2010年8月6日金曜日

Like A Rolling Stone

 満員電車の中、ウォークマンをから流れてくる音楽をじっと聴きながら、おしつぶされそうになる気持ちを耐え忍ぶ。きょうの支えとなった音楽は、「ライク・ア・ローリング・ストーン」だった。

Michael Hedges - Like a Rolling Stone


 故・マイケル・ヘッジスが歌う、ボブ・ディランのカバー。ロック調の本家本元とは全く違って、アコースティックであり、フォーク的な「ライク・ア・ローリング・ストーン」。個人的にはこのカバーバージョンの方が好みだ。カバーする側のカバーした曲への愛情を非常に感じるからだ。
 参考までにいうと、ディランの原曲はローリング・ストーン誌が選ぶオール・タイム・グレイテストソンング500で1位になっている。ボブ・ディランはノーベル賞にノミネートされ、ピューリッツァー賞を受賞しているわけだから、特別驚くことではないか─。
 how dose it feel? - like a rolling stone 自分の耳では、残念ながら、ほんの一部分だけしか聴き取れない。何をどう感じるのかと問いかけているのか…そもそも、ローリング・ストーンというのは何であったか…
 A rolling stone gathers no moss. という英文のことわざを習った記憶がうっすらと蘇る。ころがる石は苔をつけない─つまり、…常にフレッシュだということだったかな?と直感的に思ったものの…

rolling stone  [rólling stóne]

―【名】【C】 ころがる石; 住所[職業,仕事(など)]を次々に変える人.

用例
A rolling stone gathers no moss. 《諺》 ころがる石にはこけが生えない 《★【解説】 商売変えは損あって益がない; 絶えず恋人を替えている人は真の愛が得られない[結婚できない]; 《米》 ではまた絶えず活動している人はいつも清新だの意に用いる》

研究社 新英和中辞典より
 
 
 優柔不断はよくないという意味とフレッシュ!という意味が含まれている。つまり全く逆の意味が同じ言葉に内包されている。どうやら、イギリスでは否定的に用いられていて、アメリカでは肯定的に使用されているという。これは、イギリスでは伝統を重んじて、アメリカでは新しいものが喜ばれるという文化的な違いの表れだということだが、アメリカ出身のボブ・ディランはやはり、肯定的なローリング・ストーンを歌っているのだろうか。

Once upon a time you dressed so fine
You threw the bums a dime in your prime, didn't you ?
People'd call, say, "Beware doll, you're bound to fall"
You thought they were all kiddin' you
You used to laugh about
Everybody that was hangin' out
Now you don't talk so loud
Now you don't seem so proud
About having to be scrounging for your next meal.

昔、君は奇麗な服を着て
良いときは乞食にコインを投げただろう。
人が「気をつけろ、落ちるよ」と言っても
冗談だと思っただろう。
前は笑っていた
ブラブラしている人を。
今はそんなに声をあげない
今はそんなにプライドも高そうでない
次の食事をかき集めるときにはね。


How does it feel
How does it feel
To be without a home
Like a complete unknown
Like a rolling stone ?

どんな気分だい?
どんな気分だい?
家がなくて
全く知られていない人のように
転がる石ころのようにいるのは


You've gone to the finest school all right, Miss Lonely
But you know you only used to get juiced in it
And nobody has ever taught you how to live on the street
And now you find out you're gonna have to get used to it
You said you'd never compromise
With the mystery tramp, but know you realize
He's not selling any alibis
As you stare into the vacuum of his eyes
And say do you want to make a deal?

一番良い学校にいったね、淋しいお嬢さん
そこでは甘やかされただけだった
路地で生きるためのすべは教えてもらえなかった
だけど今は、これに慣れないといけないことに気づいてね
謎のトラップには妥協はしないと言ってた
だけど今は気づいたろ
アリバイを売ってはくれない
彼の空虚な目を見つめながら
取引をしようと言いながら。


How does it feel
How does it feel
To be on your own
With no direction home
Like a complete unknown
Like a rolling stone ?

