オラトゥンジ・コンサート(ザ・ラスト・ライヴ・レコーディング)
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コルトレーンは晩年、フリージャズ的な演奏に傾倒して、録音された順に彼の演奏を聴いていくと、音楽の形がどんどん崩れていくのがはっきりと聴いて取れる。“彼はリスペクトするアーティストとしてオーネット・コールマンを挙げた”という記載を頻繁に目にするが、例えそれが風聞であろうとも納得してしまう。
日増しに激しさを増していくその音楽を追っていくと、その行き着く先は決して想像も出来ないし、ただただ畏怖してしまう。1967年のこのライブには、間違いなく彼が追い求めた高みが詰まっている。このライブの3ヵ月後、コルトレーンは40歳という若さでこの世を去る。肝臓がんだった。アルバム最後の♪My Favorite Things を聴くと、病死ではなく、まるで精神をすりつぶして散っていったかのような錯覚に陥ってしまう。
このアルバムを聴いた後で、マイルス、オーネット・コールマンを聴く─
♪
'Round About Midnightマイルス・デイビスのもとにいたころ、ジョン・コルトレーンは、その粗末な演奏を嘲弄されたらしい。確かに、ジュリアード出身のマイルスの演奏は練達していて、コルトレーンの演奏は非常に不安定なものに感じてしまう。よく言えば自由で可能性を感じる演奏であるのだが、オーネット・コールマンの演奏に対して批判的だったマイルスなどにとっては、とても納得できるものではなかったのであろう。
The Shape of Jazz to Come
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情熱的なコルトレーンを聴いた後だと、このコールマンの試みも上品なものに聴こえてしまう。意図的な不協和音、意図的な逸脱、すべての音に奏者の意思を感じる─これほどまでにすごいアルバムだったとは…コルトレーンを聴くことによってコルトレーンが追い求めた音楽を垣間見たような気がした…が、それは錯覚であろう。コルトレーンの終着点は、オーネット・コールマンの音楽とは全く違うものであり、ある種超越したものを感じるわけで、たとえ彼がもっと長生きをしてその精神性を高めたとしても、決してコールマンのような音楽にはなり得なかっただろう。まぁ、勝手な想像ではあるが…。
壊れたコルトレーンが再構築される様を聴いてみたいと、ないものねだりを感じつつ、至上の愛…バラード…ジャイアント・ステップ…カインド・オブ・ブルー…と遡上の旅へと出掛けます。