2010年6月17日木曜日

インバルのマーラー2番

東京都交響楽団
Tokyo Metropolitan Symphony Ocehstra
第700回定期演奏会Aシリーズ
Subscripstion Concert No. 700
��010年6月16日(水)19:00開演 東京文化会館
Wed. 16 june, 19:00 at Tokyo Bunka Kaikan
マーラー:交響曲第2番ハ長調「復活」
Mahler: Symphony No.2 in C Minor AUFERSTEHUNG
指揮/エリアフ・インバル
Eliahu INBAL, Conducor
ソプラノ/ノエミ・ナーデルマン
Noemi NADELMANN, Soprano
メゾソプラノ/イリス・フェルミリオン
Iris VERMILLION, Mezzo-soprano

S席8,500円 A席7,500円 B席6,500円 C席5,000円 Ex席2,500円


 B席ーL9ー2番からの鑑賞。比較的前方の位置ではあったが、向かって左端の席であったため、左奥のトランペットやハープなどが見えなかった。音の聴こえ方は非常に良かったが、第一バイオリンをやや背後から聴く位置であったため、バイオリンが弱い印象。
 それでも、狭いステージ上でありながら非常にバランスのとれた演奏に思えた。これぞインバルのなせる技なのだろう。やはりマーラーは得意とするところなのだろう、気合を入れて聴いているこちらとは対照的に、軽やかに指揮している。その軽やかな指揮は、管楽器にとって有効なのかもしれない。静かに鳴らす緊張する部分も、力むことなく正確な音を鳴らしていた。
 全体的に、メリハリをつけた演奏であった。故に、常に混沌として分かりずらいと感じている第1・第2楽章が、非常に明快な印象を受けた。指揮者自身がこの交響曲をよく理解しているということなのだろう。
 声楽陣の登場は第1楽章終了時。後半に集中するこの声楽を、どのタイミングで配置するかというのは、指揮者によってだいぶ違うようだ。
 2人のソプラノは非常に力強く、管弦楽とよく溶け合っていた。第4楽章の独唱、弦楽、木管との競演では、圧倒的な声楽の存在感を示し、なおかつ他の音をひきたてる役となっていて、感動的な演奏であった。
 期待の第5楽章は、やや期待外れ。あまりに音を切りすぎのように思えてならなかった。心なしか指揮にも演奏にも力みを感じる。力が入るのは分かるが、前半のあの巧みさで流れていってほしかった。
 とはいえ、合唱部分は非常に素晴らしいものであった。合唱により、危うくなった管弦楽が救われたような印象。合唱への指揮・指示は細かいもので、それがよい歌声につながっていたのは確かであろう。声楽は相当鍛えられたのかもしれない。それとも、2人の外国人ソプラノにひっぱられていたのだろうか。
 とにかくも、この歌声により、不完全燃焼なることなく、すっきりとした気持ちで会場を後にすることができた。



2010年6月13日日曜日

Pat Metheny "Orchestrion"の衝撃

パット・メセニー≪オーケストリオン≫
��010年6月12日(土) すみだトリフォニー
��8:00開演(17:30開場) S席8500円 A席7500円
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今回購入できたチケットはS席・1階26列19番
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ちょうどPAが設置されているすぐ前の席。であるから、少々遠目に感じるとはいえ、音響的には最高のポジションといえよう。

予定より5分ほど遅れて開演。

アコースティックギターを使用しての自曲メドレーでスタート。次にピカソギター使用してのお馴染みの曲。出だしは自動演奏装置が微動だにせず。

エレクトリックギターを手にすると、少しずつオーケストリオン始動。

前置きが終了すると、オーケストリオンの全体像が露わに

想像以上のセット
セットというより、まるで現代アートのインスタレーションの様相
ビジュアル的に素晴らしくとも、その音はグループのものに比べるとどうしても薄く軽いものに感じてしまう。しかし、それが奏でる音楽は決して機械的なものに非ず。それというのも、パット・メセニーのギターがあっての故なのだろう。この男は機械でさえもひきたてることができるのか。恐るべし…。
アルバム内の曲を一通り演奏し終えると、オーケストリオンを使用したインプロヴィゼーション。この装置、単にプログラムを自動的に演奏するだけでなく、パット・メセニーのギターで全ての楽器をコントロールできるよう設計されているようだ。ギターのエフェクターであるZOOMをうまい具合に組み合わせて、ひとつひとつの楽器を順番にコントロールして任意のフレーズをZOOMでループさせ重ねていく。全ての音を鳴らし、ループさせ重ね終えると、そのバック演奏的な分厚いZOOMにギターソロを加えていく。そのギターソロに合わせて、ビブラフォンが半ばユニゾンしたり、打楽器がギターに連動したり…、オーケストリオンを体感すればするほどその仕組みが全く分からなくなってくる。足でも複雑に操作しているということだったが、その神業的な演奏に、本当にひとりでコントロールしているのか疑ってしまうほど。もしかしたら裏でエンジニアがコントロールしているのではと疑いたくなるほどの巧みさ。

