2008年3月16日日曜日

フレデリック・ワイズマンの「州議会」を見た

アテネ・フランセで開催されていたフレデリック・ワイズマン映画祭2008、昨日がその最終日で、ワイズマンの最新作「州議会」が日本で初公開された。

Frederick Wiseman -The internet Movie Database-
Frederick Wiseman -WIKIPEDIA-

State Legislature (2007) -The Internet Movie Database-


どんなにつらくとも、これだけは見ようと心に決めていたため、徹夜明けにもかかわらず、頑張って見にいった。217分と書かれてある─、絶対寝るだろうなぁと足取り重く劇場に到着、すでに上映が始まっていた。時間を勘違いして、8分ほど遅れてしまったらしい。
中に入ると狭い劇場は満席状態だった。立って見てれば居眠りすることもあるまい、と前向きに考えたものの、4時間立ちっぱなしはきついな・・と多少不安にかられてしまうのだった。30分は立っていた、その後ちょっと座ってみると、意外と画面がしっかりと見えたので、多少の不安は消えた。しかし、当初の心配どおり、何度も眠りで落ちてしまい、映画の内容が細切れに─、まぁ筋が通ったストーリー展開があるわけではなかったので、映画が途中で飛んでも問題なかったのだが。

<内容>
アイダホ州、州議会の日常を追ったワイズマン監督最新作。壮麗な州議会の建物の中では、校内暴力、狂牛病、間接喫煙の規制緩和、電話料金等々、多様な問題を扱う様々な委員会が行われている。委員会には議員だけでなく、ロビイスト、それぞれの問題の専門家や関係者、一般の市民も参加する。様々な課題をめぐり果てしなく続けられる議論の合間に、州議会を見学に訪れる子どもたち、ロビーで行われるコンサートの模様などが挿入される。
��アテネ・フランセ文化センターの解説より)


あらゆる議題や討論がめまぐるしく入れ替わり立ち替わり展開され、正直、その内容についていくことができなかった。その内容を完全に把握したとして、果たして、意味があるのかと疑問に思ったりもした。一個人の議員の主張を長回しで十数分とかそれ以上─、どうしても眠ってしまう。それでも、頑張って目を見開いていると、ある強い思いが心を支配した。なぜか、全くリアリティーを感じないのだ。州の現状を考え、議論し、討論しているのだが、あくまでもそれは言葉だけが飛び交っているだけであり、発せられている全ての言葉が机上の空論的に感じてしまうのだ。唯一リアリティーを感じるのは、論議を闘わせる人と人とのぶつかり合いだけ。ぶつかり合わせているその議論の内容は雲の上─。
議会の模様とともに、雑談風に人々の会話も収録されているのだが、その会話もあまりにもわざとらしく、あまりにもカメラを気にしないような(カメラ目線を絶対しないなどの)仕草が見られ、もしかしたら、この会話群にはあらかじめセリフがあって、ワイズマンが敢えて演出した上で収録されているのでは、と勝手に詮索してしまった。実際のところ、それがどうなのかは分からないが─。
ただ、州議会の中は現実離れしている事柄が展開されているということを、ワイズマンは意図的に表現しようとしたことだけは確かなように思う。議会内で合唱する子供たちや、メキシカンがダンスをしているシーンなどを非現実を演出する映像として効果的に挿入されている。そして本会議などでは聖書の一節が読み上げられたり、議会の慣習を崩そうとしなかったり、議題や提案が議員中心で展開され市民の声が軽んじられたり─、まるで議会という超越的なものが存在し、そこで決定された決まり事を市民が演じているだけのことだと感じてしまう。リアリティーを追究しながら、非リアリティーを表現しているのではと感じ出すと、眠気などどこかへ吹き飛んでしまい、本当に映画を見入ってしまった。

ラストのシーン…
州議会の関係者が病気で亡くなって、議場でそれを悼む挨拶や聖書の一節などが読み上げられ、その締めくくりとして、チェックのスカートをはいた男性がバグパイプを持ち、アメージング・グレースを高らかに演奏し始め、しばらくすると男性が音楽に合わせ歩みをとり出し、議場の外へと音とともに消えていった。その瞬間の議場内が非常に空虚で、長い沈黙とともに映画が終わっている。

もう一度じっくり「州議会」を見たいというのが今の気持ち。しかし、もうしばらく上映されないだろうなぁと思ってしまう。日本で昨日2回だけしか上映されていない映画であるわけで、せめて1週間ぐらいは上映してほしいものです。

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