どんな気分だい?
どんな気分だい?
ひとりぼっちで
家路もなく
全く知られていない人のように
転がる石ころのようにいるのは


You never turned around to see the frowns on the jugglers and the clowns
When they all come down and did tricks for you
You never understood that it ain't no good
You shouldn't let other people get your kicks for you
You used to ride on the chrome horse with your diplomat
Who carried on his shoulder a Siamese cat
Ain't it hard when you discover that
He really wasn't where it's at
After he took from you everything he could steal.

ジャグラーとピエロ達のしかめ面を見るために振り返ったことはなかっただろう
皆降りてきて君のために手品をしてくれたとき
それがダメだとは分からなかっただろう
他人に楽しさを任せてはいけないこと
前は君の外交官とクロムの馬に乗っただろう
彼の肩にはシャム猫を乗せて
彼がいたのは違う場所と分かったときは大変だっただろう
彼は、盗めるものはすべて持っていったね


How does it feel
How does it feel
To be on your own
With no direction home
Like a complete unknown
Like a rolling stone ?

どんな気分だい?
どんな気分だい?
ひとりぼっちで
家路もなく
全く知られていない人のように
転がる石ころのようにいるのは


Princess on the steeple and all the pretty people
They're drinkin', thinkin' that they got it made
Exchanging all precious gifts
But you'd better take your diamond ring, you'd better pawn it babe
You used to be so amused
At Napoleon in rags and the language that he used
Go to him now, he calls you, you can't refuse
When you got nothing, you got nothing to lose
You're invisible now, you got no secrets to conceal.

先塔の上のプリンセスと奇麗な人たち
彼らは飲んで、すべて大丈夫だと思っている
貴重なプレゼントを受け渡し
だけど今はダイアモンドの指輪を持っていった方がいいね、質屋に
昔は笑っていたのに
おんぼろ服のナポレオンと彼の言葉に
彼のところに行ってこい、彼が呼んでる、断れないだろう
何もないときは、何も失えないのさ
君は透明なんだ、隠す秘密もないのさ。


How does it feel
How does it feel
To be on your own
With no direction home
Like a complete unknown
Like a rolling stone ?

どんな気分だい?
どんな気分だい?
ひとりぼっちで
家路もなく
全く知られていない人のように
転がる石ころのようにいるのは



 決して、良いイメージで描かれていないその内容。しかし、最後は不思議と肯定的なイメージを持ってしまった。自由、万歳、といった感じか。そんな単純なものではないかもしれないけれど─。
 ローリング・ストーンというものは、なかなか奥深い。
 ボブ・ディランが1965年に「ライク・ア・ローリング・ストーン」をリリースする遥か前に、マディ・ウォーターズが1948年に「ローリン・ストーン」という曲でローリング・ストーンを歌っている。あのローリング・ストーン誌の名前の由来といわれる有名な曲。その表現は、「ライク・ア・ローリング・ストーン」と非常に共通しているものがある。

♪Rollin' Stone
Well, I wish I was a catfish,
Swimmin in a oh, deep, blue sea.
I would have all you good lookin women,
Fishin, fishin after me.
Sure 'nough, a-after me.
Sure 'nough, a-after me.
Oh 'nough, oh 'nough, sure 'nough.

I went to my baby's house,
And I sit down oh, on her steps.
She said, "Now, come on in now, Muddy."
"You know, my husband just now left."
"Sure 'nough, he just now left."
"Sure 'nough, he just now left."
Sure 'nough, oh well, oh well.

Well, my mother told my father,
Just before hmmm, I was born,
"I got a boy child's comin,"
"He's gonna be, he's gonna be a rollin stone,"
"Sure 'nough, he's a rollin stone,"
"Sure 'nough, he's a rollin stone,"
Oh well he's a, oh well he's a, oh well he's a.

Well, I feel, yes I feel,
Feel that I could lay down oh, time ain't long.
I'm gonna catch the first thing smokin,
Back, back down the road I'm goin.
Back down the road I'm goin.
Back down the road I'm goin.
Sure 'nough back, sure 'nough back.


