アダムズ、グラス、ライヒなどのミニマル音楽ばかり聴いていると、どうしても飽きてしまう。飽きてもまた聴いてしまうのは、そのメロディーが非常に心地よかったりするからなのだが、ならば何故飽きてしまうかというと、ご想像の通り、永遠に続くかと錯覚してしまうほどのループが煩わしいものに思ってしまうわけだ。
ジョン・クーリッジ・アダムズの音楽は、グラスやライヒと比べて、反復がそれほど激しくなく、音の変化も比較的大きい方だ。とはいえ、「Earbox」などのボックスセットを聴き続けると、何か物足りない気になってしまう。
The John Adams Earbox [Box Set]
ウォークマンなどにこのボックスを納めて、なんとか全て集中して聴こうと試みるのだが、いつの間にか違うこと(読書やメールなど)に気持ちが移っている。アダムズの音楽が見事に周りの世界との壁となってくれて、恐ろしいくらいに読書などに集中できる。サティの“家具の音楽”的な要素が含まれている証拠と言えるのか…。
こうして、アダムズの音楽に集中できないままに、大量の音楽群はいつの間にか忘れ去られてしまうことになってしまうのだ。それをまた発掘するのは、意外と困難だったりする。
忘れ去られた音楽を発掘するのには、全曲を対象にシャッフルして聴くことが最もいい。最近シャッフルして、発掘、再発見したものがアダムズだった。あらゆる音楽に囲まれたアダムズの音楽というものが、非常に際立って聴こえた。とくに気に入ったのが♪Christian Zeal and Activity という曲。
人がまばらな都市のビル群を眺めながらアダムズを聴くと、なぜか非常に悲しい。
アダムズはいいなと再認識して、再びボックスセットを発掘して、代表作の「Nixon in China」などを聴いてみる。オペラは音楽だけでは楽しめないのかもしれない。
こうしてまた、これら音楽は埋もれていく。
でも、またいつの日か─…
飽きたり耐えたり、それでも聴いてしまうんですね。
返信削除「忘れ去られた音楽を発掘する」
…いい響きです。
分からなかったもの
返信削除苦手なもの
それらを少しでも理解し出すと、たまらなく愛おしものになるような気がして、飽きても・耐えたり、頑張るのでしょうか。。。