2010年12月25日土曜日

愛はきらめきの中に

今月初頭にビージーズの特集番組を見て以来、ここ最近はアルティメイト・ベスト・オブ・ビー・ジーズ-デラックス・エディションばかり聴いている。

2003年にモーリス・ギブが急逝した時には、残されたバリーとロビンはショックのあまり、もう歌わないといった趣旨のコメントを出していたように記憶しているが、番組内のインタビューでは思った以上に新しい音楽をつくりだすことに情熱を燃やしながら、明るく受け答えしている姿があまりにも嬉しくて、ビージーズに再びはまってしまった。

 

毎年、クリスマスになると、ビージーズの♪HOW DEEP IS YOUR LOVEを思い浮かべる。

田舎から上京した最初の年のクリスマス、ひとり、古びたアパートの四畳半で、MTVのクリスマス・スペシャルをじっと見つめていた。その時流れていた♪HOW DEEP IS YOUR LOVEが心に染みた。

 

時を越え、3人が2人になり、そのふたりの姿かたちも大きく変わった…

 

かれらは、R&Bやソウル、そしてビートルズなどから強い影響を受けたという。サタデー・ナイト・フィーバーやステイン・アライブの印象がぬぐえなかった自分などには、意外な気がしたものの、あらゆる時代のビージーズを聴きこむと、なるほど納得。

「常に変わり続けること、それが重要」とふたりは語っていた。このアルティメットこそがそれをよく物語っているように思ってしまった。しかしながら、どうしても80年代後半以降の音楽は飛ばしてしまう。生の素晴らしい歌声には、生の音じゃなければ、どちらも負けてしまうということなのか…。

 

 

なんだかんだいっても、シンプルなこの曲が一番かな。

 


2010年12月24日金曜日

Animals

ことしは卯(うさぎ)との戦いだ。

とにかく、あやつらの姿かたちを捉えねばと、カメラ片手に上野動物園にでも行ってやろうかと思う。しかし、この時季、果たしてその姿を目にすることができるのか。生の姿を見ることができないのであれば、なにもそこへ行かずともいいわけだ。まぁ、現代の動物園ともなれば、温度管理された施設の中で、時季を越えて飼育されているのかもしれないが、不確定要素が見え隠れする目標地点へ向かうのがためらわれる。うさぎを見るために動物園に行くのもどうかと…。

なにはともあれ、動物園はなしにして、ほかの卯を貪った結果、さいたま市浦和区にある「調神社」に行き着いた。「つきのみやじんじゃ」と呼ばれることも…、なんか聞き覚えがあると思うのも当然で、かなり有名な神社。知らない自分がマイノリティーだったのか─。有無を言わさず、取材場所が決定。

長い道中は、当然のごとく音楽で気を紛らす。セレクトしたのはピンク・フロイドの「アニマルズ」。この中には、豚と犬と羊しかいない。それら3種の動物を人間に例えて、社会を痛烈に批判したアルバムだとか。ウサギを人間に例えることは、決して難しいことではないだろう。

 

1. 翼を持った豚・パート1

2. ドッグ

3. ピッグ(3種類のタイプ)

4. シープ

5. 翼を持った豚・パート2

 

バニーガールというのは、その発祥はやはり「PLAYBOY」からだったのか─。

「PLAYBOY」と連動企画で始まった高級クラブ「プレイボーイ・クラブ」で初めてバニーガールが登場する。1960年にシカゴに一号店が登場する。つまり、「アニマルズ」がリリースされた1977年当時は、バニーガールは社会に浸透していたと想像されるわけで、ウサギで社会風刺をすることも可能だったわけだ。とはいえ、野郎ならばそんなことをするはずもないか─、と勝手な夢想…。

さて、話はそれたが、いざ浦和。

 

調神社

 

御布施五百円也

 

 

そして、取材の甲斐あって、年賀状作成も無事修了。

なんとか25日間に合った。


2010年12月9日木曜日

ジョン・レノンの日

ジョン・レノンの日をつくるとするなら、どうしても12月8日になってしまう。殺害された縁起でもない日であり、せめて生れた10月9日を指定するべきだと思うのだが10月9日はすぐに忘れて、12月8日は決して忘れることができないのだから仕方がない。

とはいえ、自分がビートルズやジョン・レノンの音楽を聴くようになったときには、すでにジョンはこの世にいなかった。凶弾に倒れたその日、鼻たらしのガキんちょとはいえしかっリとした自我は持っていたはず。しかし、悲しきニュースがあったかどうかの記憶もない。だから当然、わずかながら重なった命ある時代のことも知る由もない。そのことが、一層悔しさというか愚かしさというか、どうにもやるせない負の気持ちを増大させる。それでも、ジョンとともに生きてきた人の気持ちを考えたら、自分が感じる負の気持ちなどはとるに足らないものなのだろうが…。

 

ダコタ・ハウス

 

二ール・ヤングと♪イマジンが妙に合う

 

 

♪イマジンの映像はこれ以外に考えられない

 


2010年11月24日水曜日

ロイヤル・コンセルトヘボウ@サントリーホール

 

<富士電機スーパーコンサート>
マリス・ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

場所 サントリーホール(大ホール)  
曲目 マーラー:交響曲第3番 ニ長調  
出演 アンナ・ラーソン(A)  
合唱

新国立劇場合唱団

TOKYO FM少年合唱団

 
開演 2010年11月22日(月)午後7時  
料金

S29,000 A24,000 B19,000 C14,000 D9,000

Pt34,000 (6月20日一般発売)

 

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きのう体感した余韻に浸るべく、9月に録画したヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウのマーラー第三番を観賞している。やはり素晴らしい演奏だったと再確認しつつも、本当の迫力はやはりホールへ行かないとわからないものだと実感した。放送された9月にその演奏を見た際、それほどの感動がなく、それがこの公演への一抹の不安だったが、無用のものであった。

響いてくる音の振動や、調和がまるで違う。これまで経験したことがない空気感、これが世界最高といわれる所以なのか。

あまりに素晴らしい演奏だったので、あれこれ記述するのが面倒だし、失礼のように思ってしまう。すごい、の一言でもう終わりたいところではあるが、とりあえず記録として残しておくとしよう。

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S席2万9000円、2階RC6列9番、向って右側からステージを見おろす位置。コントラバスが見えないが、まずまずの所。しかし、ここが3万近くとは、少々お高くはないか。演奏が始まると、その値段も納得したが…。

少し高い位置、しかも列に3人という場所だったためなのだろう、音がなにものにも妨げられることなく、直に響いてくる感じがした。今回のこの感動は、卓越した演奏技術を十二分に感じることができるこのロケーションにも要因があったのだろう。本当にチケットを得られたことが幸運だった

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長大な第1楽章が終わった時点で、ひとつの公演が終わったような満足感。ソロやコラボレーションの旋律が目まぐるしく移り変わっていき、展開も複雑、それでいてみごとな調和。楽団員すべての演奏技術が卓越しているのがよく分かる。そしてそれらをコントロールしているヤンソンス。まるでPAを操作しているがごとく、音を自在に構築していく。彼のRCOもまた長期にわたるだろうと確信をした。