なまずだったらいいのにな
青い海の底 深く深く 泳ぐ
おまえはいい女
口説き落としたい
俺を釣り上げてくれ
確かに、そう、確かに

彼女の家に行ったんだ
階段に座ってさ
「おいで、マディ。主人は今出て行ったわ」
確かに、そう、確かに

俺の母親は父親にこう言った
俺が生まれる前のことさ
「男の子が生まれるわ。
けど、この子は流れ者になるわよ、きっと」
確かに、そう、確かに

俺は転がる石ころ

寝転がってるとさ 確かに感じる
俺の人生そんなに長くない
初めて煙草吸った時みたいなあの感覚を捕まえにいくぜ
だから
俺を道路に戻してくれ
俺は行くからよ
俺を道路に戻してくれ
俺は行くからよ
確かに、そう、確かに

 決してよいイメージではないローリング・ストーンではあるが、それはそれで悪くないだろう、といった不思議な肯定と説得力がある。まさか、これら楽曲がことわざの本来の意味を変えてしまったとまでは思わないけれども、肯定的なローリング・ストーンというものも、決して真新しいということだけでは済まされない深い意味が含まれているようだ。
 斯く言う自分も、転がり続けているようなものなのだが、それなのにコケやカビまでもがこびりつき、さらには、どんどん摩耗していっているような…「ライク・ア・ローリング・ストーン」を聴きながら、耐え抜こう♪

2010年7月25日日曜日

クラッシュ

The Clash/London Calling


 クラッシュ、あまり理解できなかった、クラッシュ・・・

 先月、突然、データをため込んだハードディスクがクラッシュして、「そういえば、あのクラッシュって、あんまり聴き込まなかったなぁ」と思ってしまった。まぁ、ある種、思考の逃避行のようなものだが─、クラッシュでも聴いてりゃ直るんだろ、どうせ、─みたいな。そんなの甘いわけで、どんなに撫でても叩いても、パソコンから決して見ることが出来なくなってしまった。そうクラッシュ!です。



ボーカルのジョー・ストラマーはだいぶ前に故人となっていたらしい。合掌─。この追悼ライブ、すばらしい面々だが、やっぱ壊れているな。

 さて、壊れたハードディスク(HD)というのは、2年ほど前に購入したバッファローのLS-500GL。故障の原因を探るべく、メーカーのウェブを見ると、どうやら修理に出さなければ回復する見込みがない模様。しかし、メーカーの対応は、あくまでハードの修理であり、中に保存してあるデータに関しては知るところではないという姿勢。データの回復を望むのであれば、それなりの業者、つまりデータ回復業者に頼まないといけないようだ。
 それでは、データ回復にどれだけの費用が必要なのか色々と調べてみると、軽度の故障からの回復で4~5万、重度の回復だと数十万もする。完全に足もとを見た値段設定にしか思えない。我のHDの故障は、どうも重度であるようだから、うん十万か…。こうなれば、自分で何とかする。どうせ壊れたハードディスク、分解してデータを抽出してやるぞ!
 そこでこのHDについて詳細に調べると─、NAS 【Network Attached Storage】(ネットワーク接続ストレージ)のハードディスクで、XFSという形式でフォーマットされている、─とのこと。なにやら聴きなれないフォーマット。それもそのはず、この種のストレージはLinuxディストリビューションを使用しないと認識することはできないようで、普段WinとかOS Xといった部類のPCだけしか触っていな自分には、少しばかり敷居が高いか・・・。
 しかし、このネット時代、検索すれば、分解から、データ抽出方法まで素晴らしく丁寧な解説が結構出てくる。これは意外と自らの手で、データ回復ができるかも。
 LinuxディストリビューションはKNOPPIXというものを使用。CDやDVDにダウンロードしたKNOPPIXをイメージとして焼き込んで、それをPCに入れてOSとして起動させれば、XFSフォーマットのストレージを認識できる。

