ギターソロとかピアノソロといった、器楽の独奏ものがよいのかもしれませんが、音の動きを極力抑えたミニマル音楽などが最もシンプルに聴こえると勝手ながら思っているので、耳から頭の中が飽和状態の今、モートン・フェルドマン(Morton Feldman)の「ロスコ・チャペル(1971年)」を聴いています。
Morton Feldman 「Rothko Chapel ; Why Patterns?」 |
抽象画家のマーク・ロスコに捧げられたというこの作品─
シンプルで不可思議な旋律で、いかにも現代音楽という響き。
ジャケットのロスコの絵を見ながらロスコを聴くと、何となく統一されたイメージが沸いてくるような気が…。
モートン・フェルドマンは図形楽譜を提唱したと解説されてありました。
後に彼は「結局は演奏家に好き勝手に楽譜を解釈され、自分の意図と違うものを聞かされる」と不満を抱いて、図形楽譜を放棄したらしいのだが─。
図形楽譜というのは、見ている分には面白くて自分勝手に様々なイメージを浮かべることができるのではあるけれど、これがいざ楽譜だと思い始めると、戸惑いから逃げることができなくなってしまいます。
「ピアノのためのコロナ」 作曲:武満 徹
「Sixty-two Mesostics Re Merce Cunningham」
作曲:ジョン・ケージ
「+ -」 作曲:小杉武久
面白いとは思いますが─
どうやって弾けばいいのでしょう。
解釈は自由なのでしょうけれど、一つ一つにかすかな指定などもあるので、それら一つ一つ覚えていかなければならないとするならば、非常に面倒です。
面白いとは思いますが…
さて、どんな音楽が聴こえてくるのか─
それは各自で確かめてください。
ごめんなさい…
モートン・フェルドマンのCDは持ってるはずなんですが、どんな作品かは忘れました・・。
返信削除CDは持ってるだけじゃだめなんだなぁと、痛感しますね。
図形楽譜は面白いんですが、演奏する側はどうやって解釈してるんでしょうかね?
「自分の意図と違うものを聞かされる」というのは、なかば逆ギレのようにも感じますが・・、勉強不足なのでなんとも言えませんけど。
いろんな解釈があったり、毎回違った演奏が聴けたりする自由度が、図形楽譜の長所だとも思ったりしてましたが・・、どうなんでしょうね?
こんばんは、けんさん
返信削除武満徹の「コロナ」では点の大きさで音の強弱を表し、矢印の部分はゴム製品または金属製のものでグリッサンドする…などという指定があるらしいです。固有の指定が固有の楽譜に存在するということは、ルールが乱立することになり、音楽の楽譜としては混乱を招くだけのような気がするのですけど…
図形楽譜を演奏すると、演奏するたびに違った音がなるのは避けられないわけで、ケージの「Sixty-two Mesostics Re Merce Cunningham」などは、様々なバージョンが収まっているCDがリリースされているみたいです。
図形楽譜はもはや、作曲だとはいえませんね。それを基に演奏している人が実質的に音楽を作っている─、作曲家は発明家みたいなものでしょうか。
図形楽譜を極限まで追求していけば、絵画を見て即興できるようになるのかもしれませんね。