2012年3月15日木曜日

タンポポとマーラー、そしてリスト

テレビで映画「タンポポ」が放映されていた。故・伊丹十三氏の傑作であり、テレビで見かけることも別に珍しいことではないけれども、背後に流れる音楽がマーラーの交響曲第5番第5楽章だということに初めて気がついて、思わず身を入れてしまう。

ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」での第4楽章などは、曲調と映像が非常にマッチしていて、効果的なマーラーの最たるものだと思うのだが、「タンポポ」での第5楽章も悪くない。もっとも「タンポポ」でも第4楽章は多用されているのだが…官能的な場面では必ずといっていいほど第4楽章が流れ、本筋のラーメン修行の場面では第5楽章とうまく使い分けている。

「タンポポ」を初めて見たガキの頃は、エロいシーンと(自分が虫歯で苦しんでいたために)おっさんが歯を抜かれるシーンだけしか印象に残らなかった。それ以外のものが駄目とかというよりも、自分にとってそれらがあまりに強烈だったためだ。どちらも映画の本筋から外れたものであり、それらばかりに気を取られると当然ながら映画の良さも理解できない、かといってそれらを無視したのでは本当の「タンポポ」の良さが失われてしまうと思うのだが。

数度の「タンポポ」と年齢を重ねることで、その良さを徐々に理解し得るようになってきて、そしてまた、遅ればせながら「タンポポ」でのマーラーを見出して、さらに映画を租借する。非常に美味しい映画だ。

 

マーラーの第5番を初めて聴いたのも、「タンポポ」が話題になっていた頃だと記憶する。脈絡があったわけではなく、単なる偶然。レンタル店に耳慣れぬマーラーなるCDが目立つように置かれていたために、半ば興味本位で借りて聴いた。「タンポポ」があってのレンタル店の主張だったのかもしれない。そう考えると、世間的な脈絡というのがあってそれに自分は乗っかったといえるのかもしれない。

(メンデルスゾーンによる)結婚式の歌のような出だしで始まるマーラー5番の第1楽章、突如マイナーの響きへと突き落とされて不快な思いしか感じ得なかったものだが、いまではその展開に病みつきだ。

 

マーラーの愛弟子ブルーノ・ワルター、少し前にBruno Walter Conducts MahlerなるCDを目にしたものの、どうせ古い録音で自分が理解できるわけでもないということで購入を回避していたのだが、あまりの破格値とほぼステレオ録音だということで結局買ってしまった。でどうだったのかというと、想像以上に良い音でかなりの満足。これを基準にあらゆるマーラーを比較していけそうな気がする。

 

映画「ベニスに死す」を今一度見直している。トーマス・マンがマーラーの死によって小説家である主人公がグスタフという名を持つに至った小説、それをヴィスコンティが映画化、グスタフを音楽家に仕立て上げ、マーラーの交響曲とともにマーラーの姿を映画の中に強く反映させている。見事なテーマ、見事な映像、見事な音楽─。

 

続けてケン・ラッセルの映画「マーラー」を見直す。「ベニスに死す」のグスタフに扮した男が駅のベンチに座って、その周りをタージオ的な美少年がぐるぐる回って茶化している、そしてそれを汽車の窓から微笑みながら眺めるマーラー、音楽は当然5番のアダージェット、この上なく好きなシーン。

そういえばケン・ラッセルは2011年の暮れに逝ってしまったはず。彼の自由な発想をもやは新たには見ることはできない、残念。もっとも、映画「リストマニア」のようなあまりにも自由すぎるような作品になると、見る側は戸惑いを覚える。もっともその破天荒ぶりこそがいいのだという見方もあるのだが。

 

そういえば2011年はリスト生誕200周年だったはず、それにちなんだ演奏会もあったはずだが、すっかり忘れていた。

ギターで演奏した「愛の夢」ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2010で聴いたブリジット・エンゲラーの「葬送」、これらがリストにおける個人的な思い入れ。

マーラーの第5番第1楽章も「葬送行進曲」といったはず。送り出す響きは非常に重要だということなのだろう。

映画「タンポポ」ではリストの「前奏曲」が劇的に使用されている。リストというとあまりにもピアノのイメージが強すぎて、シンフォニー的なものはほとんど気にしてこなかったけれども、「前奏曲」の感動的な響きは無視できない。ということで早速、リストの交響詩をじっくりと鑑賞する。