これら最強の軍団の中で、合唱を担当する新国立劇場合唱団とTOKYO FM少年合唱団は大丈夫だろうかと、代表を見守る気持ちで聴いていたが、無事に大役をこなしていた。

最終楽章、そのメロディーがこの公演が終わってしまう切なさを助長する。これは、ものすごい演奏を見てしまったと曲の盛り上がりと比例してこちらの気持ちも盛り上がる。

マーラーが実際に客演したとか、百何十年の歴史があるとか、決してそういうもので評価されているわけではなく、今この演奏があってこその評価なのだと納得した。

ヤンソンスが、どうだ!と言わんばかりに指揮棒を振り上げた瞬間、彼らが演奏した時間だけ、力いっぱいに拍手を送りたい気持ちでアプローズ。会場の拍手の音も明らかに大きかったように思う。4度ほどのカーテンコールがあったろうか、楽団がステージを後にしても拍手はやまず、誰もいないステージにあらためて1人ステージに現れたヤンソンスにさらなる拍手喝采。

どうかまたみんなで日本に来てください。

自分もいずれアムステルダムへ─

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2010年11月14日日曜日

Bill Frisell @ COTTON CLUB

最近、ビル・フリゼールのオフィシャルHPで「Films of Buster Keaton Music By Bill Frisell」を購入。かなり前から望んでいた、「 The High Sign/One Week: Music For The Films Of Buster Keatonと「Go West: Music for Films of Buster Keatonのアルバムとバスター・キートンの映像が融合したDVD。すでに自ら、ビル・フリゼールの音とキートンの映像をミックスさせて、あくまで個人観賞用としてビデオを作成済みであったために、切望していたDVDだったとはいえ、それほどの感動は得られず。しかしながら、そのサイトで、ビル・フリゼールの日本公演という、新たな情報を入手できたことは幸運だった。

そして11月13日(土)、ビル・フリゼール、ロン・カーター&ジョーイ・バロンというトリオのコットン・クラブでの公演チケットを入手した。かなりの高値だったが、場所とネームバリューから致し方あるまい。ビル・フリゼール、カーミット・ドリスコル、ジョーイ・バロンというトリオだったらいくらでもという気持ちにもなったのだが…、なんとも巨人ロン・カーターに失礼な思いなのだが、この公演のトリオというのは過去にアルバムも出していなければライブ自体も初だろう、だとすると一体何を演奏するのか皆目見当がつかない。だから楽しみだという見方もあるが─。まぁ、最高のトリオであることは間違いないのだから、雑念を捨て、来年1月下旬を待ち望もう。

とはいえ、演奏内容は気になるところ。いくら未知の世界を楽しもうという気構えでも、その演奏にどうしても思いを馳せてしまう。ビル・フリゼールとジョーイ・バロンは、過去に素晴らしい作品を数多く残しているので、それを軸にあれこれ夢想したいところではあるのだが、そこに生粋のジャズマンであるロン・カーターが加わって、果たしてどうなるのか。ビル・フリゼールとロン・カーターは、モール・モルティアンと組んで、2006年にトリオのアルバムをリリースしている。

Bill Frisell Ron Carter Paul Motian

これを聴く限り、やはりスマートなジャズになるのだろうと思ってしまう。

ビル・フリゼールは、2001年発表のアルバム「Blues Dream 」の中で「ロン・カーター」という曲を収録している。それだけ、ロン・カーターに対して敬意をもっているということなのだろうか。

Blues Dream

このアルバムではロン・カーターの演奏はない。そして、かなり自由奔放は演奏が展開されている。最初に挙げたアルバムよりも、こちらの方が個人的には好みなのだが、コットン・クラブではやはり前者である可能性が高い。あくまで予想─。

コットン・クラブでの公演では、一日2セットを5日間連続でこなすという、かなりのハードスケジュール。それだけに一番最初の公演を選択してしまった。しかし、これだけ多くの公演ならば、急いで買わずとももう少し吟味してからにしてからでも遅くなかった気がする。

 

BILL FRISELL, RON CARTER & JOEY BARON @ COTTON CLUB

 

日程 1st 2nd
1/26(水) 開場:17:30/開演:19:00 開場:20:30/開演:21:30
1/27(木) 開場:17:30/開演:19:00 開場:20:30/開演:21:30
1/28(金) 開場:17:30/開演:19:00 開場:20:30/開演:21:30
1/29(土) 開場:17:30/開演:19:00 開場:20:30/開演:21:30
1/30(日) 開場:16:00/開演:17:00 開場:18:30/開演:20:00

 

料金  
■自由席/ テーブル席 : ¥8,400
■指定席/ BOX A (4名席) : お1人様¥10,500
  BOX B (2名席) : お1人様¥10,000
  BOX S (2名席) : お1人様¥10,000
  SEAT C (2名席) : お1人様 \ 9,500

2010年11月11日木曜日

流れ星

 初冬の早朝、東京の南の空にはオリオン座がはっきりと見える。そのオリオン座に向かうようにランニングしていると、みごとな流星が1つ流れた。これほどの流れ星を見たのは、十数年前に某公園で友人らと寝転びながら流星雨を観賞して以来だろう。
 あの時は寒かった。たしか時季も同じころだったと思うが、なんという流星だったかどうしても思い出せない。雨のように降ると言われていた割に、それほどでもなかったことに失望した記憶だけが蘇ってくる。とはいえ、あの時の流星はバリバリと音を立てて流れていくほどものすごいものだった。それほどでもないにしても、ほかの星の輝きに負けないくらいの明るさで流れてゆく星に感動しつつ、願い事を唱え忘れて悔しい思い…あの瞬間に何か願うことなど、果たしてできるのだろうか…。
 そういえば10月下旬、オリオン座流星群がピークだと言われていた。今日見たのはその名残だったのかもしれない。あす以降も空を眺めながら走るに限る。そして、心の底から願をかけてやる。

 昨日のランニングで、ウォークマンから流れてきた最後の曲は、バンゲリスの「ERIC’S THEME」だった。バンゲリスの音楽は、大概星空に合うような気がする。
 今日のラストを飾った曲はメタリカの「CREEPING DEATH」だった。欲を言えば「ORION」だったらなー、…そんなうまいこといかないか。



 やはり、クリフ・バートンが実際に弾いている「ORION」は皆無か…




2010年10月14日木曜日

Mahler The Symphonies Leonard Bernstein

 衛星放送で3週連続バーンスタイン企画が放送されていた。没後20年を記念してとのこと。第1回を少しだけ見たが、やはり「ウエスト・サイド・ストーリー」関連の演奏が中心。当然だろうなと、諦めの気持ちでテレビを消して、PCの音楽へと向かった。
 聴いたものはバーンスタイン指揮のマーラーの交響曲集。マーラー生誕150周年記念として、グラモフォンから廉価版として発売されたもの。未完含め10のシンフォニーが内包されて5000円を切るものだったので、衝動的に買ってしまった。
Mahler/The Symphonies/Leonard Bernstein
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・交響曲第1番ニ長調『巨人』(録音時期:1987年)
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

