザ・チェリー・ムーン」は、最低映画に送られるラジー賞を総なめにしているほど、最低の評価を受けているのです。

余談ですが、「アンダー・ザ・チェリー・ムーン」がラジー賞の作品賞を受賞した1986年は、映画「ハワード・ザ・ダック」もラジー賞の作品賞を受賞しており、作品賞が2作という年はこの年が唯一だということであり、いかにこの2作の評価が最悪かこのことからもよく分かります。
Gyao で「アンダー・ザ・チェリー・ムーン」を視聴可能
2008年1月7日(月) 正午まで
映画は大失敗しても、サントラとして発売された「パレード」はしっかりと大ヒットしています。



「グラフィティ・ブリッジ」は「パープル・レイン」の続編で、ここでプリンスは自ら監督もこなしています。大ヒットした「パープル・レイン」とは全く逆に、映画もサントラも大失敗。これ以後、監督として彼の名前がクレジットされることはなくなっています。

念のために付け加えておきますと─
映画監督としては能力を出し切れていないものの、ミュージシャンとしての彼は最高です。彼をおとしめいれようとしているわけではありません。むしろ、彼の映画が再評価され、もっと偉大なアーティストになってほしいと願っているほどです。そうは言っても、自分自身、彼の映画はなかなか受け入れることができませんが…

allcinema ONLINE -プリンス-



2007年11月26日月曜日

ル・マルトー・サン・メートル

フランスの作曲家で指揮者でもある
ピエール・ブーレーズ
1955年にドイツで「ル・マルトー・サン・メートル(Le marteau sans maître)」を初演し、それが大きな賞賛を浴びて、これをきっかけにブーレーズの名声が高まった。
��楽章からなり、演奏時間約40分─
��0世紀最高の作品のいとつと呼ばれている。
女声(アルト)、フルート、打楽器、ヴィブラフォン、シロリンバ、ギター、ヴィオラという楽器構成と楽曲が非常に合っている。それがこの曲を傑作としている一番の要因なのかもしれない。
実際に演奏している映像を発見することができなかったが、バレエ振付師のモーリス・ベジャールが「ル・マルトー・サン・メートル」を使用したバレエ作品が存在し、その映像を見つけることができた。
惜しいことに、22日、ベジャールは帰らぬ人となってしまった。享年80。この映像を堪能して、ベジャールに哀悼の意を捧げましょう。


ブーレーズ自ら指揮した音源は次のアルバムで聴くことができる。

画像Le Marteau Sans Maitre, Derives.1, 2
Boulez / Ensemble Intercontemporain

収録されている1988年の作品「デリヴ第2番 11の楽器のための」なども、非常に素晴らし。「ル・マルトー・サン・メートル」がよりアグレッシブに発展したような作品だ。


2007年11月25日日曜日

ギター&ボーカル ファイナルアバンギャル

前回
前々回
前前々回
と続いて、まだやるのかという声も聞こえてきますが
残念ながらこれが本当に最後でございます。

ふと思ったことがあります。一般的には
ボーカル&ギター
という呼び方をするのではないかと─。いまさら…

個人的にギター大好きなので仕方ありません。


さて、最後は最後にふさわしい人を─

フランク・ザッパ
なんてどうでしょう。
正直、あまり聴いたことがありません。何せ60以上ものオリジナルアルバムをリリースしている上に、ロック、ジャズ、果ては現代音楽まで音楽性を広げて作曲をしているので、なかなか捉え所をつかめないまま、放置しておいたようなものなのです。
現代音楽の巨匠といえるピエール・ブーレーズがザッパを評価し、さらにはザッパの楽曲まで演奏しているそうです。そう言われるとすごいんだろうなと思ったりするのですが、ブーレーズの本当のすごさを知らない自分などには、あまりピンとこないのです。
とにかくも、解説など文章を読むより、まずはザッパの音楽に実際に触れてみることが一番です。

♪Easy Meat


いま気がついてしまったのですが
ザッパは弾きながら歌うというより
弾くか歌うかどちらかだ、なと─
歌っているときは弾かず
弾いているときは歌わず
どちらも優れていれば
なにも同時にやらなくてもよいということでしょう。


