最近、アーティスト、オノ・ヨーコが気になって仕方がない。
彼女を初めて知ったのは、やはりジョン・レノンという存在を介してだった。親しみやすいジョンの音楽に、ヨーコのエッセンスが加わると、途端にとっつきにくい音楽に変わってしまうという偏見を─・・・、はて?どうして持ってしまったのだろう、そんな記憶すらない。とにかく、ヨーコの“音楽”は無意識のうちに避けていたような気がする。
しかし、ヨーコはフルクサスにおいて重要な存在であり、アートにおいてはヴェネチア・ビエンナーレで生涯業績で表彰されるほどの巨匠。彼女の作品を、まずは音楽、ジョンというものを抜きにして眺めてみた、すると、素晴らしき作品群の吸引力でヨーコへの視野が広がった、というより見方が180度変わってしまったといってもいい。
Yoko Ono Artworks (Flickr)
今一度、オノ・ヨーコの音楽を再確認しようかと─。といっても、初めてジョンとヨーコが共演し物議を醸した「未完成」作品第1番~トゥー・ヴァージンズとか次の「未完成」作品第2番~ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ、Wedding Albumなどには、なかなか手を出せないとひよりつつLive Peace in Torontoというものを聴いてみた。ジャケも気に入ったので─
カバー曲とオリジナルが入り混じったもので、演奏の技も巧み。ただ、前半のカバー曲部分を聴くだけだと、何か物足りなく感じる。メンバーがメンバーだけに過剰な期待をしてしまうのか、それとも、アートを鑑賞するがごとくブルース的な音楽を聴くと物足りなく感じるのか─。
後半2曲はヨーコオリジナルの大作。叫びと呻き唸り・・・非常にいい、が、音楽としては大衆には受け入れられないはずだ。ラストのJohn Johnは、マハリシ・マヘシ・ヨギの影響と思われるエスニックな響きが心地よく、クラプトンの絶妙なトーンコントロールなどで、音楽的にも楽しめるかな。
音楽を音楽として聴くとかアートとして聴くとか、なんじゃそりゃ、と我ながら思ってしまうのだが、自覚が薄かったとはいえ、ケージなどの現代音楽を聴く場合には明らかにアート鑑賞、他方、クラシック音楽やポピュラー音楽を聴く場合は音楽鑑賞と明らかに分けていた、と再確認、音楽も芸術と呼ばれるものなのだが・・・。
よし、これからは、とりあえずではあるけれど、音楽という固定された枠組みを壊そうとしているものと、音楽という確立されたものの中で創造されるものとしよう。
そうすると、過去にヨーコが作り出していた音楽は主に音楽という枠組みを壊そうとしていて、ここ最近の音楽は音楽という確立されたものの中で創造されているものが多いような気がする、と自分の中では分析された。めんどっち。
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