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 まずは、Win7にて焼き込んだDVDを起動。KNOPPIXはみごとに起動、さらに、分解したストレージも認識した。しかし、データのコピーがうまくいかない。しかも、ワイヤレスデバイスの一部が機能せず、マウスと無線LANなど全く使用できず、非常にストレスを感じた。ので、いったん撤収。
 つぎは、XPにてKNOPPIXのバージョンを上げたものをダウンロードし、CD・DVD両方作成。しかし、KNOPPIX自体が起動せず。7,8年前のPCだったからか。
 最後に、OS XにてDVDを起動してみる。みごとにKNOPPIXが起動、そしてストレージも認識。さらに、データのコピーもうまくいった。しかし、ハードの一部分が欠損している模様で、どうしても抽出できないファイルがあった。幸いにもLinkStationにはゴミ箱機能が付随していて、エクセルのデータなど知らないうちにバックアップされていた。そのゴミ箱を時間を逆算しながら抽出していって、壊れていない時点のデータをようやく発見し、結果96%のデータを自らの手で回復させることに成功した。
 分解したハードは完全にゴミと化したが…

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 この“ハードディスク壊れちゃった事件”は先月発生、10日ほど前にようやく解決して、同じような内容の悪戦苦闘ドキュメントをPLAYLOGなるブログに記したのだが、偶然の一致というか何というか、PLAYLOGそのものがクラッシュしてしまった。ストレージに重大な異常が発生したようで、ブログが閉じられた状態になっている。ものダメかもね。
 今更ながら、データの保存・取り扱いというものが非常に大切だなという思い。ブログに記入する文章は、当然のごとくバックアップしているはずもなく、アップロードした画像なども、当初は保存していたものの、それが増えるにつれて、「あそこにあるから、いいや」などと、バックアップしなくなっている。ということは、ブログがクラッシュしてしまえば、一瞬にしてデータが消えてしまうわけだ。「ま、いっか」と思うか、「おそろしい」と思うか、気の持ちようだと思うのだが、やっぱ、おそろしい…。
 万全のRaidで、安全対策はバッチリ(?)だとは思うのだが、本当に大丈夫なのだろうか、クラウドもウェブリログも…。外にデータを保存してバックアップを内におく、という無駄なことだけは避けたいものなのだが…あまいかな?
本当に大切なものは、自己責任でしっかりと管理するしかない、か・・・。

クラッシュ、どうぞ

ノーモアクラッシュ


2010年6月17日木曜日

インバルのマーラー2番

東京都交響楽団
Tokyo Metropolitan Symphony Ocehstra
第700回定期演奏会Aシリーズ
Subscripstion Concert No. 700
��010年6月16日(水)19:00開演 東京文化会館
Wed. 16 june, 19:00 at Tokyo Bunka Kaikan
マーラー:交響曲第2番ハ長調「復活」
Mahler: Symphony No.2 in C Minor AUFERSTEHUNG
指揮/エリアフ・インバル
Eliahu INBAL, Conducor
ソプラノ/ノエミ・ナーデルマン
Noemi NADELMANN, Soprano
メゾソプラノ/イリス・フェルミリオン
Iris VERMILLION, Mezzo-soprano