♪Packard goose


ここではザッパのギターを聴くことはできませんが
曲の合間に
ストラビンスキーの組曲「兵士の物語
バルトークのピアノ協奏曲第3番
などのメロディーを取り入れていて
現代音楽家フランク・ザッパの特徴がよく表れている
ような気がします。
映像は1988年のワールドツアーから抜粋したものらしいです。
このツアーでは毎日演奏する曲目が違っていて
そのためメンバーが覚えた曲は数百曲にもおよび
リハーサルには半年もかけたそうです。
その曲を覚えて習得するまでに多大な費用を使い
ツアーは大赤字、しかもメンバー間のいざこざから
ツアーは途中でキャンセルというもったいない結果に─
すべてがアバンギャルドなフランク・ザッパなのでした。
ただ斬新であっただけではなくて
作曲家としての実力も確かなものだったというのを
アルバム「The Perfect Stranger」で確認してみてください

画像Frank Zappa
「The Perfect Stranger」
(1984)

ザッパの楽曲をブーレーズが3曲指揮しているそうです。


ここで終わるの、なんかザッパ特集のようになってしまうので、もう一人、ジャパーニーズ・アバンギャルド・ギターリスト&ボーカリストを挙げておきましょう。そうすれば、“帰ってきたギター&ボーカルJP"みたいな記事を書かなくても済みます。

灰野敬二
♪不失者


何も言うことはありません。
すごいかひどいか
それは自分自身で決めてください。
もっと詳しく知りたい方はこちらで─
少しマニアな音楽データベース 灰野敬二


ではホントにこれで
さようなら

2007年11月24日土曜日

ギター&ボーカル リターンズJP

前回
前々回
と懲りずにまたもやギター&ボーカルの達人を─。

日本人にも素晴らしいミュージシャンがいるはず
自分はあまりそれらに触れていないのですけれど…
無い知恵を振り絞っての選出になるので
粗末なものになるかもしれませんが、ご勘弁を…

さて、僕の中でギター&ボーカルの頂点は
エリック・クラプトンであると勝手に思っているのですが
日本のクラプトンといったら
柳ジョージ
恐らく素晴らしいのでしょう。
♪YOKOHAMA'66



Charという人も日本を代表するギタリストであり
歌もなかなかうまいような気がします。
♪Smoky

好みは別として
非常にうまいのは確かです。

♪Crossroads

こっちのほうが和製クラプトンと呼ぶにふさわしいのかも─
もっとも、そう呼ばれることを本人達はよしとしないでしょうれど…

さて、Charは様々なミュージシャンと親交が深く
山崎まさよし
彼もその一人とか─。
♪ドミノ

もしかして、ボーカルよりもギターの方がものすごく腕があるかもしれません。Charとの共演もなかなか素晴らしいです。
♪セロリ


こんなものでしょうか。
もっといるでしょうね。でも僕は
ギターがなくても歌うことができて
歌がなくてもギターで聴かせることができる
日本人ミュージシャンをほかに知りません。
なので、あとは誰か暇な人に託して
自分はこれで、さようなら。

2007年11月23日金曜日

新ギター&ボーカル

前回から懲りず、まだまだボーカル兼ギターの達人を探訪いたします。

ある人は言っていました
「ブルース畑にはすごい人がたくさんいる」と…>>(この人)
確かに。
僕も昔、ライブハウスでアマチュアのブルースバンドを見たときに、なんて歌がうまくて、しかもギターまでもうまいんだろう、と思ったものです。アマチュアレベルでものすごいと感じてしまったわけだから、その頂点に立つアーティストは間違いなくギター&ボーカルの達人であるはずなのです。

マディー・ウォーターズ
♪Train Fare Home Blues



個人的には好きになれないのですけど
世間の評価は素晴らしいアーティスト
ジョージ・ベンソンも挙げておかなければならないでしょう。
その音楽は間違いなく素晴らしいものですから─



♪Breezin'
個人的にはこちらのインストゥルメンタルの方が好きです。



意外と言ったらなんですけれど…
プリンスの♪パープル・レインを聴くと
彼もまた素晴らしきギタリスト&ボーカリストだと思ってしまいます。
♪Purple Rain


泣けます...

