��010年をもって古希を迎え、それを記念して日本フィルから桂冠指揮者という称号を贈られた─
ということを今日のコンサートで知る。
オービック・スペシャル・コンサート2010
コバケンの復活
��場所>
サントリーホール
��日時>
2010年4月9日(金)19:00開演(18:20開場)
��曲目>
J.S. バッハ:トッカータとフーガ ニ短調 BWV565
J.S. バッハ:目覚めよと我らを呼ぶ声あり BWV645
ヴィエルヌ:ウェストミンスターの鐘 op. 54-6
マーラー:交響曲第2番『復活』
��出演>
指揮:小林研一郎
ソプラノ:岩下晶子
アルト:相田麻純
オルガン:徳岡めぐみ
合唱:70thアニバーサリー祝祭合唱団
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団
��席9000円、1階23列21番
一階席の一番後ろ・ど真ん中、最高のポジション
コンサートの始まりが30分ほどのパイプオルガンの独奏、それから15分の休憩をおいて90分ほどのマーラー第2番、アプローズの後はアンコールはなく、指揮者の誕生祝いと桂冠指揮者授与式─不思議な構成だった。
パイプオルガンを生で聴くこと自体初めて。バッハ、ウェストミンスターの鐘という素晴らしい楽曲もさることながら、音そのものが素晴らしくて、あくまで前座的な扱いではあったものの、非常に得した気分。さらに姿形もカッコイイ。一言でいうなら、ジューダスプリーストか─
そして、いよいよ、長年待ったマーラー2番
じわりと始まるその出だし。荘厳な交響曲に似つかわしくない繊細さが要求されるような、そんな難しさがあるのかもしれない─そう感じてしまうほどの緊張感と不安定さ。一抹の不安。しかし、すべての管弦打楽器が鳴り出すと有無をも言わさぬ重厚感。1楽章でかなりの音の幅、第5楽章は果たしてこれ以上の音を鳴らせるのか…それにしても第1楽章のこの激しい展開には、聴いているこちらも集中して聴かないと、この世界から離れてしまいそうになる。奏者は尚更のことだろう。
第2楽章は弦楽中心。ピチカートが非常に印象的。日本の弦楽は管楽と違って非常に安心して聴いていられるような…というのが個人的な見解。その通りの演奏。この演奏が終わると、アルト/ソプラノの独奏者それぞれ登場。それにともない軽い拍手。当然拍手するだろうとは思いつつも、ここの拍手は邪魔のような思い。
合唱者は全員、最初の演奏から背後でじっと座っている。独奏者もそうするべきなのでは?と思うのは聴き手の単なる我が儘なのだろうか─。
第3楽章は管楽が主体。所々に不穏なものも…。しかし、一斉に音が絡み合い、すさまじい音の塊がその不安をかき消してくれた。また、コバケンの式台でのダンシングも一つの演出のように表現されて、すべての演奏に好感を持ってしまう。元気な70歳古来希なり─。
第4楽章でようやく声楽。アルトの声に癒やされる。重々しい演奏の中で一輪の花が輝くと、一層際立ち、愛おしさをも感じてしまう。人の声こそが最高のインストゥルメントか─。
そして第5楽章。最高の音・爆発力で始まり、会場中の集中力が研ぎ澄まされる。怒濤の音量を持って世界が展開していき、コバケンの両腕も天まで届かんばかりに突き上げられる。これは感涙の予感。しかし、合唱が始まると、なにか気持ちがちぐはぐに(あくまでも聴いているこちら側の個人的な意見ではあるが…)。合唱、独唱、オーケストラ、さらには指揮者までも、なにかバラバラのように感じる。確かに、難易度は高そう。恨むなら、マーラーを恨むべきか。それにしても、憤慨したのは、客席において携帯カメラで「カシャ」と音を立てたヤツ、しかもソプラノが歌い出した途端だから余計にカメラの音が響き渡る。会場中が難題に立ち向かっていただけに、ホントむかついた!
さて、会場中の怒りが徐々に頂点に達していくと、消えかけていたあの感動が再び舞い戻ってきた。フィナーレが近づくにつれて、さらに舞台の袖から奏者が加わってさらに重厚さを増し、すべての音が鳴らされると、もう終わってしまうのかと、ある種の切なさを感じる。そして今までに聴いたことがない音の厚みに囲まれながら、すべての時間が流れていった。
この交響曲はチャレンジすることに意義があるのかもしれない。
いつかまた─