・交響曲第2番ハ短調『復活』(録音時期:1987年)
 クリスタ・ルートヴィヒ(メゾ・ソプラノ)
 バーバラ・ヘンドリックス(ソプラノ)
 ウェストミンスター合唱団
 ニューヨーク・フィルハーモニック

・交響曲第3番ニ短調(録音時期:1987年)
 クリスタ・ルートヴィヒ(メゾ・ソプラノ)
 ブルックリン少年合唱団
 ニューヨーク・コラール・アーティスツ
 ニューヨーク・フィルハーモニック

・交響曲第4番ト長調(録音時期:1987年)
 ヘルムート・ヴィテク(ボーイ・ソプラノ)
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

・交響曲第5番嬰ハ短調(録音時期:1987年)
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

・交響曲第6番イ短調『悲劇的』(録音時期:1988年)
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

・交響曲第7番ホ短調『夜の歌』(録音時期:1985年)
 ニューヨーク・フィルハーモニック

・交響曲第8番変ホ長調『千人の交響曲』(録音時期:1975年)
 マーガレット・プライス、ジュディス・ブレゲン、ゲルティ・ツィオマー(ソプラノ)、
 トゥルデリーゼ・シュミット、アグネス・バルツァ(メゾ・ソプラノ)、
 ケネス・リーゲル(テノール)
 ヘルマン・プライ(バリトン)
 ジョゼ・ヴァン・ダム(バス)
 ウィーン少年合唱団
 ウィーン国立歌劇場合唱団
 ウィーン楽友協会合唱団
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

・交響曲第9番ニ長調(録音時期:1985年)
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

・交響曲第10番嬰ヘ短調~アダージョ(録音時期:1974年)
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 レナード・バーンスタイン(指揮)

 ライヴ録音


 ほとんどがバーンスタイン晩年の録音。故に音質も演奏も非常に見事なもので、久々にお得な買い物をしたと実感できた。11枚のCDに、かなり大雑把に収録されているが、PCに入れてしまえば問題ない。
 超有名なこれ↓↓の歌曲と「大地の歌」を抜いた全集だった!

 これ↑↑は2万以上だから・・・

 そう、だから、安くても中身はものすごいものだったという訳なんです。
 あー買ってよかった。

Guitar's Practicing Musicians, Vol. 2

 
Guitar's Practicing Musicians, Vol. 2
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1.  WHITE NOISE / MARC BONILLA
2.  TOO MUCH OF A GOOD THING(WHERE'S THE HOOK) / NUNO BETTENCOURT
3.  GALAXY 500 / BRAD GILLIS
4.  SMELL YOURSELF / STEVE LUKATHER
5.  L.A. A LA MODE / BILLY SHEEHAN
6.  EILEEN / ED KING
7.  NEVER LOOK BACK(DEMO) / BLUES SARACENO
8.  PICTURE THIS / STEVE MORSE
9.  THE HOWLING / MARK WOOD
10.  ZEPTUNE / BRUCE KULICK
11.  FUNKCAUTION / STEVE STEVENS
12.  A MINOR DISTURBANCE / RANDY COVEN
13.  MEET ME IN THE MORNING / JASON BECKER
14.  AT FATE'S FINGERS / FATES WARNING
15.  McCARTHY AT THE LEVEE / REEVES GABRELS
16.  CIFFS OF DOVER(LIVE) / ERIC JOHNSON


 久々にこのオムニバスを聴いている。リリース年を確認すると1991年。もう20年近くにもなるのか─。当時はかなり聴き込んだものだ。
 収録されているものの中で、最後の♪CIFFS OF DOVERが圧倒的に気に入っている曲であるが、すべての曲がかなりの粒ぞろい。ヌーノ・ベッテンコートのプレイには何か今までにない新鮮な響きを感じたものだし、ブラッド・ギルスはやっぱアームなのかと聴きながら笑みを浮かべ、スティーブ・ルカサーはやっぱTOTOで聴くべきだなと─、ビリー・シーンはベースなのになんで入っているのか!?しかも全くこの曲良くないぞ!と思ったもの。スティーブ・モーズのこのプレイを聴いて、ソロアルバムを購入(あんま良くなかったけど…)。マーク・ウッドのヘビーなバイオリンも悪くないし、ジャクソン・ベッカーのボブ・ディランは泣ける。
 このシリーズのVol.1も結構聴いたものだが、Vol.3は結局買わなかった。内容は素晴らしいが、何度か聴いているうちに飽きてしまうのが難点。結局、シリーズはVol.3で終わっているようだし、皆同じような思いだったのかな。

2010年10月10日日曜日

ERIC JOHNSON live from austin tx

 久々に音楽ソフト販売大手の店舗内を探索したところ、間髪入れずにCDを即買いしてしまった。
Eric Johnson/Live From Austin Tx (Digi)


 見覚えのある衣装をまとったエリック・ジョンソン…。もしや、あの音源が含まれているのでは…、大きな期待で曲目を確認すると、やはり入ってました、この曲が─

Cliffs of Dover


 この音源を最初に聴いたのは「Guitar's Practicing Musicians, Vol. 2」というオムニバスアルバム。これを聴いてエリック・ジョンソンにはまった。
 彼のオリジナルアルバム「未来への扉」に♪Cliffs of Doverのスタジオ収録オリジナル版がが収録されているが、個人的にはこのライブ音源こそが最高の♪Cliffs of Doverだと思っている。故に衝動買いとなったわけだ。
 どうやらこの映像は、アメリカの音楽番組「Austin City Limits」での演奏らしい。DVDも販売されている。CD買ったんだし、その音もかなり良質なものだったし、DVDはいいかなぁと思うものの・・・んー、悩ましい。。

2010年9月17日金曜日

イマジン・プロジェクト




 音楽を聴きながらランニングしていると、どうしても耳からこぼれ落ちそうになるイヤホンに悩まされる。気にしすぎるあまり、音楽を聴くこと、走っていることにすら疑問を感じ始める有様。何とかせねばと、“ウォークマン”Wシリーズを購入。最高なランニングを手に入れた。
 ウォークマンWで最初に聴いたのは、ハービー・ハンコックの新作「Herbie Hancock/Imagine Project」。多数の有名ミュージシャンとのコラボレーション。素晴らしい演奏の結晶。走りながら簡易的にウォークマンWで聴くものではないか。
 冒頭のイマジンはまあまあか─。全曲カバーであるし、全曲それなりに良いはずで、期待以上の演奏を聴かせてくれなければ大満足とはいかないか─。ハービーのアルバムでありながら、聴いていてハービーの姿が全く見えない。ハービーのピアノは確かにはっきりと聴こえる。しかし、見えてくるのはあくまで曲だけであり、これがハービーのプロジェクトであり創造物であるという意識がわき起こらない。それでいいのかハービー、いや、恐るべしハービーか…。
 ボブ・ディランの6曲目、ティナリウェンとボブ・マーリーが融合した8曲目などがおもしろかった。サハラとカリブの見事な融合。「平和と地球規模の責任」というアルバムコンセプトということもあって、世界中の音楽とアーティストが融合しているというわけだ。
 このアルバムを収録したもようは、ドキュメンタリーとしてDVDでリリースされるようだ。本当にハービーが演奏しているのかどうか確かめよう。