泣けるといえば─

デビッド・ギルモアの泣きのギターとボーカルも素晴らしい
♪Shine On You Crazy Diamond



こんなものでしょうか、ビッグネームは─。
もっといそうな気がしますけど、きりがないのでこの辺でさようなら。

2007年11月22日木曜日

続ギター&ボーカル

前回の「ギター&ボーカル」に続きまして─
今回は実際に彼らのスゴ技を見て聴いてみようと思うわけです。

エリック・クラプトン
♪Holy Mother (Eric Clapton & Luciano Pavarotti)



♪Rambling on My Mind Have You Ever Love A Woman


♪Layla


ジミ・ヘンドリクス
♪Wind Cries Mary


♪Like a Rolling Stone

♪Voodoo Child

♪Hound dog


スティービー・レイ・ボーン
♪Pride of joy


♪Texas Flood

♪Voodoo Chile


ロバート・クレイ
♪12 Year Old Boy (with Ramsey Lewis)



マーク・ノップラー
♪Brothers In Arms (Dire Straits)



スティーブ・ルカサー
♪Rosanna (TOTO)



マイケル・ヘッジス
♪Come Together



エリック・ジョンソン
♪Trail of Tears



エイドリアン・ブリュー
♪Elephant Talk (King Cirimson)



リオーネル・エルケ
♪Virgin Forest (Herbie Hancock Quintet)



トニーニョ・オルタ
♪Igreja do Pilar



ジョアン・ジルベルト
♪Desafinado




ただの映像の垂れ流しだったか…

ギター&ボーカル

2007年11月21日水曜日

ギター&ボーカル

ギターを弾きながら歌うというのは意外と難しい。
慣れとして体に染みこませてしまえば、ある程度できると思うけれど、歌と演奏2つの意識を同時に持つことはなかなかできない。
プロと呼ばれる人ならば、2つの意識を持ちながら演奏しているとは思うのだが、ボーカルもギターも自由自在に操っている人はどれだけいるのかと考えたとき、どちらも優れているミュージシャンは非常に少ないのではないかと思ってしまう。

ギターもボーカルも非常に優れている人、ただうまいだけではなく、どちらもトップクラスの人となると─…

やはり
エリック・クラプトン
ジミ・ヘンドリクス

スティービー・レイ・ボーン
ロバート・クレイ
マーク・ノップラー
(ダイアー・ストレイツ)
スティーブ・ルカサー(TOTO)
なんかもいいし─

個人的には
マイケル・ヘッジス

エリック・ジョンソン
これが最高

あるサイトには
エイドリアン・ブリュー(キング・クリムゾン)
最強説が…>>これを見れば納得できるだろうか

ギタリスト ボーカリスト で検索すると
リオーネル・エルケ
この人が真っ先に出てきた

ほかに
トニーニョ・オルタ
ジョアン・ジルベルト
ブラジル勢


もう少しいそうな気がしますが、もう思い浮かびません。
次は彼らを映像検証する予定。

2007年11月20日火曜日

夜想曲






ボロディンのノクターンを聴いていました。

弦楽四重奏曲第2番・第3楽章より
Notturno from string Quartet No.2  
(ボロディン四重奏団)

Weekly Audio10




ノクターン=夜想曲とはなんなんだろう?
始まりはアイルランドの作曲家ジョン・フィールドが19世紀初めに作曲した、「夜想曲」から─
それにショパンが影響を受けて、自らも自らの「夜想曲」を作曲し、より自由でロマンティックな楽曲に発展させた…
ということなのですが、そこには明確な定義などないのです。
ピアノの小品から出発したノクターンは、弦楽から交響曲の一部にまで発展している。なんでもりですね。
つまり、作曲家が、これは夜想曲だ、と宣言するだけ。
名前だけでつながっている音楽形式なのでした。

