2007年12月31日月曜日

A Day in the Life / Wes Montgomery


画像Wes Montgomery
「A Day in the Life」
(1967)

��960年代の半ばごろ、クリード・テイラーという大物プロデューサーが“イージーリスニング・ジャズ"シリーズなるものを企画し、それが大当たりいたしまして、その流れからウェス・モンゴメリーをも巻き込み、ストリングスなどのオーケストラを大きく絡めたアルバムを数枚リリースいたしました。もちろん、これらアルバムも大ヒットとなり、ウェスにとってもセールス面で最大の成功を収めることになったのです。
ビ・バップのスタイルで多くの名曲を残しているウェスにとって、このようなポップ路線への転身というのは邪道に捉えられたようで、セールスが良くなる一方で批判めいた声も高かったようです。
しかし、ウェスのこの大成功は、結果的にフュージョン以降の新たな道筋を作ったことは確かなことで、その後にマイルス・デイビスが試みようとしたことすべてが、この「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」に含まれているような気がします。


画像Wes Montgomery
「California Dreaming」
(1966)


画像Wes Montgomery
「Road Song」
(1968)

この2つのアルバムも、同系統だと言っていいでしょう。
クリード・テイラーがプロデュース
ドン・セベスキーのアレンジ、指揮
オーケストラとのクロスオーバー
ハービー・ハンコックが参加
ニュースタンダード…
といった事柄が共通のものとなっています。

遺作である「Road Song」などは、ウェスの真意は分からないけれども、ある種の頂点を極めたような音楽を体感できるはずです、おそらく…。というのも、僕はこのアルバムをじっくり聴いたことがないので…。
画像正直に申しますと─
このアルバムが一番好きだったりします。

m(_ _)m

2007年12月30日日曜日

Full House / Wes Montgomery

♪Full House / Wes Montgomery


やはり─
ほとんど、右手親指一本で弾いています。
すごいです。オリジナリティーあふれています。

画像Wes Montgomery
「Full House」

ふと思ったのですが…
ウェスの音楽は南米の香りがするような─
ボサノバやカリビアンのような響きを感じてしまいました。
♪ Here's That Rainy Day
後に派生してくるフュージョンの源流が
ウェスの音楽には確実に含まれています。

2007年12月29日土曜日

Here's That Rainy Day

昨日・今日と全国的に天気がしめりがち。

過去に雨の音楽を少し記録しておいたのだが、久々に別の雨の歌を記録しようかと色々調べていると、ウェス・モンゴメリーが演奏する♪Here's That Rainy Day という曲が気になって耳から離れなくなってしまいました。

♪Here's That Rainy Day / Wes Montgomery Quartet


♪Here's That Rainy Day というスタンダードナンバーが気になったというよりも、ウェスの演奏に釘付けでした。
ウェスの音源はよく聴いていたものの、演奏を実際に目で見るのは初めてでした。華麗なるオクターブ奏法、本当に親指の腹でずーっと演奏するんだぁ…などと終始感心していたのですが、ソロのパートまで右手親指一本でこなして、結局終わりまで親指だけで弾いてしまったウェスに唖然としてしまいました。ウェスのギターを耳にするとすぐ判別できるのは、この徹底したスタイルがあるからなのだと、いまさらながら理解できたような思いです。

ウェスは本当に親指でしか演奏しなかったのか、確認したくなってきました。

カラヤンの第九

��2月の中旬、フジテレビの「とくダネ!」で小倉智昭キャスターが、20万円もするCDを自慢げに披露していたのを覚えている。その中に納められているのは、フェルベルト・フォン・カラヤン指揮・ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏・1962年録音のベートーベンの第九である。

画像ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮
ベートーヴェン:
交響曲第9番ニ短調作品125<合唱>


なんで20万円もするのかというと─
EXTREME HARD GLASS CD 超精密光学強化ガラスを使用し、高音質化を実現
★独グラモフォンの全面協力で実現したオリジナル・マスターテープからのリマスタリング
─ということらしい。

これを買うのも、再生するにも、相当の勇気が必要だろう。
小倉さんが番組で紹介していたCDは、小倉さん個人が好んで買った物で、最後までどんな音なのか視聴させてくれませんでした。まぁ当然でしょう。
ガラスのCDとは別に視聴用のCDも付属しているらしく、これを買った人はガラスのものはとっておき、普段は視聴用のCDを聴くことになる。いつガラスのものを再生させるのか…恐らく一生再生されないものもあるのでしょうねぇ。

��2月15日から発売されたこのCD、限定300枚だという。新聞記事などでは予約段階で100枚が売れたというから、興味がある人は急いで買った方がいい。もっとも20万円とはいえ、売り切れは必至か─。
ちなみに僕は…買えません…。

2007年12月28日金曜日

ラトル&ベルリン・フィル

毎年恒例のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のジルヴェスターコンサートを前に、明日から過去のラトルが指揮した演奏がBS2で放送されるようだ。

ヤフーオークションで1000円で購入したBSチューナーが壊れてしまっているので、明日は秋葉原にでも出向こうか─。

今年のジルヴェスターコンサートも、もちろんサイモン・ラトルが指揮するわけだが、今年はすでにその演奏された音源が2008年1月14日に発売されるとリリースされている。