Imagine Project


2010年9月8日水曜日

Against the wind

 Running on empty と検索すると、ジャクソン・ブラウンの「孤独のランナー」はもちろんヒットされるが、映画「旅立ちの時」も結構出てくる。「孤独のランナー」がテーマ曲とか思ったのだが、そうではなく、原題が「Running on empty」だったのだ。好きな映画で何度も見ているが、はじめて知った。日本語タイトルの何とかけ離れていることか。まぁ、それが面白いところではあるのだが…。「ランニング・オン・エンプティー」という邦題をもって、今一度映画を見てみようか。その前に日課のランニングを─。

 台風9号が日本のそばにいる。ここ最近風が強いのは、確実にそのせいだ。海に向かって走っていくと、向かい風が否応なく体力を奪っていく。いつものように耳にしているイヤホンも、頻繁に耳から落ちかける。緩んだイヤホンをなおすだけでも、リズムを乱され、自然と疲労が溜まっていく。それでも、耳から聴こえてくる音楽がくじける心を励ましてくれる。使い古された表現だが、追いつめられるとそういうものが身につまされて迫ってくる。
 ボブ・シーガーの「アゲインスト・ザ・ウィンド」が流れてきた。これで、この強風にも負けることはない、だろう・・・
Against the Wind - Bob Seger

 これを聴いた後、耳からイヤホンを外し、この曲の余韻だけで走りぬいた。アゲインスト・ザ・ウィンドというフレーズを頭の中でループさせることにより、半ば無心となり、奔馬の如く、ようやく10km走りきった。耳から直接的に音楽を聴かずとも、音楽によって体に力がみなぎった、としておこう。

 目標だった10kmを達成できたのは、風のおかげだ。風が妨げになるだろうと思っていたものが、風のためにスピードを出せずに、いつもよりもかなり遅いペースで進んだ。そのことがかえって後々の体力温存となり、長い距離を走りぬくことができたわけだ。足もとをみて走ることが大切だ。風に逆らって進んでも、身のほどを知れば、着実にすすむことができるはず。これからもボブ・シーガーを聴きながら、走っていこうかな。






Against the Wind / Bob Seger

It seems like yesterday
But it was long ago
Janey was lovely she was the queen of my nights
There in the darkness with the radio playing low
And the secrets that we shared
The mountains that we moved
Caught like a wildfire out of control
'Til there was nothing left to burn and nothing left to prove
And I remember what she said to me
How she swore that it never would end
I remember how she held me oh so tight
Wish I didn't know now what I didn't know then

Against the wind
We were runnin' against the wind
We were young and strong, we were runnin'
Against the wind

The years rolled slowly past
And I found myself alone
Surrounded by strangers I thought were my friends
I found myself further and further from my home
And I guess I lost my way
There were oh so many roads
I was living to run and running to live
Never worryied about paying or even how much I owed
Moving eight miles a minute for months at a time
Breaking all of the rules that would bend
I began to find myself searching
Searching for shelter again and again

Against the wind
A little something against the wind
I found myself seeking shelter sgainst the wind

Well those drifter's days are past me now
I've got so much more to think about
Deadlines and commitments
What to leave in, what to leave out

Against the wind
I'm still runnin' against the wind
I'm older now but still runnin' against the wind
Well I'm older now and still runnin'
Against the wind
Against the wind
Against the wind

Still runnin'
I'm still runnin' against the wind
I'm still runnin'
I'm still runnin' against the wind
Still runnin'
Runnin' against the wind
Runnin' against the wind
See the young man run
Watch the young man run
Watch the young man runnin'
He'll be runnin' against the wind
Let the cowboys ride
Let the cowboys ride
They'll be ridin' against the wind
Against the wind ...


昨日のことのようだ
でもずっと前のことだ
ジェイニーは素敵で、俺にとって夜の女王だった
暗闇の中で小さく鳴るラジオ
俺達が分かち合った秘密
俺達が動かした山は
手に負えない野火のように広まり
燃やすものも証明するものもなくなるまで燃え続けた
俺は彼女の言葉を思い出す
彼女は誓った。決して終わりはこないと
彼女が俺を強く抱きしめたあの感覚を覚えている
あのとき俺が知らなかったことを、今でも知らなければいいなと思う

風に逆らって
俺達は風に逆らって走っていた
俺達は若くて強かった。俺達は走っていた
風に逆らって

年月はゆっくりと流れ
俺は一人になっていた
友達だと思っていた他人に囲まれて
家から遠く遠く離れている自分がいた
道に迷ったんだろうな
本当にたくさんの道があった
俺は走るために生き、生きるために走っていた
金払いの心配など全くせず、借金の額さえも
何か月も、8マイル/分で移動した。少しずつ
破れるルールは全部破った
自分が何かを探していることに気づき始めた
避難場所を探していたんだ。何度も何度も

風から身を守って
風から身を守るための、ささいな何か
風からの避難場所を探している俺がいた

そんなさまよい人の日々も、今では昔の話だ
考えなきゃならないことが、たくさんある
締め切りだの、約束だの
持っておくものと捨てるものの区別だの

風に逆らって
俺は今でも風に逆らって走っている
今じゃ老けたが、まだ風に逆らって走っている
そうさ。年を取ってもまだ走っているんだ
風に逆らって
風に逆らって
風に逆らって

今でも走っている
俺は今でも風に逆らって走っている
俺は今でも走っている
俺は今でも風に逆らって走っている
今でも走っている
風に逆らって走っている
風に逆らって走っている
その若者が走る姿を見ろ
その若者が走る姿をよく見ろ
その若者が走っている姿をよく見ろ
彼は風に逆らって走り続けるだろう
カウボーイを馬に乗せてやってくれ
カウボーイを馬に乗せてやってくれ
彼らは風に逆らって走り続けるだろう
風に逆らって……

2010年9月7日火曜日

孤独のランナー

 走り始めてちょうど1ヵ月になるだろうか。徐々に膝や腰の痛みを感じなくなってきた。当初1kmほどで息絶え絶えだったものが、きのうはようやく9kmをノンストップで走り切った。目標にしていた一日10kmはまず無理だと思っていたが、あとわずか。たかがあと1km、されど1km、焦らず伸ばすか。
 道中、疲労の気を紛らすかのように、音楽を聴きながら走っていた。その際、1曲目は必ずジャクソン・ブラウンの「孤独のランナー」─

