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2007年10月15日月曜日

壊れかけの Yankees

大リーグもプロ野球もプレーオフで盛り上がっています。
アメリカでは、最大年俸を支払っているニューヨーク・ヤンキースが、今年も、早々と姿を消してしまいました。日本では、巨人がこれからプレーオフに登場してきますが、さてどうなることやら─。

ヤンキースが敗退し、今年のオフに注目されるのは、監督から選手全員に至るまでの去就でしょう。トーリ監督はもちろん厳しい立場にあります。そして、やはり今年も噂されるのは松井秀喜は放出されるのではないかということ。また、Aロッドはどうするのか─、ということも騒がれているようです。個人的には、トーリも松井もAロッドも、みんなよくやったと思うのですが…。
いずれの話も強くてお金持ち球団ならではの噂でしかなく、現在のヤンキースはチャンピオンになってないとはいえ、非常に強くて魅力なチームであることには変わりないと思うのです。
シーズン前半はプレーオフも考えられない状態だったチームが驚異の粘りを見せて、あわや大逆転優勝にもなろうかという巻き返しには、興奮した人も多いと思います。
糾弾されるべきは、その投手陣であって、監督でも松井でも、ましてや大活躍したと言っていいAロッドでもないのです。

��982年から1995年まで、ヤンキースはプレーオフにも出場できなかった状態が続き、1996年にトーリ監督が就任するとプレーオフ常連チームとなり、1998年から2000年まで3年連続でワールドチャンピオンにもなっているのです。80年代の低迷期に比べたら、現在はまだ黄金時代だと言っていいのです。

そんなヤンキースが低迷している時代に、「Yankees 」というタイトルのアルバムがリリースされています。

画像Yankees
Derek Bailey
George Lewis
John Zorn
(1982)

フリージャズ、インプロビゼーションの応酬…
構築しようというものは何一つ感じられず、ただただ破壊があるのみ…
デレク・ベイリーの旋律なしのギター音…
ベイリーに憧れる若きジョン・ゾーンの歓喜のサックス、もちろんメロディーなどない
さらには、ジョージ・ルイスのトロンボーンまでもが雄叫びを…
��つの曲全てに曲名がついているが、何故タイトルがついているのか全く分からないくらい、壮絶なフリーインプロビゼーションが続く─。

このアルバムがリリースされた年からニューヨーク・ヤンキースの低迷が始まるのですが、その低迷がこのアルバムに反映されているのか、あるいは、このアルバムがヤンキースの低迷を招いたのかは分かりません。
さすがに、このアルバムのせいでヤンキースが低迷したなどとは誰も思わないことでしょうけれど、このアルバムを聴きながら、ヤンキース低迷の理由はこのアルバムのせいだという説明されたとしたならば、もしかしたら信用してしまう人もいるかもしれません。それくらい「Yankees」は壊れたアルバムなのです。

ニューヨーク・ヤンキースはもはや駄目になってしまっていると思っている方は、このアルバムを聴いてみてはいかがでしょうか。


ちなみに─
昔、僕は一度だけこのアルバムを聴いてすぐに手放しました。

2006年10月27日金曜日

デレク・ベイリー

インプロヴィゼーション=即興演奏、その究極を追い求めたのがデレク・ベイリーだ。

ベイリーの音楽を聴くと衝撃を受けるだろう。もしくは全く理解できない─、これは音楽といっていいのかどうか─、何のためにこのような演奏を続けるのか─、ノイズ・雑音─…のCD1枚聴きとおすのはつらいかもしれない。

エレクトリック・ギターを用いて決してメロディーやフレーズを弾かない。これがベイリーの音楽。
フリー・インプロヴィゼーションというカテゴリーに分類される。
フリー、自由に…人は自由に演奏しろと言われたらどのように演奏するのか、楽器を弾けない人も含めて─。何かメロディーとか曲、形式をイメージしないと意外と弾けないもので、非形式的なものを出そうとするのはものすごく難しいことで、あらゆる経験と思考が求められるものだ。フリー、自由という概念すら何なのか分からなくなってくる。

即興演奏というのは全ての音楽に存在する。一見、即興とは無縁のように思えるクラシック音楽においても例外ではない。ハープシコード奏者:ライオネル・ソルター氏は「譜面とういうのは単に記憶を呼び覚ますものであり、たとえばバイオリン奏者はパートに装飾をつけることをあらかじめ期待されている。ヘンデルのソナタを演奏する場合、楽譜に忠実にやったらたぶんヘンデルにいやというほど笑われるでしょう。当時の作曲家たちは演奏家でもあって、譜面に全ての音符を書くということはせず、ここで何か特定なことをしようということで音符を書きとめていただけなのです。…中略…グループでの演奏で、バイオリン奏者や他の弦楽器奏者が、ハープシコード奏者に何かを創造するよう駆り立てたり、その逆、ハープシコード奏者が最初に何かを思いつき、それに他のメンバーがしたがったりするのです。」と語っている。(デレク・ベイリー著『インプロヴィゼーション~即興演奏の彼方へ~』より)
私たちはあまりに録音された演奏に慣れ過ぎていて気が付かないだけで、生の演奏を見えれば分かるように、即興演奏はどんな音楽にも多少なりとも常に存在している。そしてその即興的要素が創造へとつながって、新しい何かを生み出しているのではないだろうか。

インプロヴィゼーションは議論や判断を必要としていない。演奏場面にいる音楽家としての存在に含まれている創造的意欲に合致し、また音楽家の全存在を音楽創造という行為に巻き込むものであるからこそ、インプロヴィゼーションは存在する。他のなにものもこれはできない。」(『インプロヴィゼーション~即興演奏の彼方へ~』より)
ベイリーの音楽、時にそれは創造を刺激してくれて、時にそれは何かを壊す。
2005年12月24日、デレク・ベイリー死去、享年75。
ベイリーによって何が生まれ何が壊されたのか─。ベイリー亡き後、新たな音楽が創造されるのか─。デレク・ベイリーの音楽をじっくり聴けばその答えは見えてくるかもしれない。