画像サイモン・ラトル 指揮
ベルリン・フィル 演奏
2007年ジルベスター・コンサート

ムソルグスキーとボロディンの演目が並んでいる。
これが当日に演奏される演目になるのだろう。
��Dの音源は事前に収録されたものが納められるようだが、それにしても、伝統あるジルヴェスターコンサートをも宣伝にしてしまうとは、恐るべしラトル&ベルリン・フィル…。
まぁそれだけ人々は良い音楽を求め、ラトルも楽団もそれに大いに応えているわけなのだから、宣伝などと呼ぶのは、かなり意地悪なのかもしれないが─。
大晦日のコンサートを大いに楽しみ、その感動を再び求めCDを購入、さらに感動が上乗せされる─…そういうことを期待しましょう。

2007年12月27日木曜日

「戦場のメリークリスマス」を弾いてみたそうです。

♪押尾コータロー風、戦場のメリークリスマス
演奏:少しマニアなけんさん


7月から練習し始めたというけんさん
正直、これほどまでみごとな演奏がYouTubeに載るとは想像していませんでした。あまりに見事な演奏なので、賞賛と謝罪を込めて、ここに掲載いたします。

ブラボー。


2007年12月26日水曜日

ミッシング


こちらですべて聴くことができます
ミッシング(1982) - goo 映画




僕のブログによくコメントを入れてくれる、みずねこさんのブログに掲載されていた記事を転載します。




��お願い>

「 緊急!みなさんの力をお貸し下さい! 」

〓『◆捜索願いです◆』〓

12歳の男の子が、12月6日(木)から行方不明です...

横浜市都筑区東山田 (港北ニュータウン)在住

岩田和輝(いわたかずき)君



皆様の力を貸して下さい。

お願いします...


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

良かったら、この日記をコピーして、貼り付けて日記を書き、
バトンのように回して頂けると、捜索出来る範囲も広がると思いますので、
皆さんご協力を!

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

詳しい内容は以下のHPを見てください。


こちらのHP
です。←クリック

<連絡先>都筑警察署:生活安全課:TEL045-949-0110

皆さんのご協力、宜しくお願いします。 」

このブログというネットワークを通じて
皆さまのご協力をどうぞ宜しくお願い致します!!





行方不明者の数は年間で10万人以上もいるそうです。その数は、捜査願が出されているケースに限られているため、実際はその倍の数の人が不明になっているということです。
それらの数が少しでも減ることを願い、小さなことでも自分にできることをさせていただきました。


ポリスチャンネル

2007年12月25日火曜日

クリスマスイブ

クリスマスの前日、の前日の昨日は
自宅の近くのスーパーの前で
小さな合唱団が♪きよしこの夜 などを歌っていました。

クリスマスを実感するのは音楽からなのかなー…

♪Do they know it's christmas time / Band Aid


2007年12月23日日曜日

UFO

最近何かと話題のUFO
「Unidentified Flying Object」=「未確認飛行物体」であるわけだから、存在についての見解を述べることはおかしなこと、などというごもっともな意見もあったりするのですが、米軍が“未確認"といっているのは国籍が未確認だということらしいので、存在するかどうかという議論も決して間違ってはいないと思います。しかし、政府がこれまで国籍不明の飛行物体を捕捉していないとは思えないのですけれど…。
さて、日本では未確認飛行物体は飛んでいないようですけれど、世の中にはいろんなUFOが存在しているようです。

UFO UFO UFO UFO UFO UFO UFO UFO UFO

個人的にもっとも好きなUFOは─これですかねぇ…
♪Lights Out / UFO


Lights Out

ボストンの思い出


BOSTON

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2007年12月22日土曜日

Have a Little Faith


画像Bill Frisell - guitar
Don Byron - Clarinet, Bass Clarinet
Guy Klucevsek - Accordion
Kermit Driscoll - Bass
Joey Baron - Drums

Compositions by Aaron Copland, Charles Ives, Bob Dylan, Muddy Waters, Sonny Rollins, Madonna, John Phillip Sousa, Heyman &Young and John Hiatt.
Arranged by Bill Frisell.

Song List:
Billy the Kid (Copland)
 1.The Open Prairie
 2.Street Scene In A Frontier Town
 3.Mexican Dance And Finale
 4.Prairie night (Card Game At Night), Gun Battle
 5.Celebration After Billy's Capture
 6.Billy In Prison
 7.The Open Prairie Again
8.The "Saint-Gaudens" In Boston Common (Excerpt #1)
 (Ives)
9.Just Like A Woman
 (Dylan)
10.I Can't Be Satisfied
 (Waters)
11.Live To Tell
 (Madonna)
12.The "Saint-Gaudens" In Boston Common (Excerpt #2)
 (Ives)
13.No Moe
 (Rollins)
14.Washington Post March
 (Sousa)
15.When I Fall In Love
 (Heyman)
16.Little Jenny Dow
 (Foster)
17.Have A Little Faith In Me
 (Hiatt.)
18.Billy Boy
 (traditional)



冒頭、アーロン・コープランド作曲の組曲「ビリー・ザ・キッド」から始まるこのアルバムは、全曲カバー曲からなるビル・フリゼールのリーダーアルバムだ。
かなり独特のアレンジで、オリジナルとは違った印象の楽曲が多いために、すぐに満足感を持たないかもしれない。しかし、聴けば聴くほどにアレンジの素晴らしさに気がつき、なかなか味のあるアルバムに思えて、手放せなくなる、かも─。

特に♪ビリー・ザ・キッド組曲などは、とてもバンド単位で演奏しているとは思えないくらいの迫力を感じる。オーケストラで演奏される♪ビリー~に勝るとも劣らないであろう。この曲でもっとも盛り上がる管打楽器の爆発と呼ばれる部分も、バンドであってもその迫力は失われてはいないのだ。
♪ビリー・ザ・キッド組曲が全曲、このような形で演奏されることも珍しいと思われるので、そういった意味でも一聴の価値はある。