Running on empty


画像


 通勤の行き帰り、背負っているかばんの重みも、この曲のフレッシュさで一蹴していたわけだ。

 そんなある日…。太陽が照りつける中、猛暑日なんぞに負けないぞと「孤独のランナー」を聴きながら勢い勇んで家を出た。正直、足腰の痛みはかなりのもので、走ることへの疑問を感じ始めた時期。簡単に日差しに負けてしまいそうに思えたものが、不思議とそれまでにないくらいの体の動き。自宅から駅まで3.5km、いつもなら3度はストップしていたものが、1ストップで到着。
 さあ、駅のトイレで汗だくの服を着替えて、まさにフレッシュな気持ちで出社だ!と満たされた気持ちで背負ったかばんを前方のほうに下ろすと、かばんのチャックが全開で、走る際に邪魔になると思い詰めていた財布・携帯・眼鏡などほとんどのものが、そこには無かった。空っぽのままに走っていたわけだ。
 すぐさま、また3.5kmを走る。財布も、携帯も、眼鏡も、何も道に落ちてはいない。諦めのままに、とりあえず、自宅へ戻り、通帳を手に銀行へ。口座を止めて、携帯電話もストップ、あとは交番へ行くしかなかった。
 自宅を出て1時間ほど経っただろうか。もう丸一日動き回った気分だ。最寄り駅の交番へ落し物の届け出をして、あとは待つだけ。しかし、なんとそこに落としたはずの財布と眼鏡が届けられていた。奇跡というほかない。届けてくれた人にただただ感謝、後日、直接会って感謝とそれなりのお礼が出来た。その誠実な人の話によると、かばんから次々に物が落ちるのを目撃して、大きな声を掛けてくれたらしいのだが、不幸にもその時「Running on empty」に夢中になっていた自分はその善意を完全無視してしまったわけだ。からっぽにもほどがある。

 その後、通勤時のランニングと通勤時の歩きながらのウォークマンは厳禁にした。自分の時間のなかで、走る時間をつくり、そのなかでウォークマンを聴きながらランニングを続けている。相変わらず背中にはかばんを背負っているが、その中に入っているのはタオルとカメラだけ。なるべく空っぽに─。ちなみに、もうランニング時のジャクソン・ブラウンはやめにした。その前向きな歌詞とフレッシュなメロディーは、今の自分には不釣り合いだから。


RUNNING ON EMPTY / JACKSON BROWNE

Looking out at the road rushing under my wheels
Looking back at the years gone by like so many summer fields
In sixty-five I was seventeen and running up one-o-one
I don't know where I'm running now, I'm just running on

Running on running on empty
Running on running blind
Running on running into the sun
But I'm running behind

Gotta do what you can just to keep your love alive
Trying not to confuse it with what you do to survive
In sixty-nine I was twenty-one and I called the road my own
I don't know when that road turned into the road I'm on

Running on running on empty
Running on running blind
Running on running into the sun
But I'm running behind

Everyone I know, everywhere I go
People need some reason to believe
I don't know about anyone but me
If it takes all night, that'll be all right
If I can get you to smile before I leave

Looking out at the road rushing under my wheels
I don't know how to tell you all just how crazy this life feels
I look around for the friends that I used to turn to
to pull me through
Looking into their eyes I see them running too

Running on running on empty
Running on running blind
Running on running into the sun
But I'm running behind

Honey you really tempt me
You know the way you look so kind
I'd love to stick around
But I'm running behind

Running on
You know I don't even know what I'm hoping to find
Running behind
Running into the sun but I'm running behind


車輪の下をすり抜けていく道路を眺めながら
あの夏の草原のように過ぎ去って行った年月を思い返す
��5年 17歳だった僕は
��01号線を北へ向って走っていた
今 僕はどこを走っているかも分からず
ただ走り続けている

走り続ける 空しく走り続ける
走り続ける 訳も分からず走り続ける
走り続ける 太陽に向って走り続ける
それなのになかなか追いつけない

愛を守り続ける為にはどんな事でもしなくちゃいけない
でもそのことと生き残る為にしなくちゃいけない事を
取り違えてはいけない
��9年 21歳になった僕は道路を僕の人生と呼んだ
あの道路はいつ僕の道路の方に向きを変えたのだろう

走り続ける 空しく走り続ける
走り続ける 訳も分からず走り続ける
走り続ける 太陽に向って走り続ける
それなのになかなか追いつけない

どんな人でも どこにいようと
信じる理由が必要なんだ
僕は自分のことしか知らない
一晩中かかろうといいじゃないか
もし僕が発つ前に君を笑わせることが出来るなら

車輪の下をすり抜けて行く道路を眺めていた
この狂った人生を君に上手く話す事が
僕には出来そうもない
ここから引きずり出して欲しくて
かつては振り向けばそこにいた友の姿を
捜し求める その彼らもまた走り続けている

走り続ける 空しく走り続ける
走り続ける 訳も分からず走り続ける
走り続ける 太陽に向って走り続ける
それなのになかなか追いつけない

ハニー 君はとても魅力的だよ
自分を優しく見せる術を心得ているんだね
君と一緒にいたいけど僕は
追いかけなくてはいけないんだ
自分が何を求めて走り続けているのかも
分からなくなってしまった
太陽に向って走り続けているけど
なかなか追いつけない



2010年8月6日金曜日

Like A Rolling Stone

 満員電車の中、ウォークマンをから流れてくる音楽をじっと聴きながら、おしつぶされそうになる気持ちを耐え忍ぶ。きょうの支えとなった音楽は、「ライク・ア・ローリング・ストーン」だった。

Michael Hedges - Like a Rolling Stone


 故・マイケル・ヘッジスが歌う、ボブ・ディランのカバー。ロック調の本家本元とは全く違って、アコースティックであり、フォーク的な「ライク・ア・ローリング・ストーン」。個人的にはこのカバーバージョンの方が好みだ。カバーする側のカバーした曲への愛情を非常に感じるからだ。
 参考までにいうと、ディランの原曲はローリング・ストーン誌が選ぶオール・タイム・グレイテストソンング500で1位になっている。ボブ・ディランはノーベル賞にノミネートされ、ピューリッツァー賞を受賞しているわけだから、特別驚くことではないか─。
 how dose it feel? - like a rolling stone 自分の耳では、残念ながら、ほんの一部分だけしか聴き取れない。何をどう感じるのかと問いかけているのか…そもそも、ローリング・ストーンというのは何であったか…
 A rolling stone gathers no moss. という英文のことわざを習った記憶がうっすらと蘇る。ころがる石は苔をつけない─つまり、…常にフレッシュだということだったかな?と直感的に思ったものの…

rolling stone  [rólling stóne]

―【名】【C】 ころがる石; 住所[職業,仕事(など)]を次々に変える人.

用例
A rolling stone gathers no moss. 《諺》 ころがる石にはこけが生えない 《★【解説】 商売変えは損あって益がない; 絶えず恋人を替えている人は真の愛が得られない[結婚できない]; 《米》 ではまた絶えず活動している人はいつも清新だの意に用いる》

研究社 新英和中辞典より
 
 
 優柔不断はよくないという意味とフレッシュ!という意味が含まれている。つまり全く逆の意味が同じ言葉に内包されている。どうやら、イギリスでは否定的に用いられていて、アメリカでは肯定的に使用されているという。これは、イギリスでは伝統を重んじて、アメリカでは新しいものが喜ばれるという文化的な違いの表れだということだが、アメリカ出身のボブ・ディランはやはり、肯定的なローリング・ストーンを歌っているのだろうか。

Once upon a time you dressed so fine
You threw the bums a dime in your prime, didn't you ?
People'd call, say, "Beware doll, you're bound to fall"
You thought they were all kiddin' you
You used to laugh about
Everybody that was hangin' out
Now you don't talk so loud
Now you don't seem so proud
About having to be scrounging for your next meal.

