2007年11月8日木曜日

リッチー・ブラックモアズ・レインボー

ロニー・ジェームス・ディオのボーカルにほれ込んだリッチー・ブラックモアは、ディープ・パープルを離れ、1975年レインボーを結成しアルバム「銀嶺の覇者」をリリースする。

画像銀嶺の覇者
Ritchie Blackmore's Rainbow
(1975)

♪Catch The Rainbow などを聴くと、リッチーがディオを求めた理由とリッチーが表現したかった世界をよく理解できる。

Catch The Rainbow Part 1 live 1977



コージー・パウエルがドラマーとして加入、1976年に2ndアルバム「虹を翔ける覇者」をリリース。コージー、リッチー、ディオ、この3人の個性が揃った時期をレインボー“三頭政治”と呼ばれている。

画像虹を翔ける覇者
RAINBOW RISING


1978年にディオが脱退し、代わってグラハム・ボネットがボーカルとして加入。翌年、4枚目のアルバム「ダウン・トゥ・アース」をリリース。イギリスの国民的ポップシンガー、ラス・バラードのカバー曲♪シンス・ユー・ビーン・ゴーンが収録されているように、分かりやすくシンプルな楽曲が中心となっている。

画像ダウン・トゥ・アース
Down to Earth
(1979)

Since You Been Gone


1980年にはジョー・リン・ターナーにボーカルが代わり、よりポップなサウンドへと変わっていく。6枚目のアルバム「アイ・サレンダー」に収録されているインストゥルメンタル♪Maybe Next Time はグラミー賞にノミネートをされた。

画像アイ・サレンダー
Difficult to Cure
(1981)


Maybe Next Time


1984年に解散するが、1996年にアルバム「孤高のストレンジャー」とともにレインボーは復活する。

画像孤高のストレンジャー
STRANGER IN US ALL
(1995)


2 件のコメント:

  1. ディープパープル好きじゃない、と言いつつ、レインボーはコンサート行ってるんですよ。
    何故だろう・・・?
    これもそんなに好きじゃなかったんだけどなぁ・・・

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  2. シュリンパー2007年11月8日 7:33

    すごいですね、本物のリッチーを見ているんですか。
    好きじゃなくても行くっていうのは、何となく分かりますよ。
    思い出づくりには重要ですからね。

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