どんなに好きでも最後は別れるんです。どちらかが先に死にます。人に逢うということは必ず別れるということです。別れるために逢うんです。だから逢った人が大切なのです。
瀬戸内寂聴さんのお言葉。決して斬新なことではないし、似たようなことはこれまでに聴いてきたはずであるのに、何度も何度も心に響いてくる。それは、いかに自分が人との関わりを粗末にしているかということ。とはいえ、“別れるために逢う”なんていう気持ちには、なかなかなれるものではない。それも自分の修行が足りないだけなのかも・・・
ビートルズのハロー・グッドバイ
英語が堪能でなくとも、その意味は何となく分かる。なんで君はサヨナラといって自分はコンニチハというのか─、聴いた当初は単にシニカルな意図しか感じ得なかったものだが、あらゆるフィルターを通して聴くに至ると、もしかしたら“別れるために逢う”ことを歌ったものなのかと思ってしまう。
ある雑誌で、オノ・ヨーコが次のように語っていた。
─今、私たちが何をすべきかといったら、滅びてしまうか、そうでなければ、生きて「希望の路」を歩くのか、どちらかでしょう。結局、それは生と死の境目だと思います。「生」を共有し、ともに生きていくためには、「希望の路を」歩くしかないのです。─
(※美術手帳2011.09/第8回広島賞受賞記念 オノ・ヨーコ展「希望の路」についてのインタビュー抜粋)
悲劇的な別れを経験してきた重みを感じる。この重みを共有しながら、ウォークマンで♪ハロー・グッドバイを聴きつつ、そして「希望の路」をひたすらランニング─。結局、ひたすらランニングするということは、ひととのつながりを無視した行為なのか・・・