高校時代、街を自転車でゆったりと走っていると
突然、前方から自転車で勢いよく現れた白人男性2に
行く手を阻まれた。
��0代前半と思われるその2人は
終始、にこやかに、親しげに話しかけてきた。
もっとも、それがかえって気持ち悪かったりしたのだが…
彼らはモルモン教徒だった。
その時点では、僕はそのことをもちろん知らない
彼らはとくかく、人々との交流を欲していたようだった。
数日後
指定された日時に
指定された場所へと足を運んでみた。
その場所が近所で
そこでは常になにかにぎやかに人々で溢れていたので
不安はあったが、恐怖は全く感じることはなかった。
白人男性2人と子供から大人まで十数人の日本人が
僕を温かく迎えてくれた。
そして、みんなで輪を作りお話が…
そのとき何を話していたか、ほとんど記憶がない。
キリストがアメリカの地に天から舞い降りたとか
僕は理解し難いことばかりだったからだろう。
僕が理解しようがしまいが
彼らはとにかく、まずは交流ありき、という姿勢だった。
「来週ハ、ミナでボーリングしまショウ」
ボーリングにも行きました。
楽しくなかったのか、その時の記憶が全くない。
唯一、1000円借りたのは覚えている。
そして、また来週、と…
正直、面倒に思えてきてしまい
それからしばらく、そこへは行かなかった、
��、3週間たったころだろうか
彼らから僕のところへ電話があった。
あ、そういえば1000円借りていた─
すぐさまお金を返しにいったが
彼らはお金などは問題ではなくて
もっと話を聴きにきてほしいということを言った。
時間がないという言い訳をして
彼らの誘いを断ると
��冊の本を僕にくれた。
『モルモン書』とその表紙に題されていた。
それを少し読んでみて初めて
彼らが何をしているのか理解できた。
『モルモン書』はほとんど読むことなかった。
捨てはしなかったと思うのだが
その所在はいまはもう分からない。
しばしばMR.ミスターというバンドの
♪キリエという曲を聴くのだが
当時の記憶を少し思い出す。
追記─
僕はキリスト教徒ではない。
子どもの頃、近所に神学校があって、そこの日曜学校に行ってました。
返信削除お祈りの詞は中学の頃までは覚えていたけど、今では全く忘れてしまいました。
父と子と精霊の御名によりアーメンとかいうの。
当時、“みな”が何のことかわかりませんでした。
「君が代」と同じで、意味もわからずに口にしていましたね。
「キリエ」はラジオで聴いたことがあるけど、この人たちは別にモルモン教徒ではないんですよね?
ブルースなどでは、LORD,have marcy on meというフレーズがよく使われるようですが、キリエエレイソンには正直、たまげました。
なんか、大袈裟じゃないですか?
賛歌とかゴスペルとか、キリスト教って結構いろんな音楽を生み出していますよね。何かにすがるものがあった方が、案外楽なのかもしれませんね。
返信削除宗教上において、キリスト教には全く興味が持てませんが、音楽や美術の世界では非常に感動的な作品が多いのは否めません。
宗教って本当に必要なのか、正直なところ大いに疑問なんですけど、様々な芸術作品を見せつけられると、まんざらムダじゃないんだなって思います。まぁ無神論者の戯言ですけど。
以前私の家にもモルモン教徒が飛び込みでやってきましたね。
返信削除でも私はシュリンパーさんと同じく、子供の「お宮参り」すら否定的な無神論者なので・・。
でも矛盾してるかもしれませんが、クリスマス・ソングは大好きだったりします。
宗教って同じ価値観を持つ人たちが集まり、当然その宗教や同じ宗教を信じる周りの人々の存在が心の大きな支えとなるわけで。
正直私も神を本気で信じられたら、人生もっと楽に生きていけるのかもしれませんね・・、無理だろうけど。
でも音楽も宗教に近いものもありますよね。
たとえば・・、名前は出さないけどJ-POPのいわゆるビッグな人たちとか。
こんばんは、けんさん
返信削除ラモンテ・ヤングなどもある意味教祖かな
宗教ってなんなのでしょうかね。
よく理解できないのですけれど、困難な状況や悲しみに暮れているとき祈ったり、逆に喜びに満ちあふれているとき感謝したり、そんな心境をなんか分かる気がするんです。何か超越的なものを持ちたがるのでしょうか。
そして音楽もまた、喜びの歌、悲しみの歌、怒りの歌など、自分にとっての超越的な存在のようなもの…かな?
そうなると、ラモンテ・ヤングは宗教的じゃないような気がしてきました。カリスマとか教祖という言葉はぴったりですけれど─、つまり新興宗教的だということなんでしょうか。