2011年7月21日木曜日

ベルリン・フィル来日するということで・・・

11月22日、23日、24日の3日間、サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が来日公演をする。マーラー没後100年ということで、マーラー交響曲第9番を演目の一つとして選んでいる。その選択に大いに惹かれて、かなり値の張るチケットでも行く価値ありと、手に入れるべく先行抽選販売などに応募して努力してみたものの、落選、そして一般販売においても、その一瞬の完売劇に敢え無く撃沈。今後は、頭にくるオークションでも眺めることになるだろう。

ベルリン・フィルは3月にいち早く東日本大震災のための追悼コンサートを行っていたはず。この来日も追悼色を帯びることは間違いないだろう。しかし、いくらベルリンや東京など離れた場所で追悼追悼と銘打っても仕方あるまい、と不謹慎な思いが日に日に増してくる。福島原発や三陸海岸でという暴挙などはさすがに思わないまでも、せめて東北の地においてチャリティー何某を開催しろと思うのは至極当然のことだと思うのだが─。

数日前のニュースで、岩手・宮城・福島3県のホール93カ所のうち、4割に当たる39カ所が震災の影響で再開できていないという記事を目にした。実行する場もないのである。専用ホールがなくてもどうにかして強行する価値はあると思うのだが─。

クラシック音楽のマネジメント会社カジモトがスイスのルツェルン・フェスティバルと協力して、「ARK NOVA - A Tribute to Higashi Nihon ~東日本への贈りもの~」と題した、被災地における文化復興支援プロジェクトを立ち上げた。カジモトによると、移動式テントをホールとして活用しながら国内外のアーティストの生演奏を提供していくという。原発事故さえなかったら、こういった流れはもっと早くもっと盛んに行われていたことだろう。そう思いながら、果たして本当に国内の原発を全廃していいものだろうかと思う矛盾した自分がいる。今のこの現状を目の当たりにしても、完全に原子力発電というものを否定できない愚かしさ。

11月となると、工程表のステップ2も終わりに近づいているころか。キャンセルが相次いだあのころのようなことが二度とないよう、ただただ祈るばかり。ベルリン・フィルが少しでも安心して来日できるように願いつつ、頭に血を登らせながら、ニュースとオークションとに目を光らせてみますかな。


2011年7月2日土曜日

WHAT’S IT ALL ABOUT & SILENT MOVIES

今年のフジロックにマーク・リボーが参加するという記事を目にした、しかも、“偽キューバ人”を引き連れて。まったく興味を持てなかったこのイベントに、少しだけ惹かれた、ほんの少しだけ。それで、苗場まで行くかどうかはまた別問題、しかも、フジロック後、マーク・リボーと偽キューバ人たちのツアーが設定しているという朗報とともに、自分の頭の中から灼熱の苗場は消えた。

それにしても、このユニットがアルバムを出したのは10年以上の前のことだが、何故に今頃になって来日するのか。所謂ガンバレニッポン的なことなのか、それとも怖いもの見たさ的なことなのかどうかは知らないが、何にせよ、よくぞ皆で来てくれたという思いだけ。

 
キューバとの絆~アルセニオ・ロドリゲスに捧ぐ
 
!ムイ・ディベルティード! (めっちゃ愉快!)

この小さな驚きは、思いのほか大きいものだったのか、某大手レコード店では、“当店限定”と銘打って上の2枚をSHMーCDとして再発、とりあえず、最初の1枚だけを買う。それにしても、なぜまた買わなければならないのかと思うものも、さて、何度目だろうか・・・。期待以上にギターの音が洗練されている印象、買う価値はあったのか─。そう思ってしまうのだから何度でも同じことを繰り返すのであろう。なにはともあれ、これで8月の生演奏への期待も高まった。

フジロックに出るとはいえ、マーク・リボーのCDを即手にするとなると、それなりに大きな販売店へと足を運ばなくてはならない。そして目的のものを発見するまでには、ちょっとした時間を費やすわけで、その合間合間に目にする・手にする・耳にするあらゆる魔物に引き込まれ、ついつい計画的にという言葉や思想を失ってしまい、最悪の場合、目標物を捉える前にこちらの懐が撃沈されてしまうという事態に貶められる。過去、どれだけ撃沈され、その後、フランスパンを噛み締めながらネスカフェで飢えを凌いだことか─。

今回はSHM-CDがこれ見よがしに陳列されていたために、それほど幻惑されずに目的に至ることができたのだが、それでもプラス2枚、付随してきてしまった。無念・・・

さて、この付随的に購入した2枚が今回の記録のメインとなるもの。

1つは、マーク・リボーのソロで、リリースされた中でもっとも最近のもの。彼の最新の録音が聴きたいという理由から選んだのではなく、そのタイトルとジャケットに思わず惹かれてしまった。