個人的には、マドンナの♪リブ・トゥ・テル、ディランの♪ジャスト・ライク・ア・ウーマン、ハイアットの♪ハブ・ア・リトル・フェイス・イン・ミーなどが非常に気に入っている。本来ならば歌詞付きである曲がこれほどまでに情緒あふれるインストゥルメンタルになり得るものなのか、と感心するばかりである。

ビル・フリゼールの技を十二分に堪能できるアルバムなのだが、それ以上に、ビリ・フリゼールのこのアレンジのおかげで、音楽そのものの良さをしみじみと感じることができるアルバムであろう。

2007年12月21日金曜日

Appalachian Spring

アーロン・コープランドの♪アパラチアの春



バレエ作品として作曲されたこの曲は
オーケストラ組曲として編曲された。



振付師・ダンサーのマーサ・グラハムの依頼で作曲
当初題名をつけず「マーサのためのバレエ」と呼んでいたが
バレエとは関係のない詩の一節(ハート・クレイン)
「アパラチアの春」というタイトルを提案されて
それがそのまま曲の題名になってしまった。


Blake Richardson conducts
The Chautauqua Music School Festival Orchestra

アパラチア山脈へ行ったこともないし
その風ぼうや特徴といったものも全く知らない
しかし、この曲を聴いていると
まるでアパラチアの春が目の前に広がってくるようだ。

構成などはこちらで確認を─(wiki)

2007年12月20日木曜日

なんでツェッペリンはこんなに…

初めてレッド・ツェッペリンを聴いたとき、なんて古くさくてヘンテコな音楽なんだと、正直思いました。彼らが解散して数年経過していて、リアルタイムなど知りもしない若僧の感想なんてそんなものだと思うのです。
今では、彼らの音楽にすっかり幻惑されてしまっていて、なんでこれほどまでにツェッペリンを好きになったのか不思議なくらいです。そして、その思いは、現在のツェッペリン人気に対しても同じように向けられているのです。何故、いまツェッペリンなのか…

画像LED ZEPPELIN
MOTHERSHIP

最近出たこのアルバムもかなり売れているらしい。いまの若い人も彼らの音楽を好むのかなぁ、などと思ってしまうのですが、買っているのは若者ばかりとは限らないわけで、リアルタイムで彼らの音楽を聴いていた年配の方々の需要が意外と多いのかもしれません。現在、CDを最も買っているのは中高年の世代だという事実もあるそうなので─。
しかし、懐メロ的に聴かれているのであれば、これほどの熱狂はないわけで、先日行われたワン・デー復活ライブの熱狂ぶりも異常というほかありません。でも、まぁ、彼らの今を見ることができたのは世界中でたった2万人だけであり、若い沢尻エリカのあの興奮ぶりも分からないでもありません。
そのワン・デー・ライブのチケット、使用済みであるにもかかわらず、約2万円で取引されているらしい。これは、何なんだろう。本当に音楽が好きなのか、それとも伝説に酔いたいだけなのか…。

2007年12月19日水曜日

ジャーニーの新ボーカル

個人的に、ジャーニーのボーカルといえばスティーブ・ペリー意外に考えられない。しかし、彼が脱退した後も、数人のボーカリストを交代させながら、根強く活動を続けているようだ。
つい最近までボーカルを務めていたのが、ジェフ・スコット・ソートだ。彼の歌声はイングベイ・マルムスティーンの初期のアルバムでよく聴いたものだ。
ジェフが在籍したのはほんの短期間だったようだ。
ジェフ脱退後、ジャーニーのリーダーでありギタリストのニール・ショーンは、アーネル・ピネダという無名のボーカリストを見出した。ニール・ショーンがピネダを見て聴いたのは、あのYouTubeだったという。
アーネル・ピネダはThe Zooというバンドで、ジャーニーのコピーなどを演奏して活動していたようで、面白半分に自分たちの演奏をYouTubeにアップしたらしい。
ニール・ショーンが見たであろう映像というのが、♪Faithfully(時への誓い)というジャーニーの曲をカバーした映像だとか─
Journey - Faithfully (Cover by The Zoo)

確かにすごい歌唱力で、どことなく全盛期のスティーブ・ペリーを思い浮かばせる。ニール・ショーンが惚れ込んだのもうなずける。

画像Journey
Frontiers


ジャーニー演奏のオリジナル♪Faithfullyはこちらから─


2007年12月18日火曜日

エイジア 「アストラ」

僕が初めてエイジアと出会ったのが
サードアルバム「アストラ」だった。

画像Asia
Astra

��曲目の♪GO という曲が結構好きだったが、なぜか売れなかったことが非常に印象に残っている。

YouTube  ♪GO / Aisia




このアルバム収録前にギターのスティーブ・ハウが脱退…
その影響もあったのか、ファースト、セカンドアルバムと比べると売り上げは惨たんたるものだった、
ボーカルのジョン・ウェットンはこのアルバムを愛し、自信もあったようで、この惨めなセールスを目の当たりにし、大いにショックを受け、これを境に一時期エイジアは解散状態になってしまった。
いま再び聞き直してみると、やはりギターサウンドの貧弱さは否めない。しかし、ジョン・ウェットンのボーカルとメロディー自体は、やはり非常にいいと思うのだが…なんで売れなかったんだろう?