夜に想うことは人それぞれ違うわけで、それゆえに、夜想曲を聴けばその作曲家の特徴を一番捉えることができるのかもしれません。

夜想曲 第20番 嬰ハ短調
『レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ』(ショパン)
Wladyslaw Szpilman plays Frederic Chopin's Nocturne in C#min



2007年11月19日月曜日

一五一会という名の楽器

NHK-BSでヤイリギターを紹介していた。
ヤイリギターとは日本が世界に誇るギターメーカー
なのだそうだ。
すべて手作りでギターを製造、オーダーメイドまでこなすそうだ。

番組ではビギンがヤイリギターに依頼した、三線のようなギターを取り上げていた。その楽器は、三線の3弦にもう1本弦を加えた、4弦の新しい形のギターで、チューニングは1弦(一番高い弦)からCGCG(ドソドソ)という並びになっていて、開放弦自体が和音になっている。だから指1本で全部の弦を押さえただけで、あらゆる和音を出せるので、非常に簡単に習得できるという。

一五一会
画像


��万円~10万円の値段で売られいて、決して安くない。
簡単であるとはいえおもちゃではなく、しっかりとした楽器なので、それぐらの投資は仕方ないだろう。その程度の値段で比較的楽にメロディーを奏でられるのならば、むしろ安い買い物かもしれない。

参考までに─
三線だと3万円クラスで最高級
最も高い三線は100万円とか200万円だという。

ギターだと10万円のものならば、十分素晴らしい。
クラシックギター製作の名門「ホセ・ラミレス」の最高峰クラスだと、400万円近くするようだ。

レスポールのビンテージものだと数千万円するものもあるようだが…

ギターでの史上最高額は
エリック・クラプトン使用のフェンダー・ストラトキャスター、通称:ブラッキーがオークションで95万9,500ドル(約1億550万円)という値がついたもの。

史上最高額の楽器は
去年ニューヨークのオークションで354万4,000ドル(約3億9,000万円)もの値段をつけたストラディバリウスである。

まぁ庶民には関係のないことではあったが…


2007年11月18日日曜日

Capriccio, for solo tuba

ポーランドの作曲家、クシシュトフ・ペンデレツキが作曲した
♪Capriccio, for solo tuba
を聴いていました。


日本語タイトルは
「チューバのためのカプリッチョ」

カプリッチョ?
とはイタリア語で奇想曲なのだそうです。

奇想曲?
とはイタリア語で「気まぐれ」という意
自由で軽快な器楽曲形式なのだそうです。

つまり
チューバのための奇想曲
ということであり
その名のとおり
奇妙で想像豊で
同時に笑えます。おならのようで…

ペンデレツキは決して笑えるような作曲家ではありません。
ポーランド人らしく
非常に感傷的で、非常に敬虔な作曲家といえるでしょう。
広島の犠牲者の追悼のための-哀歌 (弦楽合奏)



チューバのための奇想曲─
悲しい叫びなのかもしれません。


余談ですが─
ペンデレツキという名の星があるそうです。
21059 Penderecki
同姓の科学者が発見したのかと思いきや
発見したのは
フライムート・ベルンゲンというドイツの天文学者で
惑星ペンデレツキの“ペンデレツキ"は
作曲家ペンデレツキの“ペンデレツキ"
なのだそうです。
ペンデレツキのファンだったのでしょうか。
自分の名前ではなくほかの作曲家の名前をつけるとは
なんとステキなことなんでしょう。


2007年11月17日土曜日

この素晴らしき世界

世の中で名曲と呼ばれている曲でも
それが好きかどうかは、また別の話。

ただ素晴らしいからという理由だけで
押しつけられ、聴かされたとしても
決して好きになれるものではない。
それは、むしろ、非常に迷惑で不幸なことかもしれない。

常に
素晴らしい曲を何も知識のないままに探り当てる
それが一番理想なのかもしれないが
そうもいかない。
素晴らしいと呼ばれると
常に世の中に流れているものだから─。

サッチモと呼ばれたルイ・アームストロング
彼が歌った♪この素晴らしき世界
至る所で流れていて
なんでこの曲がこんなにも流れているのか…
それを理解できなければ
最悪の場合、邪魔でしかない。
自分も最初はそうだった。


作詞・作曲は
G.ダグラス(本名:ボブ・シール)と
ジョージ・デヴィッド・ワイス

ボブ・シールがベトナム戦争に嘆き
平和な世の中を夢見て書いた曲



I see trees of green
red roses, too
I see them bloom
for me and you
And I think to myself
"What a wonderful world !"