Silent Movies

サイレントムービーから流れてくる音楽というものをイメージして、マーク・リボーが書き溜めていたものらしい。中には、実際に映画のために作曲されたもの(メキシコ出身の監督Natalia Almadaが制作したドキュメンタリー映画のための音楽)も含まれているというが、どれがそれに当たるのか知り得ない。

ジャケットは、チャップリンの「キッド」をイメージしたものらしいが、自分にはバスター・キートンのように見えて仕方がない。バスター・キートンの映画における音楽となると、ビル・フリゼールのMusic For The Films Of Buster Keatonを思い浮かべてしまうのだが、映像に忠実に音づけするビル・フリゼールの手法とは全く異なって、マーク・リボーの場合はあくまで古い映像に似つかわしいメロディーを追い求めた結果である。

ギター1本だけで奏でられ続けるこのアルバムは、実にもの悲しい、しかし、自由かつ決してある範囲を越えることのないその不思議なメロディーは、恐らく飽きることがないだろう。これはあくまで個人的な意見、もしかしたら苦痛に感じる人もいるのでは。

もう1つは、パット・メセニーの新作、しかもオールカバーで─、もしかしてあのハービーのニュースタンダードにあやかったものなのかと、かなり期待のもの。

What's It All About

ピカソギターの響きから始まるサウンド・オブ・サイレンスなど、超有名な楽曲ばかり、数種のギターを駆使してはいるものの、あくまでギターソロを貫き通した、これもまた静かな1枚。

一度聴いただけで何となくわかったのは、あくまでこれはカバーアルバムで、ニュースタンダードではないということ。あのメセニーの超絶技巧は敢えて潜めて、淡々とオリジナルのメロディーを尊重しているといった演奏。確かなメロディー、決して乱れることがないだろうという安心感。これはもう、間違いない響きで、まさに動かざること山の如し。それ故、まったくもってつまらないものに思えてくるのは自分だけか。メセニーが何故にこのようなレコーディングをリリースしたかったのか、まったく理解できなかった。これはまさにイージーリスニングと呼ばれる音楽に違いない。イージーリスニングというものを楽しむことができるリスナーにとって、これほど素晴らしいアルバムはないのではと思うのだが、そういった類の音楽になじめない自分にとって、これは一度きりのアルバムになるのかなという予感。

たまたま魅惑された2枚のアルバムが、好対照のギターアルバムであったことは幸運なことかもしれない。マーク・リボーを繰り返し聴いて、不快な音が気になり出したら、もう一度このメセニーのカバーアルバムを聴き返してみると、もしかしたら自分の気持ちも変わるかもしれない。

それよりも、マーク・リボーの如く、この只中において来日することこそが、多くの気持ちを変えるものだと思うのだが・・・


2011年6月29日水曜日

ダニエル・ハーディング指揮マーラー・チェンバー・オーケストラ

2011年6月7日(火)19:00開演

Bunkamura オーチャードホール

マーラー:「花の章」

Gustav MAHLER : “Blumine”

マーラー:歌曲集「子供の不思議な角笛」より

“むだな骨折り” “この世の世界” “ラインの伝説”

“美しいトランペットが鳴り響く所”

“だれがこの歌を作ったのだろう”

Gustav MAHLER:Selection from “Des Knaben Wunderhorn”

(Verlorne Muh’ / Das irdische Leben / Rheinlegendchen / Wo die shonen Trompeten blasen / Wer hat dies Liedlein erdacht?)

マーラー:交響曲第4番 ト長調

Gustav MAHLER : Symphony No.4 in G major

ソプラノ:モイツァ・エルトマン

Soprano : Mojca Erdmann

 

 

鑑賞から二十日以上が過ぎて、そろそろ記録しなければその記憶や印象がなくなってしまう。とはいえ、かなり忘れている部分があるのは否めない。

何故に記録をこれほどまでに放っておいたのか─。ただでさえ硬くなってしまっている鉄、それをとろけさせるのは、なかなか難しい。

歌曲から始まったその演奏、モイツァ・エルトマンの美しさに期待は高まるものの、声量が低いような印象。特に低音部があまりに聴こえづらい。徐々に、声量が高まってきたのか、それとも耳が慣れてきたのか、少しずつ音楽に集中できるようになってきた。オーケストラの繊細な演奏がひときわ際立つ。

歌曲の後、休憩時間を挟み、交響曲。

軽やかに、さらりと、あっさり終わってしまった印象。まとまりのない演奏から始まったように感じたものの、後半にはそれも演出であったのかという思いに至る。

マーラーという名を配したオーケストラであるだけに、皆が皆、楽々演奏している。あまりに卓越した演奏であるがために、それが一層さらりとした印象を掻き立てる。それが良いか悪いか非常に微妙な判断ではあるけれども、4番にこそ合っているような印象。しかし、この演奏が2番、3番に合うとは言えず。今回4番に敢えてあのような演奏をして、他の大作などには違った業を出し得るのかどうか知る由がないのだが、感心させられたのは事実。とはいえ、感動も薄かったのも事実。それは演奏の故というよりも、演目自体に原因ありか─。