これは単なるコンサートではなく、本当に完成されつくされたアート。
アーティスティックなパフォーマンスを、過去に類をみないほどの完成度で鑑賞することができたと感じる。これを超えるソロパフォーマンスはもはや皆無ではなかろうか。いわばソロパフォーマンスの極致を見たような気がする。

会場の盛り上がりも尋常ではなく、アンコールも計3回。結果、3時間以上のスペシャルな公演となった。

きょうのこの日の歴史的な演奏、ぜひとも映像で入手したいものである。とはいえ、Youtubeの映像を見る限り、そのすごさの半分もにじみ出ていないわけで、やはり生でこれを体感しないことにはその真のすごさは実感し得ないわけだ。

もう2,3周世界をまわってもらいたいものである。


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2010年6月12日土曜日

オーケストリオン日本公演にむけての予習

オーケストリオン


 1月末にリリースされたパット・メセニーの「オーケストリオン」。発売前から、THE ORCHESTRION PROJECTと題されたパット・メセニー公式HPを見て、大きな興味と注目を持って期待していたのだが、これまでにアルバムを聴いたのがわずか2度ほど。その音だけを聴くと、期待が大きかっただけに、少なからず物足りなさを感じてしまう。
 オーケストリオンというのは、その昔、オーケストラやバンドのようにあらゆる音を奏でるように設計された音楽自動演奏装置。
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 自動演奏というコンセプトをもとに、パット・メセニーは、一人でギターを演奏しながらあらゆる装置を駆使し様々な音を奏でるという、一人でありながらグループ単位の音楽を作り上げようとしたわけだ。

 非常に興味を深い。しかし、これを録音された媒体で聴くだけでは、その凄さを感じ取ることは、なかなか難しい。ただ、アルバム発売と同じくしてオーケストリオン・ツアーの予定が発表され、これを生で演奏することへの驚きと期待が新たに生まれる。
 なるほど、パット・メセニーというアーティストは、まさにライブ至上主義であり、ライブのためにアルバムをリリースするわけだ。
 あの切れ目なく演奏し続けるというコンセプトのアルバム、パット・メセニー・グルームの「ザ・ウェイ・アップ」もライブを体験しなければ、その本質をなかなか捉えることはできない。ライブを見た後でさえ(ライブを見たが故に?)、音だけでは満足できず、アルバムそのものをすすんで聴こうという気にはなっていない。しばらく新しいアルバムは作らずに、このザ・ウェイ・アップをもとに、あと2,3回、世界中を回ってほしい。
 ちなみに、パット・メセニー、このソロツアーの後、すぐグループでのヨーロッパツアーが予定されているとか。ライブで新しい音を発表して、ライブの演奏を収録してアルバムとして販売すればいいのでは、と勝手に思う。
 とにかくも、明日の一人メセニーグループ。先行して体感した人たちのレビューも高評価が目立つので、大いに期待しよう。

 

2010年6月3日木曜日

John Adams Earbox

 アダムズ、グラス、ライヒなどのミニマル音楽ばかり聴いていると、どうしても飽きてしまう。飽きてもまた聴いてしまうのは、そのメロディーが非常に心地よかったりするからなのだが、ならば何故飽きてしまうかというと、ご想像の通り、永遠に続くかと錯覚してしまうほどのループが煩わしいものに思ってしまうわけだ。
 ジョン・クーリッジ・アダムズの音楽は、グラスやライヒと比べて、反復がそれほど激しくなく、音の変化も比較的大きい方だ。とはいえ、「Earbox」などのボックスセットを聴き続けると、何か物足りない気になってしまう。
The John Adams Earbox [Box Set]
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 ウォークマンなどにこのボックスを納めて、なんとか全て集中して聴こうと試みるのだが、いつの間にか違うこと(読書やメールなど)に気持ちが移っている。アダムズの音楽が見事に周りの世界との壁となってくれて、恐ろしいくらいに読書などに集中できる。サティの“家具の音楽”的な要素が含まれている証拠と言えるのか…。
 こうして、アダムズの音楽に集中できないままに、大量の音楽群はいつの間にか忘れ去られてしまうことになってしまうのだ。それをまた発掘するのは、意外と困難だったりする。
 忘れ去られた音楽を発掘するのには、全曲を対象にシャッフルして聴くことが最もいい。最近シャッフルして、発掘、再発見したものがアダムズだった。あらゆる音楽に囲まれたアダムズの音楽というものが、非常に際立って聴こえた。とくに気に入ったのが♪Christian Zeal and Activity という曲。

 人がまばらな都市のビル群を眺めながらアダムズを聴くと、なぜか非常に悲しい。

 アダムズはいいなと再認識して、再びボックスセットを発掘して、代表作の「Nixon in China」などを聴いてみる。オペラは音楽だけでは楽しめないのかもしれない。
 こうしてまた、これら音楽は埋もれていく。
 でも、またいつの日か─…