I see skies of blue
and clouds of white
On the bright sunny day,
or in the dark sacred night
And I think to myself
"What a wonderful world !"

I see the colors of the rainbow
so pretty in the sky
And also on the faces
of people going by
I see friends shakin' hands
sayin' "How do you do?"
I know they're really saying
"I love you"

I hear babies cry
I watch them grow
I know they'll learn
much more than I'll ever know
And I think to myself
"What a wonderful world !"
木々の緑
赤く萌える薔薇
あなたとわたしのために咲き繁る
そしてわたしはひとりつぶやく
「なんて世の中は素晴らしい!」


紺碧の空
純白な雲
輝くように晴れた日も
神秘的な夜も
そしてわたしはひとりつぶやく
「なんて世の中は素晴らしい!」

七色の虹が
空に美しく映える
通りゆく人々の上にも輝く
握手を交わす人々
「はじめまして」と
挨拶を交わしている
だけど本当は
「愛しています」といっているのさ

赤ん坊のなく声
彼らが育つのを見守る
彼らはわたしが想像する以上に
いろんなことを学んでいくだろう
そしてわたしはひとりつぶやく
「なんて世の中は素晴らしい!」



テレビを見ていると
戦争映像のバックに♪この素晴らしき世界 が流れていた

これを見た瞬間
この歌の願いを感覚的に感じることができて
この歌が非常に好きになってしまった。

名曲と言われている曲
その本当の良さを自ら見つけたとき
その度ごとに
音楽そのものを
好きになっていくような気がする。


2007年11月16日金曜日

翼をください

赤い鳥の♪翼をください
初めて聴いたのは学校の授業だったろうか─
正直、あまり好きになれなかった。
なんか古くさくて…
説教じみていて…
特別、説教じみた歌詞じゃないけれど
学校で習ったということから勝手に説教くさいと決め込んだだけなのだが。

時を経て─

NHKで「翼をください」というドラマを見た。
ちょうど高校受験のころだったか。
息抜きにテレビをつけて、たまたま見たら
非常に面白くて、最後まで見て─
数年後に再放送で2回は見ただろう─
そして、ビデオでも見た。
この作品
確か江口洋介の初主演だったと思う。
ジェームス三木の脚本。
落ちこぼれの高校と進学校という対立軸があり
落ちこぼれ高校の生徒に焦点を当てたもの。
途中、ドラマでありながらドキュメンタリーのように、生徒ひとりひとりにインタビューをしているようなリアルな映像を淡々とつないでいる場面が、非常に好きだ。このシーンは、アッバス・キアロスタミ監督の「ホームワーク」というドキュメンタリー映画に、大きな影響を与えていると、勝手に思っている。それほど素晴らしいシーンだ。

ドラマのおかげで
♪翼をください への偏見がなくなったように思う。

いまは
少しだけ
この曲が好きだ。

ギターで弾き語りをしたい方は >> こちら
ピアノで弾き語りをしたい方は >> こちら
素晴らしい演奏をという方は >> こちら




2007年11月14日水曜日

Joy

きょうも非常に暖かい一日でした。

とても11月とは思えない
まだ、10月のような陽気
すぐに12月が迫っているというのに…

画像
George Winston
December
(1982)

このアルバムも暖冬なようです。
窓を開けて暖かい日差しに当たりながら
ジョージ・ウィンストンの♪ジョイという曲を聴いていました。


このメロディー
長い間、どこかで聴いたことがあるけれどそれが何だったか
ずーっと思い出せないでいたのですが
やっと思い出すことができました。

少し前に載せた
♪主よ、人の望みの喜びを
それをもとにしていたものでした。

ただ家の中でごろごろしていただけなのですが
非常にすがすがしい一日でした。




2007年11月12日月曜日

Rising Force

グラハム・ボネットアルカトラスに参加したイングベイ・マルムスティーンは、アルカトラスを脱退後、初のソロアルバム「ライジング・フォース」をリリースする。

画像Yngwie Malmsteen
Rising Force
(1984)