もう少し楽な気持で演奏に臨めばよかったと、多少後悔しながら、拍手喝采。


2011年6月2日木曜日

Richter 858

ビル・フリゼールの新作「SIGN OF LIFE」から得られた情報から、2005年にリリースされた「Richter 858」は弦楽四重奏だったということを再認識させられた。

Richter 858  
1. 858-1 - 7:58
2. 858-2 - 3:15
3. 858-3 - 4:13
4. 858-4 - 9:00
5. 858-5 - 4:34
6. 858-6 - 6:40
7. 858-7 - 6:34
8. 858-8 - 4:56
Bill Frisell (Guitar)
Jenny Scheinman (Violin)
Eyvind Kang (Viola)
Hank Roberts
(Cello)
All compositions by
Bill Frisell

リリースされた当初は、ゲルハルト・リヒターの抽象画とビル・フリゼールの音楽との融合ということばかりが気になって、音楽そのものに対する興味が希薄であったような気がする。そこで改めて音楽だけに集中して鑑賞してみる。

楽曲のタイトルも“無題”に等しいのと同様に、音程そのものも“無調”といえる内容。冒頭などは“雑音”といえるような音から始まるわけで、なかなか手強いという印象を受けてしまう。ただ、作曲したビル・フリゼールの思惑なのか、その破滅的な音群が徐々に形をなしていき、終盤の楽曲においては何らかの規則性を持った音楽を体感するに至る。もっとも、最終8曲目は初めのころの楽曲と比べて明確な形をなしているとはいえ、その響きは“無調”であるといえるもの。

やはりここにある1から8は、抽象画があってこその響きであることが分かった。だからといって、音が鳴るたびにそれに当てはまるべき絵画をいちいち確認していたのでは煩わしい。かといって、音だけ聴いていたのでは、その音が煩わしくなってくるだけ。せめて、音とともに元となる抽象画を想像することができれば、音楽そのものを殺すこともあるまい。

 

858-1

richter_858_1-300x208

 

858-2

richter_858_2-300x207

 

858-3

richter_858_3-300x205

 

858-4

richter_858_4-300x207

 

858-5

richter_858_5-300x208

 

858-6

richter_858_6-300x207

 

858-7

richter_858_7-300x207

 

858-8

richter_858_8-270x300

 

参考:The Times Quotidian

 

 

 

 

858 Quartet

858_quartet

  Hank Roberts
(Cello)
Jenny Scheinman
(Violin)
Bill Frisell
(Guitar)
Eyvind Kang
(Viola)

2011年5月28日土曜日

SIGN OF LIFE -MUSIC FOR 858 QUARTET-

858 QUARTET とはなんぞや?と思いつつも、エレクトリックギターを含む弦楽四重奏というのはどんな響きをなすのだろうという興味本位で聴いたアルバム。実は過去にこの弦楽四重奏を自分は聴いていたということを後日知ることになるのだが、過去のものとその響きがあまりにも違いすぎるために、新しいものを聴く感覚で感傷に浸ることになった。

Bill Frisell/Sign Of Life

858 quartet
Bill Frisell (Guitar)
Jenny Scheinman (Violin)
Eyvind Kang (Viola)
Hank Roberts (Cello)
01. It's A Long Story (1)
02. Old Times
03. Sign Of Life
04. Friend Of Mine
05. Wonderland
06. It's A Long Story (2)
07. Mother Daughter
08. Youngster
09. Recollection
10. Suitcase In My Hand
11. Sixty Four
12. Friend Of Mine (2)
13. Painter
14. Teacher
15. All The People, All The Time
16. Village
17. As It Should Be

その内容は、古き良きアメリカの響きをモチーフに静寂を重んじたもの。聴けば聴くほどに、心に沁み入る。

このカルテットでのアルバムは2枚目。最初のものはドイツの画家、ゲルハルト・リヒターの抽象画からインスパイアされたとされる楽曲群が並ぶアルバムだった。

Bill Frisell/Richter 858 (Hyb)

インプロヴィゼーション的要素、あるいはノイズ的な要素が強く、抽象芸術の極致というべき作品。

それに対して、今回のこの2枚目となる「SIGN OF LIFE」はあまりにも違いすぎる。これほど違うと、思わず笑ってしまうのだが、これらが彼らカルテットのやり残したことだと勝手に意味づけしてみると、至極納得してしまうと同時に、やはりほくそ笑んでしまう。