昔、君は奇麗な服を着て
良いときは乞食にコインを投げただろう。
人が「気をつけろ、落ちるよ」と言っても
冗談だと思っただろう。
前は笑っていた
ブラブラしている人を。
今はそんなに声をあげない
今はそんなにプライドも高そうでない
次の食事をかき集めるときにはね。


How does it feel
How does it feel
To be without a home
Like a complete unknown
Like a rolling stone ?

どんな気分だい?
どんな気分だい?
家がなくて
全く知られていない人のように
転がる石ころのようにいるのは


You've gone to the finest school all right, Miss Lonely
But you know you only used to get juiced in it
And nobody has ever taught you how to live on the street
And now you find out you're gonna have to get used to it
You said you'd never compromise
With the mystery tramp, but know you realize
He's not selling any alibis
As you stare into the vacuum of his eyes
And say do you want to make a deal?

一番良い学校にいったね、淋しいお嬢さん
そこでは甘やかされただけだった
路地で生きるためのすべは教えてもらえなかった
だけど今は、これに慣れないといけないことに気づいてね
謎のトラップには妥協はしないと言ってた
だけど今は気づいたろ
アリバイを売ってはくれない
彼の空虚な目を見つめながら
取引をしようと言いながら。


How does it feel
How does it feel
To be on your own
With no direction home
Like a complete unknown
Like a rolling stone ?

どんな気分だい?
どんな気分だい?
ひとりぼっちで
家路もなく
全く知られていない人のように
転がる石ころのようにいるのは


You never turned around to see the frowns on the jugglers and the clowns
When they all come down and did tricks for you
You never understood that it ain't no good
You shouldn't let other people get your kicks for you
You used to ride on the chrome horse with your diplomat
Who carried on his shoulder a Siamese cat
Ain't it hard when you discover that
He really wasn't where it's at
After he took from you everything he could steal.

ジャグラーとピエロ達のしかめ面を見るために振り返ったことはなかっただろう
皆降りてきて君のために手品をしてくれたとき
それがダメだとは分からなかっただろう
他人に楽しさを任せてはいけないこと
前は君の外交官とクロムの馬に乗っただろう
彼の肩にはシャム猫を乗せて
彼がいたのは違う場所と分かったときは大変だっただろう
彼は、盗めるものはすべて持っていったね


How does it feel
How does it feel
To be on your own
With no direction home
Like a complete unknown
Like a rolling stone ?

どんな気分だい?
どんな気分だい?
ひとりぼっちで
家路もなく
全く知られていない人のように
転がる石ころのようにいるのは


Princess on the steeple and all the pretty people
They're drinkin', thinkin' that they got it made
Exchanging all precious gifts
But you'd better take your diamond ring, you'd better pawn it babe
You used to be so amused
At Napoleon in rags and the language that he used
Go to him now, he calls you, you can't refuse
When you got nothing, you got nothing to lose
You're invisible now, you got no secrets to conceal.

先塔の上のプリンセスと奇麗な人たち
彼らは飲んで、すべて大丈夫だと思っている
貴重なプレゼントを受け渡し
だけど今はダイアモンドの指輪を持っていった方がいいね、質屋に
昔は笑っていたのに
おんぼろ服のナポレオンと彼の言葉に
彼のところに行ってこい、彼が呼んでる、断れないだろう
何もないときは、何も失えないのさ
君は透明なんだ、隠す秘密もないのさ。


How does it feel
How does it feel
To be on your own
With no direction home
Like a complete unknown
Like a rolling stone ?

どんな気分だい?
どんな気分だい?
ひとりぼっちで
家路もなく
全く知られていない人のように
転がる石ころのようにいるのは



 決して、良いイメージで描かれていないその内容。しかし、最後は不思議と肯定的なイメージを持ってしまった。自由、万歳、といった感じか。そんな単純なものではないかもしれないけれど─。
 ローリング・ストーンというものは、なかなか奥深い。
 ボブ・ディランが1965年に「ライク・ア・ローリング・ストーン」をリリースする遥か前に、マディ・ウォーターズが1948年に「ローリン・ストーン」という曲でローリング・ストーンを歌っている。あのローリング・ストーン誌の名前の由来といわれる有名な曲。その表現は、「ライク・ア・ローリング・ストーン」と非常に共通しているものがある。

♪Rollin' Stone
Well, I wish I was a catfish,
Swimmin in a oh, deep, blue sea.
I would have all you good lookin women,
Fishin, fishin after me.
Sure 'nough, a-after me.
Sure 'nough, a-after me.
Oh 'nough, oh 'nough, sure 'nough.

I went to my baby's house,
And I sit down oh, on her steps.
She said, "Now, come on in now, Muddy."
"You know, my husband just now left."
"Sure 'nough, he just now left."
"Sure 'nough, he just now left."
Sure 'nough, oh well, oh well.

Well, my mother told my father,
Just before hmmm, I was born,
"I got a boy child's comin,"
"He's gonna be, he's gonna be a rollin stone,"
"Sure 'nough, he's a rollin stone,"
"Sure 'nough, he's a rollin stone,"
Oh well he's a, oh well he's a, oh well he's a.

Well, I feel, yes I feel,
Feel that I could lay down oh, time ain't long.
I'm gonna catch the first thing smokin,
Back, back down the road I'm goin.
Back down the road I'm goin.
Back down the road I'm goin.
Sure 'nough back, sure 'nough back.


なまずだったらいいのにな
青い海の底 深く深く 泳ぐ
おまえはいい女
口説き落としたい
俺を釣り上げてくれ
確かに、そう、確かに

彼女の家に行ったんだ
階段に座ってさ
「おいで、マディ。主人は今出て行ったわ」
確かに、そう、確かに

俺の母親は父親にこう言った
俺が生まれる前のことさ
「男の子が生まれるわ。
けど、この子は流れ者になるわよ、きっと」
確かに、そう、確かに

俺は転がる石ころ

寝転がってるとさ 確かに感じる
俺の人生そんなに長くない
初めて煙草吸った時みたいなあの感覚を捕まえにいくぜ
だから
俺を道路に戻してくれ
俺は行くからよ
俺を道路に戻してくれ
俺は行くからよ
確かに、そう、確かに

 決してよいイメージではないローリング・ストーンではあるが、それはそれで悪くないだろう、といった不思議な肯定と説得力がある。まさか、これら楽曲がことわざの本来の意味を変えてしまったとまでは思わないけれども、肯定的なローリング・ストーンというものも、決して真新しいということだけでは済まされない深い意味が含まれているようだ。
 斯く言う自分も、転がり続けているようなものなのだが、それなのにコケやカビまでもがこびりつき、さらには、どんどん摩耗していっているような…「ライク・ア・ローリング・ストーン」を聴きながら、耐え抜こう♪

2010年7月25日日曜日

クラッシュ

The Clash/London Calling


 クラッシュ、あまり理解できなかった、クラッシュ・・・

 先月、突然、データをため込んだハードディスクがクラッシュして、「そういえば、あのクラッシュって、あんまり聴き込まなかったなぁ」と思ってしまった。まぁ、ある種、思考の逃避行のようなものだが─、クラッシュでも聴いてりゃ直るんだろ、どうせ、─みたいな。そんなの甘いわけで、どんなに撫でても叩いても、パソコンから決して見ることが出来なくなってしまった。そうクラッシュ!です。