その次にアルバム「マーチング・アウト」をリリースするのだが、ここではライジング・フォースというバンド名義を初めて使用している。

画像Rising Force
Marching Out
(1985)

その後、イングベイは、ソロ名義とライジング・フォース名義とで活動をしていく。

その次はソロ名義でアルバム「トリロジー」

画像Yngwie Malmsteen
Trilogy
(1986)

その次はライジング・フォースとしてアルバム「オデッセイ

「オデッセイ」ではジョー・リン・ターナーをボーカルに向かい入れているのだが、グラハム・ボネット~ジョー・リン・ターナーというこの流れ、誰かに非常によく似ている。

イングベイは影響を受けた人として、ヨハン・セバスチャン・バッハパガニーニジミ・ヘンドリックスリッチー・ブラックなどの名前を挙げている。彼の音楽を聴けばクラシックの影響が強いのはすぐに分かるし、ストラトキャスターマーシャルアンプ/パフォーマンスなどからジミヘンやリッチーの影響が強いことが分かる。

中でもリッチー・ブラックモアの影響は最も強い。先に挙げたボーカルの流れもそうだが、その後オーケストラと共演し、観客の前でエレクトリックギター協奏曲を披露していることからも、リッチーへの強い憧れを見て取れる。
>>>>動画>>


ジョー・リン・ターナーとのライジング・フォースは1年ほどで解消してしまい、その後、イングベイはしばらくソロ名義でアルバムをリリースし続ける。
現在は再びライジング・フォースで活動しているとか─。

個人的に興味があるイングベイは、最初に挙げたアルバム3枚だけ。
徹底したマイナースケールでのクラシカルフレーズ、これこそが誰にもマネできないイングベイ・マルムスティーンだと思っている。


最も好きなイングベイのライジング・フォースは、ファーストソロアルバムでの“ライジング・フォース”だ。その1曲目にある♪Black Star ─それはリッチー・ブラックモアであるとともにイングベイ自身のことであったのだろう。
♪Black Star / Yngwie J. Malmsteen


Heaven tonight

ギタリスト、イングベイ・マルムスティーンジョー・リン・ターナーと組んで、ライジング・フォース名義でリリースしたのがアルバム「オデッセイ」

画像Rising Force
Odyssey
(1988)

僕はこのアルバムはあまり好きではない。
ジョー・リン・ターナーをボーカルに迎えたことでポップになり、イングベイ独特のクラシカルでブラックなメロディーが影を潜めてしまったからだ。

しかし
リリースされた当時、友人と♪Heaven Tonight をコピーした。
以前からイングベイの曲をコピーしたいとは思っていたのだが、彼の速弾きについていけなかった。コピーはあきらめていたのだが、ポップになったことでギターソロもシンプルになり、自分ら平民にも貴族・イングベイの音楽をコピーできるようになったのだ。何という皮肉。

イングベイを好きな若僧にはギター弾きが多いわけで、貴族の音楽をコピーしようとしている我々平民若僧3人は、全員ギター弾き…さぁ、誰がドラムで誰がベースを担当するかを決めなければならない。ギターを担当する者はボーカルという試練もついてくるのだが…
結局このアルバムを好んでいない僕は、ドラムを担当することになった。この曲のギター演奏には魅力を感じなかったし、ジョー・リン・ターナーのボーカルをまねるのもかなり大変だという思いもあった。
ドラムだからといって楽であったわけではなく、一から始めるようなものであったために、むしろかなり苦労した。やっぱりギターだったかなぁ…

確かこの曲はプロのPAに頼んで、ライブ風ながら、スタジオ録音した記憶がある。個々の演奏があまりにもひどかったので、そのマスターテープは今どうしているのか分からない。もう誰かの手で上書き、もしくは葬り去れていることだろう。
つまり、残念ながらここにその演奏を載せることはできない。もし、音源が手元にあったとしても載せることはできないが…。