牧歌的響きを帯びたこの楽曲群自体にも、心を和ませる要素があるのだが、何度も聴きこんでいくうちにその静寂感の意味合いを理解するに至り、感傷的な雰囲気に浸るようになる。はじめはギターの音色ばかりを追っていたものが、不思議とバイオリン、ビオラ、チェロといった他の音を聴き入っている自分がいる。それが想いの変化を生み出しているのかもしれない。

 


2011年5月27日金曜日

HIROMI / VOICE

上原ひろみのリーダーアルバムや参加したアルバムを、必ずしもすべてを聴いているわけでもなく、むしろ聴いていないものが多いのではあるけれど、なぜか気になるアーティストではある。故に、チック・コリアとの武道館“duet”など見に行ったりしているのだが、どうしても共演のネームバリューをもとに視聴している感がある。

2011年3月にリリースされた「ヴォイス」においても、サイモン・フィリップスとアンソニー・ジャックソンという名前が自分の興味を惹いた大きな要因だった。特に、サイモン・フィリップスと上原ひろみという組み合わせなど、想像すらしていなかったもので、聴き逃すまいという強い心が働いたわけだ。

上原ひろみ/Voice


Hiromi (p)
Anthony Jackson (b)
Simon Phillips (ds)



1. Voice 
2. Flashback 
3. Now or Never 
4. Temptation 
5. Labyrinth 
6. Desire 
7. Haze 
8. Delusion 
9. Beethoven’s Piano Sonata No/8,Pathtique 

当初、ランニングなどしながら聴いている時分は、非常に心地よく聴いてはいたものの、何度も聴いていると、なぜか飽きてきたような感あり。もっとも、あまりに連続的に聴いてしまったところはあるが─。

サイモン・フィリップスは、クールに淡々と正確無比なビートを刻み、その中で自由に上原ひろみが踊る。どうしてもロック的なビートであるために、良くいえばシンプル、悪くいえば単調なドラミング。それ故、どうしてもピアノの演奏も限られた枠の中に収まってしまうのだが、それが心地よさにもつながっているし、また物足りない部分でもあるのかもしれない。

話は変わって、震災後まもなくBSで放送されていた「上原ひろみの世界」という番組を録画していて見ていなかったのにようやく気がつき、それを見つつの「ヴォイス」を聴きつつ、という邪道を敢行してみた。やはり、「ヴォイス」はきっちりとまとまっているのかなと思ってしまう。とはいえ、通常のロック畑のものと比べると間違いなく群を抜いているのだが─。

発売当初の限定版にはDVDがついたものも発売されている。少々値は高いが、見る価値は十二分にある。内容は演者3人のインタビューと、「Now or Never」の収録のもようが収められている。三者三様の演奏が非常に面白くて、全く違うスタイルの3つの素材が見事に融合しているアルバムなのだと認識させられた。上原ひろみは「このユニットで世界ツアーができたら」という希望をインタビューで語っていたが、それが実現したならば、どんなことしても見なければならない。でも、実現は難しいかなー


2011年5月9日月曜日

Natsukashii Helge Lien Trio

アルバムタイトルを見て、初めて衝動買いをした。

Natsukashii  Helge Lien Trio 01.Natsukashii
02.Afrikapolka
03.Bon Tempi
04.E
05.Sceadu
06.Meles Meles
07.Hymne (Til Jarl Åsvik)
08.Umbigada
09.Small No Need
10.Living In Different Lives

Helge Lien[p]
Frode Berg[b]
Knut Aalefjær[ds]

題名の衝動買いといっても、前作「Hello Troll」をかなり気に入っていて、その音も予想は出来たわけだ。実際に聴くと、やはり予想通り、いや、予想以上の感。

“懐かしい”という言葉・感覚を、独自に捉え・表現した結果としての“Natsukashii”

 

Hymne

 

テンポのいい曲もしっかりと収まっているものの、全体として“暗”とか“静寂”といったものが漂っている。

日本人である自分には、ここのメロディー自体では“懐かしさ”を感じることはないけれども、楽曲をじっくりと聴いているうちに、不思議と“郷愁”にかられてしまった。

“Natsukashii”からはじまり、“Living In Different Lives”で終わる。このアルバムには明確なメッセージやコンセプトがあるのかどうかは計り知れないけれど、独りよがりに勝手なイメージを創ってしまう。

このアルバムの録音は2010年9月だということだが、3月11日以降だと、どうしてもアルバムタイトルに何らかの意味づけをしたくなる。震災の予感でもないし、震災への慰めでもないのは分かっているのだけれど、これは日本へのメッセージなのだと思いながら聴いていると、より一層メロディーが心に沁みてくる。

ノルウェーって遠いのに─

自分はノルウェー語、全く知らないなぁ・・・