2009年3月4日水曜日

第81回アカデミー賞授賞式

驚きのアカデミー賞授賞式から1週間が経ち、「つみきのいえ」のDVDは売り切れ続出、「おくりびと」は興行収入ナンバーワン、笑っちゃいますね。
幸いにも授賞式の前に「つみきのいえ」のDVDを購入していた自分は、改めて久仁生ワールドを堪能しています。しかしどうしても、作品のインパクトよりも、監督その人の個性のほうに面白さを感じてしまうのです。
受賞会見で加藤久仁生監督は、「まだまだ自分の表現したことを全然できていない」という旨のことを語っていました。早く真の久仁生ワールドを楽しみたいものです。

「つみきのいえ」を見ていると、自然とユーリ・ノルシュテインのアニメーション「25日・最初の日」を連想してしまいます。どちらもキュビズムの要素を持っているからなのでしょう。
��つを比べるつもりはないのですが、連想すれば必然的に比べてしまうもので、比べてどうかというと、どうしてもノルシュテインのほうに軍配を上げてしまいます。何が違うのか…、主義主張?大義名分?それだったら「つみきのいえ」のほうが上か…、画力?いや、それも「つみきのいえ」のほうが…、だったら何なのか…、と考えて至った結論が“音楽”です。
「25日・最初の日」はショスタコーヴィッチの交響曲第11番「1905年」と第12番「1917年」を使用、「つみきのいえ」は─…?。有名な楽曲とか、ネームバリューを利用すればよいという話ではないとは思いますが、素晴らしい音楽が素晴らしい映像と融合したとき、当然ながら、素晴らしい作品となるわけです。
映像作品をひとりで完結させるのはなかなか難しいわけで、たとえひとりで完結させたとしても、それが評価されることはなかなか難しい…。ノルシュテインの作品、あるいは「つみきのいえ」など、ひとりで作った作品が大いに評価されているかのように思いがちではあるけれど、実際には非常に多くの創造の力を借りているのです。それを生かすも殺すも監督なのでしょう。

個人的に、アカデミー賞授賞式というのは、受賞の結果だけを気にして、その内容を気にすることはほとんどありませんでした。先日、授賞式のダイジェストを暇つぶしで見ていると、最優秀主演女優賞と最優秀主演男優賞の発表があまりにも素晴らしくて、正直結果なんてどうでもいいと思ってしまうほどでした。
過去、最優秀主演男優賞・女優賞を受賞した役者がステージに立ち、今回ノミネートされた役者ひとりひとりにメッセージ贈るという演出、素晴らしい演技をした人すべて称えられるべきだと、改めて思い知らされました。
実際の授賞の模様を見なければ、感動を知ることができないでしょう。英語・日本語字幕なしの動画ですが、その感動は伝わるはずです。





舞台の演出も、映像の画面も、役者のメッセージの読み上げ方も素晴らしい。映像はトータル芸術なのだと再認識させられました。
さすがに、このような演出は主演女優・男優、助演女優・男優の授賞の時だけでしたが、ノミネートされたひとつひとつ・ひとりひとりが同様に称えられるべきなのだというメッセージを、しかと受け止めました。