スパイラルホール「聲明(しょうみょう)」コンサートシリーズ
今回が16回目だという。
それほど続いているということは、なかなか好評なのだと想像つくが
今まで知らなかったということもまた事実
不安と期待の中、開演ぎりぎりでスパイラルホールに到着した。
柔道や剣道の小さな道場ほどのスペースに
メインの舞台が中央に位置し、その周りを観客が囲んでいた。
客席はほぼ満席状態だったが
中央の舞台の真ん前に空席がちらほら見えたので
最前列のど真ん中にあぐらをかいた。
客席と舞台には段差などなかったので
少しでも足を伸ばしたのならば、舞台に足が入ってしまう位置
座禅をするような格好で声明を聴くのも面白い
薄暗い光がさらに暗くなると、何やらスースー息が聞こえてきた。
藤枝 守が「夜の歌」を作曲したのは1993年
この世は第五世界で、その下に第四、三、二、はじめの世界と
五層のコスモスが重なっていて
はじめの世界に生まれた生物が順々に上の世界に上ってくる─
そのようなネイティブ・アメリカン、ナヴァホ族の
創世神話に基づいて作曲されたもの。
ナヴァホ族は儀式の中で「砂絵」を用いたようで
すなわち、チベットの「曼荼羅」と同様のものであり
そのことから“砂のマンダラ"と題した公演となっているようだ、
スースー、ハーハー、息の音が四方から聞こえてくると
正方形の舞台の四隅に、4人の僧侶が椅子に腰を下ろした。
しばらくすると笛をスースーかすかにふかしながら
白装束の演奏者が非常にゆっくりとした歩調で舞台の外周し始め
��0分ほどかけて、舞台を一周した。
その間、聞こえるのはかすかな息の音だけ
今回、藤枝 守は
アメリカの女性作曲家ポーリン・オリヴェロスが考案した
「ソニック・メディテーション」という演習方法を実践─
「音に集中」し「聴くこと」が深まり
より多くの物事に対して鋭敏になり「気づき」を広げる。
人の声の原点である呼吸を整え観察することによって
身体の微細なゆらぎを感じたり
他者との一体感をともなったコミュニケーションが可能になる。
─「聴くこと」「発すること」の相互的の関連の中で
自分たちは世界とつながり合っていると感じたようだ。
呼吸の音が響いている中
言葉とも似ても似つかない唄が歌われ出した。
そしてまた、白装束の笛吹が舞台を外周し始め
長い外周の後
舞台のちょうど真ん中に別の白装束の演者がゆっくり座り
拍子木のようなものをランダムに鳴らし始めると
いつの間にか舞台の外側の四隅にさらに4人の僧が立っていて
これもまた言葉とは似つかない声で歌い始めた。
呼吸から他者との一体感・コミュニケーションへと
発展しているかのよう。
言葉とは似ても似つかないもの、それは─
オホホホ ヘヘヘ ヘイヤ ヘイヤ
エオ ラド エオ ラド エオ ラド ナセ
オワニ ホウ オウオウ オエ
エオ ラド エオ ラド エオ ラド ナセ
というナヴァホの儀礼歌に基づく呪文だという。
「意味のないコトバ」それは「魔法のコトバ」
「超言語」により深い精神で交信を図ろうとしている。
“呼吸"と“超言語"
それが今回の最大のテーマであるようだ。
拍子木が終わり、4僧の呪文も終わると
またも白装束の笛吹…
今度は2人の僧を後ろに伴っている。
��僧は自分から向かって左端と右端に向かい合って座り
鐘や木魚など打楽器を担当し始め
白装束の笛吹が1周目を終え2周目に…
今度は1人の女性を後ろに伴っている。
その女性、舞台にあらかじめ設置してあった琴の前に
程なく、歌声・打楽器・琴・その他あらゆる音が…
まさに音の重なり・うねりが始まった。
どうやら、ジョン・ケージ「龍安寺」であったようだ。
ケージの「龍安寺」は
声、オーボエ、フルート、コントラバス、トロンボーン
など様々なバージョンがあるようで
今回は声の「龍安寺」の楽譜を用い、打楽器と声明で演奏された。
「夜の歌─龍安寺」は、声明の日本最古の記録である
荘厳な四箇法用「如来唄・散華・梵音・錫杖」の形式を踏まえ
演奏されていたようだ。確かに4部構成だった。
「龍安寺」は3部・梵音の個所で演奏されていたのだ。
白装束の笛吹が再び外周し始める
今度は高僧らしき演者を伴っている。
最後に登場したこの僧、歌いながら
演奏している演者の一人一人の前に赴いて
手にしている花びらのようなもをハラリとまき散らす。
全ての者の前を回り終えると、ちょうど自分の目の前
背中をこちらに向けてゆったりと座る。
にぎやかだった音が静かになると
琴のメロディーとともに、最後の僧が歌い出す。
これまでにないくらいに、理解しやすいメロディーで
しかも、何やら意味のある言葉で歌っていた。
「すべて 生きるものに
いのちを吹き込むのは 風」
「体内の風 吹き止むとき
ひとは言葉を失い そして 死ぬ」
ネイティブ・アメリカンの詩が詠唱されていたようだ。
呼吸こそが生きることであり
呼吸こそが全てのものの根源だと知らされた瞬間だった。
ゆったりとした中で、禅に似た緊張と堅苦しさに耐え
そして最後に解放され、緊張が安らぎに変わる─
不思議な感動が全身を覆った。
全てが終わると、再び呼吸の音だけが響き
周りが闇に包まれた。
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