ボーカルのジョー・ストラマーはだいぶ前に故人となっていたらしい。合掌─。この追悼ライブ、すばらしい面々だが、やっぱ壊れているな。

 さて、壊れたハードディスク(HD)というのは、2年ほど前に購入したバッファローのLS-500GL。故障の原因を探るべく、メーカーのウェブを見ると、どうやら修理に出さなければ回復する見込みがない模様。しかし、メーカーの対応は、あくまでハードの修理であり、中に保存してあるデータに関しては知るところではないという姿勢。データの回復を望むのであれば、それなりの業者、つまりデータ回復業者に頼まないといけないようだ。
 それでは、データ回復にどれだけの費用が必要なのか色々と調べてみると、軽度の故障からの回復で4~5万、重度の回復だと数十万もする。完全に足もとを見た値段設定にしか思えない。我のHDの故障は、どうも重度であるようだから、うん十万か…。こうなれば、自分で何とかする。どうせ壊れたハードディスク、分解してデータを抽出してやるぞ!
 そこでこのHDについて詳細に調べると─、NAS 【Network Attached Storage】(ネットワーク接続ストレージ)のハードディスクで、XFSという形式でフォーマットされている、─とのこと。なにやら聴きなれないフォーマット。それもそのはず、この種のストレージはLinuxディストリビューションを使用しないと認識することはできないようで、普段WinとかOS Xといった部類のPCだけしか触っていな自分には、少しばかり敷居が高いか・・・。
 しかし、このネット時代、検索すれば、分解から、データ抽出方法まで素晴らしく丁寧な解説が結構出てくる。これは意外と自らの手で、データ回復ができるかも。
 LinuxディストリビューションはKNOPPIXというものを使用。CDやDVDにダウンロードしたKNOPPIXをイメージとして焼き込んで、それをPCに入れてOSとして起動させれば、XFSフォーマットのストレージを認識できる。

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 まずは、Win7にて焼き込んだDVDを起動。KNOPPIXはみごとに起動、さらに、分解したストレージも認識した。しかし、データのコピーがうまくいかない。しかも、ワイヤレスデバイスの一部が機能せず、マウスと無線LANなど全く使用できず、非常にストレスを感じた。ので、いったん撤収。
 つぎは、XPにてKNOPPIXのバージョンを上げたものをダウンロードし、CD・DVD両方作成。しかし、KNOPPIX自体が起動せず。7,8年前のPCだったからか。
 最後に、OS XにてDVDを起動してみる。みごとにKNOPPIXが起動、そしてストレージも認識。さらに、データのコピーもうまくいった。しかし、ハードの一部分が欠損している模様で、どうしても抽出できないファイルがあった。幸いにもLinkStationにはゴミ箱機能が付随していて、エクセルのデータなど知らないうちにバックアップされていた。そのゴミ箱を時間を逆算しながら抽出していって、壊れていない時点のデータをようやく発見し、結果96%のデータを自らの手で回復させることに成功した。
 分解したハードは完全にゴミと化したが…

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 この“ハードディスク壊れちゃった事件”は先月発生、10日ほど前にようやく解決して、同じような内容の悪戦苦闘ドキュメントをPLAYLOGなるブログに記したのだが、偶然の一致というか何というか、PLAYLOGそのものがクラッシュしてしまった。ストレージに重大な異常が発生したようで、ブログが閉じられた状態になっている。ものダメかもね。
 今更ながら、データの保存・取り扱いというものが非常に大切だなという思い。ブログに記入する文章は、当然のごとくバックアップしているはずもなく、アップロードした画像なども、当初は保存していたものの、それが増えるにつれて、「あそこにあるから、いいや」などと、バックアップしなくなっている。ということは、ブログがクラッシュしてしまえば、一瞬にしてデータが消えてしまうわけだ。「ま、いっか」と思うか、「おそろしい」と思うか、気の持ちようだと思うのだが、やっぱ、おそろしい…。
 万全のRaidで、安全対策はバッチリ(?)だとは思うのだが、本当に大丈夫なのだろうか、クラウドもウェブリログも…。外にデータを保存してバックアップを内におく、という無駄なことだけは避けたいものなのだが…あまいかな?
本当に大切なものは、自己責任でしっかりと管理するしかない、か・・・。

クラッシュ、どうぞ

ノーモアクラッシュ


2010年6月17日木曜日

インバルのマーラー2番

東京都交響楽団
Tokyo Metropolitan Symphony Ocehstra
第700回定期演奏会Aシリーズ
Subscripstion Concert No. 700
��010年6月16日(水)19:00開演 東京文化会館
Wed. 16 june, 19:00 at Tokyo Bunka Kaikan
マーラー:交響曲第2番ハ長調「復活」
Mahler: Symphony No.2 in C Minor AUFERSTEHUNG
指揮/エリアフ・インバル
Eliahu INBAL, Conducor
ソプラノ/ノエミ・ナーデルマン
Noemi NADELMANN, Soprano
メゾソプラノ/イリス・フェルミリオン
Iris VERMILLION, Mezzo-soprano

S席8,500円 A席7,500円 B席6,500円 C席5,000円 Ex席2,500円


 B席ーL9ー2番からの鑑賞。比較的前方の位置ではあったが、向かって左端の席であったため、左奥のトランペットやハープなどが見えなかった。音の聴こえ方は非常に良かったが、第一バイオリンをやや背後から聴く位置であったため、バイオリンが弱い印象。
 それでも、狭いステージ上でありながら非常にバランスのとれた演奏に思えた。これぞインバルのなせる技なのだろう。やはりマーラーは得意とするところなのだろう、気合を入れて聴いているこちらとは対照的に、軽やかに指揮している。その軽やかな指揮は、管楽器にとって有効なのかもしれない。静かに鳴らす緊張する部分も、力むことなく正確な音を鳴らしていた。
 全体的に、メリハリをつけた演奏であった。故に、常に混沌として分かりずらいと感じている第1・第2楽章が、非常に明快な印象を受けた。指揮者自身がこの交響曲をよく理解しているということなのだろう。
 声楽陣の登場は第1楽章終了時。後半に集中するこの声楽を、どのタイミングで配置するかというのは、指揮者によってだいぶ違うようだ。
 2人のソプラノは非常に力強く、管弦楽とよく溶け合っていた。第4楽章の独唱、弦楽、木管との競演では、圧倒的な声楽の存在感を示し、なおかつ他の音をひきたてる役となっていて、感動的な演奏であった。
 期待の第5楽章は、やや期待外れ。あまりに音を切りすぎのように思えてならなかった。心なしか指揮にも演奏にも力みを感じる。力が入るのは分かるが、前半のあの巧みさで流れていってほしかった。
 とはいえ、合唱部分は非常に素晴らしいものであった。合唱により、危うくなった管弦楽が救われたような印象。合唱への指揮・指示は細かいもので、それがよい歌声につながっていたのは確かであろう。声楽は相当鍛えられたのかもしれない。それとも、2人の外国人ソプラノにひっぱられていたのだろうか。
 とにかくも、この歌声により、不完全燃焼なることなく、すっきりとした気持ちで会場を後にすることができた。