2007年12月17日月曜日

オリジナル・エイジア

今年3月、エイジアがオリジナルメンバーで来日して、早くも来年の5月に再来日をするという。

オリジナルメンバーとは─

ジェフ・ダウンズ "Geoffry Downes"(キーボード)
ジョン・ウェットン "John Wetten"(ヴォーカル・ベース)
スティーヴ・ハウ "Steve Howe"(ギター)
カール・パーマー "Carl Palmer"(ドラム)

以上4人。
そうそうたるメンバー。

エイジア結成時はこの4人であったのだが、来日公演はなかったようで、今年の来日がオリジナルメンバーでの初来日公演だったらしい。

♪Time Again -Live in Tokyo-



画像AISIA
Fantasia: Live in Tokyo


来年2008年4月にはオリジナルメンバーとして25年ぶりのスタジオ録音アルバムをリリース予定だという。
その4月の初めには全米ツアーがスタート、そして、5月には再び来日公演予定だと公式HPで発表されている。

ASIA 公式ホームページ


きのう偶然にもチケットの電話予約が数時間後に始まるということを知り、思わず予約してしまいました。新譜を出した後のツアーは熱い。まぁまだ期間がかなりあるので、順調にいけばの話ではあるが─。スティーブ・ハウなどは気分よくレコーディング中だというから、今のところ心配ないようだ。
─寝て待ちます。

2007年12月16日日曜日

シンフォニエッタ

イタリア語「Sinfonietta」の意味は、「小交響曲」というものらしい。

ヤナーチェク作曲の「シンフォニエッタ」は演奏規模は通常の交響曲と変わらないくらい大規模なものであるが、第5楽章に分けられた曲すべての演奏時間は25分程度とかなり短い。故の“シンフォニエッタ”なのだろう。

自らのフィールド・ワークで民俗音楽を収集し、吸収していったことで知られているヤナーチェク、彼の作曲した音楽には常に民俗的な響きを帯びているわけで、この「シンフォニエッタ」も決して例外ではない。
また、交響曲されているにもかかわらず、これまでの伝統的な交響曲とは形式の面で大きく違っているようで、そのために、一層この「シンフォニエッタ」が特異なメロディーに聴こえてくる。


「ファンファーレ」:アレグレット Allegretto、変ニ長調、4分の2拍子


画像ヤナーチェク:シンフォニエッタ
サイモン・ラトル 指揮
フィルハーモニア管弦楽団 演奏


2007年12月15日土曜日

ヤナチェックとヤナーチェク

チェコを代表する作曲家の一人、レオシュ・ヤナーチェク
僕は最初、この作曲家の名前を“ヤナチェック"と学んだような記憶がある。その後、どうやらヤナーチェクとするのが一般的だと知るのだが、いまだに「ナー」と伸ばす響きに違和感を覚えてしまう。
外国人をカタカナ表記すると、どうしても複数の表記が出てきてしまうもので、例えば、同じチェコの代表的な作曲家・ドボルザークにしても、ドボルジャックと表記されている場合もある。ヤナーチェクとヤナチェックも、カタカナ表記にするときに生じた微妙な差異であろうと思っていたのであるが、この場合、ほかとは少し事情が違っていた。

ヤナーチェクの音楽の特徴は、民俗音楽を基にしたメロディーとリズムにある。フィールド・ワークで民俗音楽を収集していく彼の手法は、バルトークシマノフスキなどよりも早くから始められており、まさしくその先駆けと言っていい。
誰よりも早く民俗音楽というものに目を向けることができたのは、ヤナーチェクがモラビア地方で生まれ育ったという要因が大きいだろう。
チェコというと東部に面しているボヘミア地方というイメージが強いかもしれないが、モラビア地方というのは西部に面している地方を指し、ボヘミアとは文化も違っていて、言葉遣いも微妙な差異があり、チェコにおけるモラビア地方の言葉はいわゆる方言として捉えられている。(モラヴィア-Wikipedia
モラビア生まれで方言を話すヤナーチェクは、「ナー」の発音がうまくできずに、自らのことを“ヤナチェック"と発音していたようだ。故に、ヤナーチェクとヤナチェックというふたつの表現が存在するに至ったのだ。

モラビアの音楽というのはリズムなどの反復はみられず、言葉の抑揚にしたがってなだらかなメロディーが展開しいく。ヤナーチェクはモラビア音楽の起因を、話し言葉の抑揚からだと断定して、言葉と旋律の密接な関係を追究したという。人の話す言葉や鳥の鳴き声などもメロディーに書き起こして収集し、極端な例でいうと娘の臨終間際のため息までも採譜したという。その結果が有名なオペラ「イェヌーファ」などに結実されている。彼の有名なオペラはほとんどが、作曲家自身で台本も書かれている。そのことからも、いかに彼が言葉とメロディーの関係というものを重んじていたか理解できる。
このヤナーチェクが追究したメロディーを、彼自身が「発話旋律」「旋律曲線」という言葉で表現し、そしてそれがスティーブ・ライヒのオペラなどにも大きな影響を与えている。