本家本元の見事な演奏をどうぞ─

Heaven tonight

2007年11月11日日曜日

Rain

雨が降り
ジーンズが雨で濡れて─
スニーカーが塗れて…

バスの中で
水滴がたくさんついた窓ガラスを何となく見つめ

音楽を聴きながら
寒さをじっと耐えていました


♪Rain / George Winston



画像George Winston
Winter into Spring
(1982)









































2007年11月10日土曜日

気になるドイツ映画

産経新聞ウェブ版
「4分間のピアニスト」
というドイツの映画を紹介していました。



画像


「4分間のピアニスト」公式ホームペイジ



ストーリーも気になりましたが
公式HPを開いたら流れてきた音楽も気になりました。
その音楽は、劇中に流れているものではなく
日本のコマーシャル用に
レ・フレールという日本のピアノデュオの
♪Cross第3番 だということでした。
兄弟ピアノデュオ、レ・フレールは昨日
アルバム「ピアノ・ブレイカー」で
メジャーデビューしたそうです。

しかし

まずは明日から公開される
映画「4分間のピアニスト」
でしょう。



2007年11月9日金曜日

情念の炎~ホーリィ・ダイヴァー

レインボーを脱退したロニー・ジェームス・ディオは、ブラック・サバスのボーカルを経て、自らのバンド、ディオを結成して1983年に1stアルバム「情念の炎~ホーリィ・ダイヴァー」をリリースした。

画像情念の炎~ホーリィ・ダイヴァー
Holy Diver

��曲目の♪スタンド・アップ・シャドウを親戚の車に乗っているときに聴かされた。激しいギターリフから始まるこの曲は、激しいドライブにぴったりで、非常に気に入ってしまった。
また、このアルバムを知る前から、5曲目に収められている♪ドント・トーク・トゥ・ストレンジャーだけは知っていて好んで聴いていたため、とりあえずアルバムのタイトルだけ教えてもらい、後日CDショップへと駆け込んだ。

買う気満々でアルバムを手にしたものの、このジャケットを見た瞬間、正直、買う気が失せてしまった。
雲にも岩にも水にも…すべてにリアリティーを感じない
巨大な悪魔らしき者の下半身がどうなっているのか想像がつかない
この絵の状況が全く意味不明…
以上のような理由でジャケットが気持ち悪いものに見えたのだ。気持ち悪いと思いつつも購入してしまうのだが…
今にして思えば、これも演出なのかなと思うのは、飛躍しすぎか買いかぶりか─。狙いではないにしても、このジャケットの気持ち悪さがこのアルバムの世界観を確固たるものにしている。

このアルバムは人気があるのか、あるいは本人自信作か分からないが、2005年にロニー・ジェームス・ディオのインタビューがたっぷり入ったリマスターCDがリリースされ(インタビューはいらないと思うが…)、2006年にはこのアルバムの全曲をライブで演奏した「Holy Diver Live」がリリースされているようだ。さらには、2007年12月には限定生産の紙ジャケで再びリリースされるという。限定の紙ジャケCDのリリースは初期の4作品が対象となっているようだが、それにしても、ホーリィ・ダイヴァーさまさま、かな…。

ちなみに、僕は「情念の炎~ホーリィ・ダイヴァー」以外のアルバムは聴いたことがありません。

Don't Talk To Strangers Live


それにしても、ロニー・ジェームス・ディオの歌唱力のすごいこと─。
通常、シャウト系のバンドがライブをすると、楽器演奏は安定しているけれど歌声が非常に不安定である場合が多い。
ディオのライブ映像を見ていると、ギターソロが不安定に聴こえる。決してビビアン・キャンベルのギター演奏が下手なのではなく、ロニーの声がものすごく安定しているから、周りが不安定に聴こえてしまうのだろう。
ロニー・ジェームス・ディオは幼少のころから音楽を身に付けていたようで、「絶対音感のボーカリスト」と呼ばれるくらい、ライブなので音程を外さないそうだ。
そんなことを聞くと「Holy Diver Live」も聴きたくなってくる。