僕がグスタフ・マーラーを知ったのは高1のころだった。当時メタル少年だった僕は、イングベイ・マルムスティーンがヘビメタにクラシック要素をどんどん取り入れていたのに刺激を受け、クラシックも聴くべきなんじゃないか!?などと完全に感化されて、ヘビメタのCDを借りると同時にクラシックのCDも借りて、その中にマーラーの作品も含まれていたのです。
たまたま通っていたCDレンタル店はクラシックの品揃えが豊富で、それも手伝って、あまりよく分かっていないマーラーなんぞをレンタルしたのです。レンタルしたのはマーラー交響曲第5番でした。なぜかというと、第1楽章:葬送行進曲、と書かれてあったからです。お尻が青い僕にとって、“死”をテーマに作曲するなんて新鮮に思ったのです。のちにレクイエムという存在を知るに至りました。ちなみに、デス・メタルやブラック・メタルも当然聴いていましたが、これらの曲は半ばジョークのように思って聴いていたので、クラシックで“死”の音楽がまじめに扱われているとは思いもよらぬことでした。
それからのち、ケン・ラッセル監督の映画「マーラー」を見て、鬼才と呼ばれているが、マーラーの創造は自然や大地から生まれるている、そして交響曲「大地の歌」という作品も存在する、ということを知る─…「大地の歌」?どこかで聞いたことがある名前だと、ふとその時思ったのです。
ケン・ラッセルについてちょっと触れておきましょう。彼の代表作といえば「チャタレー婦人の恋人」でしょうか。小説が有名で、題名が一人歩きしているようなものですから。しかし「サロメ」「リストマニア」「アリア」「エルガー(TVドキュメンタリー)」など意外と音楽をモチーフにした作品が多いのです。作品ひとつひとつちょっと過激すぎるかもしれませんが、映像美ということに関しては大変すばらしいと思います。ストーリーそっちのけで、映像で感動できると思います。そう思って「エルガー」を見たのですが、普通の人物説明ドキュメンタリーでがっかりしたのですが…。ただエルガーを教えてくれたことは、非常にありがたいことでした。
さて「大地の歌」と僕の接点は─と考えていると、中学校の合唱で「大地の~」という曲を練習させられ、全校生徒による合唱をさせられたことを思い出した。あれマーラーの曲だったのかなぁと交響曲「大地の歌」を聴いてみる。全然印象が違う。合唱練習は嫌で嫌で、なんでこんなこの曲を歌わなければならないのか理解できなくて、曲も大嫌いでした。それがマーラーの曲なら、もう一度よく聴けば嫌な思い出も浄化されるのでは、そう思ったのでした。聴いてみたら結構すばらしいとは思ったものの、歌っていたのとはあまりにも違うのじゃないかという疑問も持ちました。人に聞いたり、いろいろ調べていると、合唱をしていたのは「大地讃頌」(作曲:佐藤 眞、カンタータ「土の歌」の最終曲)ということが判明、大きな勘違いをしていたわけです。浄化されるどころか、新たな恥ずかしさと過去の嫌な思い出を呼び起こすだけのものになりました。さすがにマーラーは義務教育では歌わないかも…
何はともあれヘビメタや「大地讃頌」からマーラーとかエルガーを知るということは、実に面白いことではないでしょうか。
マーラーを知るとトスカニーニという指揮者を知り、「トスカニーニ 愛と情熱の日々」というちょっと見るのには気が引けてしまうような題名の映画にも興味をもち、見ると意外と面白くて、トスカニーニという存在をよく知ってから、再び映画「マーラー」をみて、映画のセリフの中に“トスカニーニ”という言葉が何度か出てきていることに気が付き、さらに深く映画の本質を理解できました。
マーラーの音楽から何かを得たというよりも、マーラーにまつわる事柄によって色んなことを学んだのでした。
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