ここまで言葉と旋律を追究したヤナーチェクが、自らをヤナチェックと発したならば、やはり「ナー」ではなく“ナ"とするべきだと思うのだが…

2007年12月14日金曜日

ナナナ

ディープ・パープルがデビュー曲
♪ハッシュを演奏する映像を初めて見ました。

1968年のテレビ映像のようですが、非常にその時代を映し出していて、結構気に入ってしまいました。
そして、何よりもこのディープ・パープルのあか抜けようには驚かされてしまいました。かろうじてリッチー・ブラックモアの顔は認識できたのですが、ドラムがイアン・ペイスなのか…ハモンドオルガンがジョン・ロードなのか…何度見ても信用できないのですけれど、メンバーの変遷からすると、絶対彼らが弾いているはずなので、納得いかないカラフルな衣装をまとっていたとしても、素直に受け入れるしかありません。
演奏と音楽自体は、文句のつけようがないくらい、素晴らしいです。
デビューがこれですから、やはり彼らの実力は桁外れだったということがよく理解できます。
それと同時に、ディープ・パープルがこのようなポップス路線を漫然と歩むことなく、彼ら独自のサウンドを模索し続けていたのだと、改めて思い知らされました。
この曲はアメリカのミュージシャン、ジョー・サウスが作曲したもので、それをディープ・パープルがカバーして、アメリカでは大ヒットしたようです。カバーで成功したがゆえに、必死にそこから脱却しようとしたのかもしれません。
ちなみに、クーラ・シェイカーなどもカバーしている曲です

ジョー・サウスという人はよく知りませんが、この曲は本当に素晴らしいと思います。「ナナナ~」とハミングするメロディーなどは、非常に印象的で一度聴いたら忘れることはないでしょう。
あまりにも知らないミュージシャンだったので、どんな音楽を作っていたのか聴いてみたら、自然と知っていた曲がもう1曲ありました。
♪The Games People Play

邦題を「孤独の影」というこの曲は、以前CMで流れていたような気がします。♪ハッシュと同様に印象的な「ナナナ」が…。このミュージシャンは、ハミングが得意なのかと思いつつほかの曲も聴いてみたのですけれど、聴いた限りでは「ナナナ」は2曲だけでした。ほんの一部だけしか聴いていないので、もしかしたほかに素晴らしい「ナナナ」があるかも─。


2007年12月13日木曜日

Little Martha

オールマン・ブラザーズ・バンドが1972年にリリースした
��枚目のアルバム「イート・ア・ピーチ」

画像The Allman Brothers Band
Eat a Peach
(1972)

タイトルとジャケットだけで魅力的なアルバムなのですが、当然のことながら、中身も大変すばらしいです。
個人的には一番最後の♪リトル・マーサが非常に好きです。デュアン・オールマン作曲のこの曲は、まさしくデュアンの遺作といっていいものでしょう。オープンEで奏でられる、デュアンとディッキー・ベッツのフィンガリング・ギターによるデュオが非常に美しい。2分余りしかないこの曲、美しいだけにあまりにも短く感じてしまいます。

リトル・マーサとは、ツアー中に出会ったマーサという12歳の少女のことで、デュアンがメロディーで彼女ことを表現したようです。

デュアン個人名義での作曲としてクレジットされている曲は、この曲が唯一だということです。もしかしたら、この曲が最もデュアンを表現しているものだと言えるのかもしれません。もっとも、スライドギターがなければ物足りない、と思う人は多いことでしょうが─。

レオ・コッケ(Leo Kottke)というアメリカのアコースティック・ギタリストが♪リトル・マーサを最も完成されたギターソングだと賞賛して、この曲をカバーしていて、ライブなどでもよく弾いていたようです。その素晴らしい演奏を載せようと思います。何せ、デュアンの遺作だけあって、この曲を実際に弾いている本人の映像は皆無なので…。

♪Little Martha / Leo Kottke


2007年12月12日水曜日

Fanfare for the common man

アメリカの作曲家アーロン・コープランドが、演奏会を始める前のファンファーレを作るようにと依頼され、完成したのが♪庶民のファンファーレ
まさに序曲といった感じで、これからの何かを予感させる。
ローリング・ストーンズのライブアルバム「ラブ・ユー・ライブ」のオープニングでも、この曲が使用されている。

画像The Rolling Stones
Love You Live

オリジナルもよく耳にする♪庶民のファンファーレ
Audio (mp3) by U.S. Marine Corps Band


エマーソン・レイク&パウエルパーマーがカバーしているバージョンが非常にかっこいいです。


それをさらにカバーしているエイジアもかっこいいです。

2007年12月11日火曜日

メタリカの家

ヘビーメタルバンド、メタリカのギタリストであるカーク・ハメットの自宅が7月から競売にかけられているそうで、なかなか売れなくて値段がずるずると下がっているとか。

��00年前に建てられた古い様式の建物らしく、900㎡、9つのベッドルーム、7つのフル・バスルームに3つのハーフ・バスルーム、ビリヤード専用の部屋、巨大な居間、2つの駐車場、美しい芝生の庭…小さなお城?

当初の価格が約13億円、それが売れなくて今は約11億円。
どこまで値崩れしていくのか、心配でなりませんが、僕にはどうすることもできません。

そんなカークは、現在、メタリカのニューアルバム作成に参加しているとのこと。これがリリースされると9作目のアルバムになるようです。ファンの皆さん、ファンであった皆さん、ファンになろうとしている皆さん、ニューアルバムが出たら、カークを救ってあげましょう$¥。
はて?カークのお家売却はお金に困ってのことか、はたまたお城に嫌気が差してしまってのことなのか…

そんなことよりも─

毎年6月に米・テネシー州で開催されている「ボナルー・ミュージック・フェスティバル」に、メタリカと再結成される予定のレッド・ツェッペリンが共演するかもしれない─、という噂のほうが気になります。メタリカのマネージメント側はフェスティバル参加の報道自体を否定しているようですが、一日限りの再結成だと思っていたツェッペリンが継続する可能性がでてきているこの状況、急転直下という可能性もあるでしょう。