2010年6月13日日曜日

Pat Metheny "Orchestrion"の衝撃

パット・メセニー≪オーケストリオン≫
��010年6月12日(土) すみだトリフォニー
��8:00開演(17:30開場) S席8500円 A席7500円
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今回購入できたチケットはS席・1階26列19番
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ちょうどPAが設置されているすぐ前の席。であるから、少々遠目に感じるとはいえ、音響的には最高のポジションといえよう。

予定より5分ほど遅れて開演。

アコースティックギターを使用しての自曲メドレーでスタート。次にピカソギター使用してのお馴染みの曲。出だしは自動演奏装置が微動だにせず。

エレクトリックギターを手にすると、少しずつオーケストリオン始動。

前置きが終了すると、オーケストリオンの全体像が露わに

想像以上のセット
セットというより、まるで現代アートのインスタレーションの様相
ビジュアル的に素晴らしくとも、その音はグループのものに比べるとどうしても薄く軽いものに感じてしまう。しかし、それが奏でる音楽は決して機械的なものに非ず。それというのも、パット・メセニーのギターがあっての故なのだろう。この男は機械でさえもひきたてることができるのか。恐るべし…。
アルバム内の曲を一通り演奏し終えると、オーケストリオンを使用したインプロヴィゼーション。この装置、単にプログラムを自動的に演奏するだけでなく、パット・メセニーのギターで全ての楽器をコントロールできるよう設計されているようだ。ギターのエフェクターであるZOOMをうまい具合に組み合わせて、ひとつひとつの楽器を順番にコントロールして任意のフレーズをZOOMでループさせ重ねていく。全ての音を鳴らし、ループさせ重ね終えると、そのバック演奏的な分厚いZOOMにギターソロを加えていく。そのギターソロに合わせて、ビブラフォンが半ばユニゾンしたり、打楽器がギターに連動したり…、オーケストリオンを体感すればするほどその仕組みが全く分からなくなってくる。足でも複雑に操作しているということだったが、その神業的な演奏に、本当にひとりでコントロールしているのか疑ってしまうほど。もしかしたら裏でエンジニアがコントロールしているのではと疑いたくなるほどの巧みさ。

これは単なるコンサートではなく、本当に完成されつくされたアート。
アーティスティックなパフォーマンスを、過去に類をみないほどの完成度で鑑賞することができたと感じる。これを超えるソロパフォーマンスはもはや皆無ではなかろうか。いわばソロパフォーマンスの極致を見たような気がする。

会場の盛り上がりも尋常ではなく、アンコールも計3回。結果、3時間以上のスペシャルな公演となった。

きょうのこの日の歴史的な演奏、ぜひとも映像で入手したいものである。とはいえ、Youtubeの映像を見る限り、そのすごさの半分もにじみ出ていないわけで、やはり生でこれを体感しないことにはその真のすごさは実感し得ないわけだ。

もう2,3周世界をまわってもらいたいものである。


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2010年6月12日土曜日

オーケストリオン日本公演にむけての予習

オーケストリオン


 1月末にリリースされたパット・メセニーの「オーケストリオン」。発売前から、THE ORCHESTRION PROJECTと題されたパット・メセニー公式HPを見て、大きな興味と注目を持って期待していたのだが、これまでにアルバムを聴いたのがわずか2度ほど。その音だけを聴くと、期待が大きかっただけに、少なからず物足りなさを感じてしまう。
 オーケストリオンというのは、その昔、オーケストラやバンドのようにあらゆる音を奏でるように設計された音楽自動演奏装置。
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 自動演奏というコンセプトをもとに、パット・メセニーは、一人でギターを演奏しながらあらゆる装置を駆使し様々な音を奏でるという、一人でありながらグループ単位の音楽を作り上げようとしたわけだ。

 非常に興味を深い。しかし、これを録音された媒体で聴くだけでは、その凄さを感じ取ることは、なかなか難しい。ただ、アルバム発売と同じくしてオーケストリオン・ツアーの予定が発表され、これを生で演奏することへの驚きと期待が新たに生まれる。
 なるほど、パット・メセニーというアーティストは、まさにライブ至上主義であり、ライブのためにアルバムをリリースするわけだ。
 あの切れ目なく演奏し続けるというコンセプトのアルバム、パット・メセニー・グルームの「ザ・ウェイ・アップ」もライブを体験しなければ、その本質をなかなか捉えることはできない。ライブを見た後でさえ(ライブを見たが故に?)、音だけでは満足できず、アルバムそのものをすすんで聴こうという気にはなっていない。しばらく新しいアルバムは作らずに、このザ・ウェイ・アップをもとに、あと2,3回、世界中を回ってほしい。
 ちなみに、パット・メセニー、このソロツアーの後、すぐグループでのヨーロッパツアーが予定されているとか。ライブで新しい音を発表して、ライブの演奏を収録してアルバムとして販売すればいいのでは、と勝手に思う。
 とにかくも、明日の一人メセニーグループ。先行して体感した人たちのレビューも高評価が目立つので、大いに期待しよう。

 

2010年6月3日木曜日

John Adams Earbox

 アダムズ、グラス、ライヒなどのミニマル音楽ばかり聴いていると、どうしても飽きてしまう。飽きてもまた聴いてしまうのは、そのメロディーが非常に心地よかったりするからなのだが、ならば何故飽きてしまうかというと、ご想像の通り、永遠に続くかと錯覚してしまうほどのループが煩わしいものに思ってしまうわけだ。
 ジョン・クーリッジ・アダムズの音楽は、グラスやライヒと比べて、反復がそれほど激しくなく、音の変化も比較的大きい方だ。とはいえ、「Earbox」などのボックスセットを聴き続けると、何か物足りない気になってしまう。
The John Adams Earbox [Box Set]
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 ウォークマンなどにこのボックスを納めて、なんとか全て集中して聴こうと試みるのだが、いつの間にか違うこと(読書やメールなど)に気持ちが移っている。アダムズの音楽が見事に周りの世界との壁となってくれて、恐ろしいくらいに読書などに集中できる。サティの“家具の音楽”的な要素が含まれている証拠と言えるのか…。
 こうして、アダムズの音楽に集中できないままに、大量の音楽群はいつの間にか忘れ去られてしまうことになってしまうのだ。それをまた発掘するのは、意外と困難だったりする。
 忘れ去られた音楽を発掘するのには、全曲を対象にシャッフルして聴くことが最もいい。最近シャッフルして、発掘、再発見したものがアダムズだった。あらゆる音楽に囲まれたアダムズの音楽というものが、非常に際立って聴こえた。とくに気に入ったのが♪Christian Zeal and Activity という曲。

 人がまばらな都市のビル群を眺めながらアダムズを聴くと、なぜか非常に悲しい。

 アダムズはいいなと再認識して、再びボックスセットを発掘して、代表作の「Nixon in China」などを聴いてみる。オペラは音楽だけでは楽しめないのかもしれない。
 こうしてまた、これら音楽は埋もれていく。
 でも、またいつの日か─…