S席8,500円 A席7,500円 B席6,500円 C席5,000円 Ex席2,500円


 B席ーL9ー2番からの鑑賞。比較的前方の位置ではあったが、向かって左端の席であったため、左奥のトランペットやハープなどが見えなかった。音の聴こえ方は非常に良かったが、第一バイオリンをやや背後から聴く位置であったため、バイオリンが弱い印象。
 それでも、狭いステージ上でありながら非常にバランスのとれた演奏に思えた。これぞインバルのなせる技なのだろう。やはりマーラーは得意とするところなのだろう、気合を入れて聴いているこちらとは対照的に、軽やかに指揮している。その軽やかな指揮は、管楽器にとって有効なのかもしれない。静かに鳴らす緊張する部分も、力むことなく正確な音を鳴らしていた。
 全体的に、メリハリをつけた演奏であった。故に、常に混沌として分かりずらいと感じている第1・第2楽章が、非常に明快な印象を受けた。指揮者自身がこの交響曲をよく理解しているということなのだろう。
 声楽陣の登場は第1楽章終了時。後半に集中するこの声楽を、どのタイミングで配置するかというのは、指揮者によってだいぶ違うようだ。
 2人のソプラノは非常に力強く、管弦楽とよく溶け合っていた。第4楽章の独唱、弦楽、木管との競演では、圧倒的な声楽の存在感を示し、なおかつ他の音をひきたてる役となっていて、感動的な演奏であった。
 期待の第5楽章は、やや期待外れ。あまりに音を切りすぎのように思えてならなかった。心なしか指揮にも演奏にも力みを感じる。力が入るのは分かるが、前半のあの巧みさで流れていってほしかった。
 とはいえ、合唱部分は非常に素晴らしいものであった。合唱により、危うくなった管弦楽が救われたような印象。合唱への指揮・指示は細かいもので、それがよい歌声につながっていたのは確かであろう。声楽は相当鍛えられたのかもしれない。それとも、2人の外国人ソプラノにひっぱられていたのだろうか。
 とにかくも、この歌声により、不完全燃焼なることなく、すっきりとした気持ちで会場を後にすることができた。



2010年6月13日日曜日

Pat Metheny "Orchestrion"の衝撃

パット・メセニー≪オーケストリオン≫
��010年6月12日(土) すみだトリフォニー
��8:00開演(17:30開場) S席8500円 A席7500円
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今回購入できたチケットはS席・1階26列19番
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ちょうどPAが設置されているすぐ前の席。であるから、少々遠目に感じるとはいえ、音響的には最高のポジションといえよう。

予定より5分ほど遅れて開演。

アコースティックギターを使用しての自曲メドレーでスタート。次にピカソギター使用してのお馴染みの曲。出だしは自動演奏装置が微動だにせず。

エレクトリックギターを手にすると、少しずつオーケストリオン始動。

前置きが終了すると、オーケストリオンの全体像が露わに

想像以上のセット
セットというより、まるで現代アートのインスタレーションの様相
ビジュアル的に素晴らしくとも、その音はグループのものに比べるとどうしても薄く軽いものに感じてしまう。しかし、それが奏でる音楽は決して機械的なものに非ず。それというのも、パット・メセニーのギターがあっての故なのだろう。この男は機械でさえもひきたてることができるのか。恐るべし…。
アルバム内の曲を一通り演奏し終えると、オーケストリオンを使用したインプロヴィゼーション。この装置、単にプログラムを自動的に演奏するだけでなく、パット・メセニーのギターで全ての楽器をコントロールできるよう設計されているようだ。ギターのエフェクターであるZOOMをうまい具合に組み合わせて、ひとつひとつの楽器を順番にコントロールして任意のフレーズをZOOMでループさせ重ねていく。全ての音を鳴らし、ループさせ重ね終えると、そのバック演奏的な分厚いZOOMにギターソロを加えていく。そのギターソロに合わせて、ビブラフォンが半ばユニゾンしたり、打楽器がギターに連動したり…、オーケストリオンを体感すればするほどその仕組みが全く分からなくなってくる。足でも複雑に操作しているということだったが、その神業的な演奏に、本当にひとりでコントロールしているのか疑ってしまうほど。もしかしたら裏でエンジニアがコントロールしているのではと疑いたくなるほどの巧みさ。

これは単なるコンサートではなく、本当に完成されつくされたアート。
アーティスティックなパフォーマンスを、過去に類をみないほどの完成度で鑑賞することができたと感じる。これを超えるソロパフォーマンスはもはや皆無ではなかろうか。いわばソロパフォーマンスの極致を見たような気がする。

会場の盛り上がりも尋常ではなく、アンコールも計3回。結果、3時間以上のスペシャルな公演となった。

きょうのこの日の歴史的な演奏、ぜひとも映像で入手したいものである。とはいえ、Youtubeの映像を見る限り、そのすごさの半分もにじみ出ていないわけで、やはり生でこれを体感しないことにはその真のすごさは実感し得ないわけだ。

