テリー・ライリーの音楽を初めて聴いたのは「IN C」だった。
この曲の独創的な説明を受けながら聴いたので、相当興味を持って聴くことができたが、何も説明もないまま聴いたのであれば、もしかしたら全く理解不能で退屈な音楽だと感じたかもしれない。
ひとりのピアノ奏者がCコードを一定のリズムで引き続け、そのリズムに合わせてほかの演奏者がついてく。それぞれの演奏者には53種類のメロディーが与えられていて、それを順番に演奏していくのだが、演奏する回数が自由であり、また演奏するしないも自由である。すべての演奏者が53個目メロディーにたどり着いた時点で、演奏が終了となる。
極めて自由であり、それゆえ演奏者ひとりひとりが周りの音に集中して、ひとりひとりが曲を作り上げようという意識が必要だ。
楽譜があるとはいえ、その演奏は演奏されるごとに違うものとなる。演奏時間も演奏されるごとに違うのだが、「全体の演奏時間は45分~1時間半、ひとつのメロディーの演奏時間は45秒~1分半」という目安をライリー自ら提示している。
以上が「IN C」の概略だ。
音楽は解説などよりもまず聴かなければならないとは思うのだが、「IN C」は解説を読んで初めてその音楽のよさを知ることができて楽しむことができるのだと思う。
そのときそのときの音色は、偶然な響きであり、しかしその偶然な響きは奏者一人一人が演出した結果なのだ…などと思いを巡らせて聴くことができるのだ。
��つ1つのメロディーは比較的簡単で誰にでも弾けるように作られているので、聴く楽しみと同時に“弾く”“作る”楽しみも味わえる作品だといえる。
偶然に生まれる新鮮な響き、偶然であるがそれは確実に個々が意識して作り上げたものだという喜びは、実際に演奏しないとなかなか実感できないものだ。
そんな自分も「IN C」は聴いているだけである。いつかは奏者として喜びを体験したいものだ。
音は聞けなかったのですが、実験的なことをやっているのですね。
返信削除ライヒもそうだけど、バッハがひとつの主題を数学的に発展させていくのにたいして、あくまでも、偶然の面白さを追求しているのでしょうか。
インド音楽に傾倒したり、クロノスカルテットのために弦楽曲を書いたり、純正律の曲を作曲したり、その音楽性は幅広いですよ。
返信削除ラモンテ・ヤングもそうでしたが、スピリチャルな曲も多くて、60年代、70年代は作曲者の音楽的探究とは関係なく、いろんな瞑想などに盛んに使われたのでは?と勝手に想像してしまいます。