※情報元・listen Japan 音楽ニュース


2007年12月10日月曜日

ダコタ・ハウス

ニューヨーク 12月8日
きょうがジョン・レノンの命日

例年のようにジョンを追悼する人は大勢いる

ジョンの反戦活動に焦点を当てたドキュメンタリー映画「アメリカVSジョン・レノン/PEACE BED」が公開されたり、ジョンを殺害したデービッド・チャップマンの内面に焦点を当てた映画「チャプター27」が公開されたり─

セントラルパークでは追悼集会が開かれたり─

ジョンの最後の住まいであるダコタ・ハウスは、セントラルパークのすぐ脇に建っている。休日のセントラルパークを訪れたことがあるのだが、人がたくさんいるにもかかわらず、非常に静かで静寂に包まれていた。公園の端を歩くと、ダコタ・ハウスが見えてくる。

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そばまで行っても、そこは平穏であり、とてもそこで悲劇があったとは思えなかった。



数日前、オノ・ヨーコがテレビのインタビューで、今の若者に対して何か一言と問われ答えた言葉が─
「─決して、あきらめないでください」
というものだった。
思わず目頭が熱くなった。

ジョン・レノンの死を嘆き悲しんでいるだけではなく、そこからさらに新しい何かを見出していかなければならないのだろう。

Give Peace A Chance

2007年12月9日日曜日

シュトックハウゼン逝く

テレビで世界遺産のケルン大聖堂を特集した番組を見つつ、インターネットでニュースをチェックしていると、偶然というか因果・因縁というか─
ドイツ・ケルン郊外のメトラート村で生まれた現代音楽の大作曲家、カールハインツ・シュトックハウゼンが12月5日に死去したようです。モーツァルトと同じ日に旅立ったということも、不思議なつながりを感じてしまいます。

シュトックハウゼンという名前は、こちらから求めなくても耳にするものの、彼の音楽はこちらから求めなければ、なかなか聴けないものなのかもしれません。
電子音楽の祖としてたびたび称えられるシュトックハウゼンではあるけれど、よく彼の創作活動を見てみると、決してスタジオにこもり黙々と録音しているわけではありませんでした。

��カールハインツ・シュトックハウゼン(ウィキペディアより)
��シュトックハウゼン見聞録(新しい情報を得られます)
��シュトックハウゼンDVDコレクション
��diskunion吉祥寺店ストアブログ(シュトックハウゼン特集)
��シュトックハウゼンCDガイド
��Complete list of works by Stockhausen (pdf)
��Karlheinz Stockhausen official site
��Stockhausen website video and audio files

ヘリコプター4台を使用したヘリコプター弦楽四重奏など、大規模で物議を醸し出す作品が多かったようです。
最近では2005年に来日し、2003年に完成させた長大なオペラ「光」を自ら指揮して演奏していました。
死の直前まで、一日の24時間を音楽で表現する24の連作「音(KLANG)」を作曲していたようで、これまでに21とか22作品が完成し2008年に完成する見込み─という憶測なども流れていました。残念ながら未完成となりそうです。

シュトックハウゼンを電子音楽のパイオニアと呼ぶのは、少しずれているような気がしてきました。
クラシック音楽、あるいは現代音楽というものに、電気楽器を積極的に用いた作曲家、それがシュトックハウゼンであるとした方がより正確なのかもしれません。

お疲れさまでした。


♪コンタクテ(kontakte)

※音楽はシュトックハウゼンの♪コンタクテです。映像は誰が作ったのか分かりませんが、非常に素晴らしかったので載せてしまいました。正直、音楽だけ聴くとつらいかもしれないこの作品…映像とともに見せられると、聴き入って・見入ってしまいます。

★少しマニアなサイトものぞいてみてください★


2007年12月8日土曜日

2つを1つに

むかし嘉門達夫が2つの曲を1つにして笑いをとっていたような気がするが、何と何をまとめていたのか忘れてしまった。
笑いのネタとしてだけではなく、2つの曲を1つの曲にしたカバー曲というのを、たまに聴くことができる。お笑いのネタでなければそれはマジメだといえるのかどうか分からないけれど、僕の知っている“2つを1つにした音楽"はなかなか素晴らしいと思う。

ハワイ出身のイスラエル・カマカウィオ・オレが歌っている
♪虹の彼方に/この素晴らしき世界
という何とも贅沢なカバー曲は、その贅沢さに負けないくらい素晴らしい合体をみせている。

見事な融合もさることながら
この巨大な体にもっとビックリするのだが…

画像Israel Kamakawiwo'ole
「Facing Future」


もう一つ、見事な“2つを1つに"の曲を─

フォー・シーズンズの♪君の瞳に恋してる
��2の♪約束の地
この2曲を合体させたのがペットショップ・ボーイズ
♪Where the streets have no name/Can't take my eyes off you

もとの曲がどちらも素晴らしいとはいえ
見事な発想だと思う。

画像Pet Shop Boys
「The Complete Singles Collection」


2007年12月7日金曜日

ヘビーメタルの起源

2008年2月にヘビーメタルバンドのアイアン・メイデンが来日するそうだ。正直、まだ活動していたのかと、驚きを隠せない。
1980年にアルバム「鋼鉄の処女-IRON MAIDEN-」でデビューして、今年で27年目─もっと長い人たちがいるわけだから、決して長くはないのだが…

画像鋼鉄の処女

個人的な記憶として─
アイアン・メイデンが最初にベビーメタルと呼ばれた…と何かのレビューで呼んだ記憶がある。
’80年代にイギリスで沸き起こったNWOBHM(New Wave Of British Heavy Metal)という潮流により、ヘビーメタルという新たなジャンルが初めて世の中に認知されたと思うのだが、その中心にあり先陣を切っていたのが、アイアン・メイデンなのだ。アイアン・メイデンをメタルの起源と呼びたがるのも分かる気がする。