もう2,3周世界をまわってもらいたいものである。


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2010年6月12日土曜日

オーケストリオン日本公演にむけての予習

オーケストリオン


 1月末にリリースされたパット・メセニーの「オーケストリオン」。発売前から、THE ORCHESTRION PROJECTと題されたパット・メセニー公式HPを見て、大きな興味と注目を持って期待していたのだが、これまでにアルバムを聴いたのがわずか2度ほど。その音だけを聴くと、期待が大きかっただけに、少なからず物足りなさを感じてしまう。
 オーケストリオンというのは、その昔、オーケストラやバンドのようにあらゆる音を奏でるように設計された音楽自動演奏装置。
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 自動演奏というコンセプトをもとに、パット・メセニーは、一人でギターを演奏しながらあらゆる装置を駆使し様々な音を奏でるという、一人でありながらグループ単位の音楽を作り上げようとしたわけだ。

 非常に興味を深い。しかし、これを録音された媒体で聴くだけでは、その凄さを感じ取ることは、なかなか難しい。ただ、アルバム発売と同じくしてオーケストリオン・ツアーの予定が発表され、これを生で演奏することへの驚きと期待が新たに生まれる。
 なるほど、パット・メセニーというアーティストは、まさにライブ至上主義であり、ライブのためにアルバムをリリースするわけだ。
 あの切れ目なく演奏し続けるというコンセプトのアルバム、パット・メセニー・グルームの「ザ・ウェイ・アップ」もライブを体験しなければ、その本質をなかなか捉えることはできない。ライブを見た後でさえ(ライブを見たが故に?)、音だけでは満足できず、アルバムそのものをすすんで聴こうという気にはなっていない。しばらく新しいアルバムは作らずに、このザ・ウェイ・アップをもとに、あと2,3回、世界中を回ってほしい。
 ちなみに、パット・メセニー、このソロツアーの後、すぐグループでのヨーロッパツアーが予定されているとか。ライブで新しい音を発表して、ライブの演奏を収録してアルバムとして販売すればいいのでは、と勝手に思う。
 とにかくも、明日の一人メセニーグループ。先行して体感した人たちのレビューも高評価が目立つので、大いに期待しよう。

 

2010年6月3日木曜日

John Adams Earbox

 アダムズ、グラス、ライヒなどのミニマル音楽ばかり聴いていると、どうしても飽きてしまう。飽きてもまた聴いてしまうのは、そのメロディーが非常に心地よかったりするからなのだが、ならば何故飽きてしまうかというと、ご想像の通り、永遠に続くかと錯覚してしまうほどのループが煩わしいものに思ってしまうわけだ。
 ジョン・クーリッジ・アダムズの音楽は、グラスやライヒと比べて、反復がそれほど激しくなく、音の変化も比較的大きい方だ。とはいえ、「Earbox」などのボックスセットを聴き続けると、何か物足りない気になってしまう。
The John Adams Earbox [Box Set]
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 ウォークマンなどにこのボックスを納めて、なんとか全て集中して聴こうと試みるのだが、いつの間にか違うこと(読書やメールなど)に気持ちが移っている。アダムズの音楽が見事に周りの世界との壁となってくれて、恐ろしいくらいに読書などに集中できる。サティの“家具の音楽”的な要素が含まれている証拠と言えるのか…。
 こうして、アダムズの音楽に集中できないままに、大量の音楽群はいつの間にか忘れ去られてしまうことになってしまうのだ。それをまた発掘するのは、意外と困難だったりする。
 忘れ去られた音楽を発掘するのには、全曲を対象にシャッフルして聴くことが最もいい。最近シャッフルして、発掘、再発見したものがアダムズだった。あらゆる音楽に囲まれたアダムズの音楽というものが、非常に際立って聴こえた。とくに気に入ったのが♪Christian Zeal and Activity という曲。