 

リスト、フランツ(1811-1886)/Les Preludes Mazeppa Tasso Orpheus Mephisto Waltz: Masur / Lgo

 


2012年3月8日木曜日

ヴィニシウス・カントゥアリアとビル・フリゼール@マウントレーニアホール

Vinicius Cantuaria & Bill Frisell Japan Tour 2012

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3/6(tue) 3/7(wed) @Mt.RAINIER HALL

<Open> 1st 18:00 2nd 20:00

<Start> 1st 18:30 2nd 21:00

全席指定6000円+ドリンク500円

3月7日(水)ファーストセット、A列6番・一番前やや右寄りという最高の座席。ゆったりした座席、座るとステージが目線の高さにある。当然ながら場内の撮影・録音一切禁止。

 

それほどの混雑なく、ドリンク・マウントレーニアのカフェラテ(オリジナルストラップ付き)を選択、座席のドリンク台を利用しつつスタート待ち。

 

少々遅れてビル・フリゼールとヴィニシウス・カントゥアリアがステージに登場。ビルは水色のフェンダー・ストラトキャスター、ヴィニシウスはガット弦を張ったアコースティックギター、二人ともに椅子に座りながら演奏する完全なギターデュオ。

 

ヴィニシウスがリズム的な演奏、それをベースにビルが自由にソロを弾きまくる。

 

曲目はアルバム「Lagrimas Mexicanas」からのものがほとんど、しかしアルバムに含まれているベースもドラムもなし、さらには多様なインプロヴィゼーションの応酬のために、耳慣れない演奏がほとんど。出だしから聴いたこともないインプロ的な演奏、2曲目からアルバムの曲を演奏しだした、と認識している。

 

生の演奏で、ヴィニシウスはやはりブラジルの生まれだということを確認、彼の演奏はまさにボサノバ的、“メキシコ”と銘打っているアルバムではあったが、南米の音楽というところまでしか捉えられなかったわけだ。

 

それにして、ドラムやパーカッションの奏者でもあるヴィニシウスだけあって、素晴らしいリズム感、ビルのような変幻自在なギタリストにとってこの中で“踊る”ことは無上の喜びなのではなかろうか。

 

目の前のビル。空色のストラト─これが似合うのは彼かジェフ・ベックぐらいではないか、と思わせるくらいの爽やかな音色を奏で続ける。ボリューム、トーン、エフェクターを巧みにコントロール、ギターそのもの歪ませたり引っ掻いたり、とにかくその技のバリエーションには驚いてしまうのではあるが、その技の一つ一つがあくまで楽曲ありきのものなのだということが目や耳を通して確実に伝わってくる、唯一無二のギタリスト。

 

ブラジル的なギターを奏で続けるヴィニシウスとは違い、ビルの演奏は非常にアメリカ的な印象、さすがはアメリカ音楽のルーツを探求し続けるアーティスト。そしてふと思う、アメリカとブラジルの中間に位置しているもの、それがまさにメキシコだと、今回の彼らのコンセプトはメキシコ音楽を純粋に探求したわけではなくて、ふたつの違った音楽が融合した結果、別の音楽が自然発生した、そしてそれが地理的中間地点のメキシコだった、そう勝手に夢想したのだが、真意は分からない。

 

あくまで静寂を基調にしたギターデュオ、ヴィニシウスの優しいボイス、ホールの見事な音響──、そしてステージ上ではビルが左足のつま先を真横にしてその上に右足のかかとを載せ不思議な足の組み方をしている、ヴィニシウスのスニーカーが軽やかに左右にリズムを取る、ダークブルーに真っ白に浮かぶビルの顔、ダークレッドに浮かぶビルの顔…、確実に脳にはアルファー波、強烈な睡魔…、この椅子も原因か──。

 

一日2セットあるだけに実際の演奏時間も短かったとは思うが、そんな心地よい時間もあっという間に終了。アンコールも非常にいい演奏で、もっと観たいという思い。次のセットも控えているわけで、あっさり終了。

 

正直これまで見たライブで最も地味な演奏の部類だったいう印象。しかし、信じられないくらいの満足感。とにかく年期が違う二人の演奏に感服するばかり。

 

帰りに「Floratone II」を購入。これでまた別のビル・フリゼールを楽しもう。それにしても、Floratoneまだ続くのかー。