考えてみれば─
ロックやモッズなどというものは、音楽ジャンルというよりもファンションとかスタイルの総称のようにも捉えられるわけで、ヘビーメタルもまたその例外ではないであろう。
音楽的に、ロックとは何か、ヘビーメタルとは何か、など問われても明確に答えられるはずもなく、強引に答えを見いだそうとすると、どうしてもそのスタイルやファッションへと矛先を向けるしかない。そんな曖昧なものの起源など、本当は分かり得るはずはないのかもしれない。

ヘビーメタルという言葉─
その言葉が最初に登場したのは、作家ウィリアム・バロウズの造語によるものだという。そして、その言葉が音楽界に初めて登場するのはステッペン・ウルフ♪Born to be Wildの歌詞の中だという。
音楽としてのヘビーメタル─
その始まりは、1970年にデビューしたブラック・サバス…、もっと遡ってビートルズの♪ヘルタースケルター…、あるいはレッド・ツェッペリンディープ・パープルといったバンドが引き合いに出されるが、それらは今でこそ原点としてピックアップできても、当時は決してヘビーメタルなどとは呼ばれていなかったはずである。故に、これらがヘビーメタルの起源だと捉えるのは間違っているだろう。やはり、歴史上初のヘビーメタルブームである’80年代をその起源と捉えることが自然であるように思うのだが…。

現在の有力な起源説─
1967年に結成されたアメリカのバンド、ブルー・オイスター・カルト(Blue Öyster Cult)がバロウズの言葉を借りて自分たちの音楽を“ヘビーメタル"と表現したのが、最も有力な起源だとみられている。ロックの最初がビル・ヘイリー♪ロック・アラウンド・ザ・クロックとするならば、ベビーメタルの起源がブルー・オイスター・カルトとするのも決して間違ってはいないだろう。しかし、ロックを愛する人、あるいはメタルを愛する人にとって、あまり納得できるものではない。

音楽の起源なんて、そんなものなのだろう。

♪Godzilla / Blue Oyster Cult

2007年12月6日木曜日

クィーンの新曲

イギリスのバンド、クィーンがニューシングルをリリースしたようです。クィーン+ポール・ロジャースとしては初のスタジオ録音です。

♪Say It's Not True

※2007年の世界エイズデー(12月1日)に、南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が中心となって行われたエイズ撲滅キャンペーンの一環として、この曲がリリースされた。マンデラ氏は前妻と子供をエイズによる合併症で亡くしている。

この曲は無料でダウンロードできるそうなので
気に入った方はどうぞ─

QUEEN + PAUL ROGERS
"Say It's Not True"
free download



1973年にデビューしたクィーンは、1991年ボーカルのフレディー・マーキュリーがHIV感染合併症による肺炎で死去すると、そのまま活動を休止していました。しかし、2005年にクィーン+ポール・ロジャースとして活動を再開、ヨーロッパ・日本・アメリカなどで行われたツアーは大成功していました。
そして、やっと新しいユニットでのニューシングルがリリースされて、2008年にはニューアルバムがリリースされると噂されています。

新たなクィーンは、これからどうなっていくのでしょうか。

2007年12月5日水曜日

韃靼人の踊り

ボロディンの有名な曲、♪韃靼人の踊り
不思議なメロディーであり魅惑的なメロディー、なおかつ迫力があって、非常に好きな曲の一つです。

“韃靼"─なんと読むのか分からなかったし、なんでこんな難しい邦題になってしまったのか…そういう民族を題材にした音楽だから仕方ないかな、と思っていたのですけれど、ボロディンが名付けたタイトル“Половецкая пляска с хором"を直訳すれば“ポロヴェツ人の踊り"となるらしいのです。(英語訳:Polovetsian Dances)
韃靼人とはポロヴェツ人を指すのかと思いきや、韃靼人=タタール人でありポロヴェツ人=クマン人である、タタール人はモンゴル系でクマン人はチュルク(トルコ)系…、世界史でうっすらと聞いたことがある響きはあるが、何が何だかよく分からないのが正直なところ…、要するに韃靼人とはПоловецкая=Polovetsian=ポロヴェツ人ではなく、「韃靼人の踊り」は「ポロヴェツ人の踊り」とするべきだということなのです。

それにしても、誰がどういう理由から「韃靼人の踊り」と訳したのか大いに疑問であると同時に、その真意を知りたいところですけれど、誰が訳したかのなど知る由もなさそうです。
韃靼人という呼び方は中国からきているわけですけれど、ポロヴェツ人に対する中国語は存在しなかったのかもしれません。タタールとは、もともとモンゴル系とチュルク系の民族の総称として使用されていたらしく、ポロヴェツ人は韃靼人の中に含まれると考えるのは自然なことだったのでしょう。

いまさら、「韃靼人の踊り」という曲名を「ポロヴェツ人の踊り」とするのは少し違和感を覚えてしまいますが、改名すると英語表記とリンクするので分かりやすいかもしれません。難しい漢字もなくなりますし─。
ただ、何で改名するに至ったのか、これを説明するのはかなり苦労するのではないでしょうか。
個人的には、「韃靼人の踊り」とするほうが曲の内容に合っているのかなと思っています。