 人がまばらな都市のビル群を眺めながらアダムズを聴くと、なぜか非常に悲しい。

 アダムズはいいなと再認識して、再びボックスセットを発掘して、代表作の「Nixon in China」などを聴いてみる。オペラは音楽だけでは楽しめないのかもしれない。
 こうしてまた、これら音楽は埋もれていく。
 でも、またいつの日か─…

2010年5月5日水曜日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2010 公演番号372

ブリジット・エンゲラー Brigitte Engerer

日時 2010年5月4日 11:15~12:00
会場 東京国際フォーラム ホールG409
料金 指定席 1500円

ショパン:ノクターン 嬰ハ短調 KK IV a-16 [遺作]
ショパン:ノクターン 変ホ長調 op.9-2
ショパン:ノクターン 変ニ長調 op.27-2
ショパン:ノクターン ハ短調 op.48-1
リスト:孤独のなかの神の祝福(「詩的で宗教的な調べ」より)
リスト:葬送(「詩的で宗教的な調べ」より)

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ことしは比較的空いているほうか・・・

本日は
国際フォーラム4階、会議室での演奏
ブリジット・エンゲラーの独奏

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンの常連
去年もエンゲラーの演奏は聴いた
確か、オーケストラの協奏曲とチェロとの二重奏だったか
激烈で力強い演奏が印象に残っている
そういえば、チェロとの共演の際
譜面をめくる助手の女性を傍らに激しく演奏
その途中、その女性がめくるタイミングを間違えてしまい
エンゲラーが演奏しながら激しく制し
その激しい勢いのままに演奏を続けていた
それが強く印象に残っている
協奏曲では譜面をめくる人はいなかったような…
自らものすごい速さでバッサバッサめくっていた
やはり激烈な印象

さて、ことしは─
演目はノクターン中心、最後は葬送
静寂な演奏になる予感
ピアノの両脇には電気式のろうそくランプ
室内は薄暗く
会場は数百人ほどの小規模なもの
座席番号1列1番
ちょうど奏者の真後ろに位置する所
室内は薄暗く
ピアノの両脇には電気式のろうそくランプが設置
何やらブラックな演出
拍手とともにブリジット・エンゲラー登場
衣装も当然黒いもの
「遺作」が静かに演奏される
演目は徐々に激しさを増していく構成
軽やかで流れるようなピアノタッチ
最後のリストの「詩的で宗教的な調べ」での超絶技巧
演奏の素晴らしさもさることながら
その見事な演出に感動
カーテンコールからも大成功というのが理解できた
決して社交辞令ではない拍手が鳴り止まない
そしてそれに応えるアンコール
シューマン
ショパンとともにシューマンの生誕200年でもあるから
拍手、拍手の雨霰
それに応えるアンコール
ショスタコービッチ
予想外の演奏に驚きのオー!
拍手もさらに大きく、当然か
そしてさらにアンコール
ラフマニノフ
仏出身ではあるが、モスクワで学んだことを発揮か
計3回、バリエーションにとんだアンコール
本当に感謝、CDでも買って帰ろうかな
という気持ちになるのも当然
するとタイミング良く会場の外で
“ブリジット・エンゲラー”サイン会のお知らせが
会場は新星堂・特設販売所のすぐ脇にて
おお、それならばCD買ってそれにサイン…
…なるほど、大サービスするわけだ
最初から最後まで見事な演出
��D買うのは我慢しよう


来場者数、東京国際フォーラム館内のみ
今年(3日間)─約41万3000人
去年(3日間)─約40万人
一昨年(5日間)─約64万人
��速報値参照)
大盛況だったということか

来年のテーマはまだ発表されず
ちなみに本家ナントのテーマは
ポスト・ロマン主義
ブラームスからR・シュトラウスまで様々な作曲家が登場
ブラームス、ブルックナー、マーラー、シェーンベルク、
オルフ、ヒンデミット、ヴォルフ....
さすが本家、よい選択
ジャポンもこれでいいんじゃないの?
アンケートではブラームスが一番人気とか
故にブラ中心に調整するとか

いずれにしても来年も今年のように
有料1、2公演のチケットをゲットして
あとは楽に周囲のものを楽しめばいいかな

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