小難しいことより、音楽を素直に楽しみましょう。


※途中で終わってしまうのが痛いです












2007年12月4日火曜日

一万人の第九

昨日、大阪で一万人がベートーベンの交響曲第9番を歌ったようです。

サントリー 一万人の第九


これだけ人数がいると、当然、迫力はあるのですけれど
歌うのも演奏するのも、非常に大変そうでした。

2006年 合唱部分の動画


ギネスへは申請していないようですけれど、恐らく
人数は世界一だろうと思います。

ちなみに─

面白ギネス記録として─

★1730人がギターでボブ・ディランの「天国への扉」を一斉演奏、ギネス申請中(インド 2007/10/27)


★1683人がギターでディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」を一斉演奏、現在のギネス記録(米・カンザス 2007/6/3)





規模が大きければいいというものではないようです。

2007年12月3日月曜日

千人の交響曲

グスタフ・マーラーの交響曲は大げさなくらいにドラマチックだと思うのだが、その最たるものは交響曲第8番なのかもしれない。何せ“千人の交響曲"と言われているほどだから─

マーラー 交響曲第8番 変ホ長調 (1906)
Mahler:Symphony No. 8 in E flat major

1部 賛歌「来れ、創造主なる聖霊よ」
Part1 Veni Creator Spiritus
※中世マインツの大司教フラバヌス・マウルス(776?~856)作といわれるラテン語賛歌

2部 ゲーテ作「ファウスト」第2部から最後の場
Part2 Final Scene from Faust
※ゲーテの戯曲「ファウスト」の第2部終末部分に基づいた歌詞


“千人の交響曲"とはマーラー本人がつけたものではなく、宣伝用のポスターに"Symphonie der Tausend"と載せられたキャッチコピーが、そのまま標題のようになってしまったらしい。つまり通称のようなもの。
最初この通称を目にしたとき、本当に千人もの人数で演奏しているのか─、誇張した表現だろうと思ったが、アメリカでの初演では1068人で演奏している。
実際の映像を見ると、正確に千人以上いるのか分からないが、その規模から“千人"と表現しても全く問題ないと思ってしまう。



このラトル指揮のエンディング部分を聴いただけで、結構感動してしまうが、第8番の最初からずっと聴いてこのエンディングを迎えたならば、もっと感動できるだろう。
ただ、マーラーだけに長いです。その長さを耐え抜いてこその感動です。どうぞ─

画像 マーラー:交響曲第8番
 「千人の交響曲」


2007年12月2日日曜日

ジョン・ケージを聴く

ジョン・ケージを聴いていますか?

見たり、読んだりするのは簡単ですが

ケージを聴くのは意外と難しい。

しかし

♪Dream という曲

楽な気持ちで聴くことができます。



この曲は「in a Landscape」というCDで聴くことができる。

画像John Cage
「in a Landscape」

普通の音楽を堪能できます。

ケージに疲れたらケージで癒せばよいかと─。


2007年12月1日土曜日

鈴木荘の思い出 ~キノコ~

土壁というのは日本の伝統建築様式らしいのですが、今の世の中、土壁での新築というのはほとんどないだろうし、土壁の古い住宅も少なくなっているだろうから、土壁の存在自体が信じられないという人も多いのではないでしょうか。

僕も、壁からキノコが生えているのを見るまでは、土壁の存在すら頭にありませんでした。

築30年、いや35年だったか
僕が以前住んでいた歴史あるアパート鈴木荘
その風呂場に、突然
真っ白いきのこが生えていたのです。

もしかして、この家、土壁?

壁に塗られたモルタルが少しだけひび割れていて、そこからキノコが1本だけ生えていて、たまに土がぱらぱらと落ちるのを見ながら─

土壁だ!

と確信しました。

キノコが一度生えると菌糸が根付くのか、毎年のように生えてきました。冬場に枯れてなくなり─、少しだけ安心していると─、夏にまた少し違う所から生えてくる…それが毎年のように続きました。

土壁といっても、まさかモルタルで塗られている内部がすべて土で埋め尽くされているわけないだろう、と思っていたのですが、土壁というのは本当に土だけで成り立っているのだと知る日がやってくるのです。


その年のキノコは、例年に比べて高い位置から生えていて、真っ白だったものが多少くすんだ色をしていました。色味からもすぐに元気がないというのは分かったのですけれど、やはり、枯れてなくなってしまうのも早く、冬を待たずに奇麗にキノコがなくなってしまいました。もしかして、これでキノコが生えてこなくなるのかも─と淡い期待と、微妙な寂しさを感じました。
キノコがなくなって数日後の夜─
風呂に水を入れて、ガスでお湯を沸かしている間を利用して外に買い物に出かけました。20分ほどで帰宅したのですが、家の前まで来ると消したはずの風呂の明かりが付いているかのように、風呂の窓ガラスが明るく照らされていました。
あれ?何か嫌な予感が…
おそるおそるドアをそっと開けて、キョロキョロしながら玄関に入り─
すぐさま風呂をのぞいてみると─
風呂の壁に大きな穴が開いていて、隣の住人の風呂場からの明かりで、僕の風呂場が明るく照らされていたのでした。
風呂釜の中にはお湯の代わりに、大量の土が入っていました。
やっぱりこの家の壁は土壁だったんだと、そのときやっと知ることができたのです。

さて、その惨状から一夜明け─
大家さんがすぐさま駆けつけて、土を奇麗に処理して、風呂も奇麗に掃除してくれました。また、大きな穴の開いた壁一面に、分厚い木の板を張り巡らし、当面の応急処置をしてくれたのです。キノコはもう二度と見ることはありませんでした。
応急処置の板の壁、その後、数年同じ状態で、結局僕が引っ越す間際までその状態でした。もしかしたら、いまも同じかもしれません。万が一、鈴木荘がまだ生き残っていたらの話ですけど─